バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 オーストラリアから帰国すると間もなく私は,再び渡米した。私は,ニューイングランド州の有名な女子大であるマウント・ホーリヨーク大学(1837年創立の米国初の女子大)で一ケ月間の哲学の短期講座を受け持つよう依頼されていた。そこから私はプリンストン(高等研究所)ヘ行き,いつものように講演をし,多くの旧友と再会した。その中にはアインシュタインもいた。プリンストンで私は,ノーベル賞授与の知らせを受けた。しかし,その時の米国訪問で一番記憶に残っているのは,コロンビア大学のマチェット基金(財団)のために行なった3回の連続講演(講義)であった。

Soon after my return from Australia, I went again to the United States. I had been asked to 'give a short course' in philosophy for a month at Mt Holyoke College, a well-known college for women in New England. From there I went to Princeton where I, as usual, delivered a lecture and again met various old friends, among them Einstein. There I received the news that I was to be given a Nobel Prize. But the chief memory of this visit to America is of the series of three lectures that I gave on the Matchette Foundation at Columbia University.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-200.HTM

<寸言>
 ラッセルにとって、ノーベル賞よりもメリット勲章の受賞のほうが名誉だったということでしょうか? 
 ラッセルにとって、ノーベル賞を受賞してよかったことの一つは、ノーベル賞の賞金を全て、離婚したパトリシアにあげることができたことです。
 いや、長い目で見れば、ノーベル賞を受賞したことで、(アインシュタインの助けを借りて)ノーベル賞受賞者たちにラッセル=アインシュタイン宣言への署名を要請することができたことかも知れません。
 サルトルはノーベル賞の受賞を拒否して「かっこよい」と若者に受けましたが、体制側からもらう名誉であっても、よいことに活用できれば、もらわない手はありません。

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