バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 私とピーター・スペンス(正式には Patricia Spence)は,私の両親の短い生涯の記録である『アンバーレイ・ペイパーズ』(の編纂)に,約一年半を費やした。私は,しばらくの間,彼女に恋していた。・・・。
・・・両親にこの記念碑を捧げることによって私の孝行心が満たされた。しかし,この仕事は本当に重要なものだというようなふりをすることはできなかった。私は,以前,すべてがつまらなくて何も創り出す仕事のできない一時期があったが,それも終わった。そうして,何か自分の専門からそう遠くない仕事に戻る時がきた。

About a year and a half was spent by Peter Spence, with whom for some time I had been in love, and me on The Amberley Papers, a record of the brief life of my parents....
... and in raising a monument to them (Russell's parents) my feelings of filial piety were assuaged. But I could not pretend that the work was really important. I had had a period of uncreative barrenness, but it had ended, and it was time to turn to something less remote.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB25-050.HTM

<寸言>
 ラッセルは、The Amberley Papers(1937年刊)以前に、パトリシア・スペンス(愛称ピーター)の協力を得て、1934年に『自由と組織』という書名の本を出しています。
 パトリシアは、ドーラが1930年に自分達の子供(ジョンとケート)の家庭教師として雇ったオックスフォード大学の学生(当時四年生/1910年生まれなので20歳)でした。1935年にドーラと離婚が成立すると、ラッセルは翌年パトリシアと結婚し、1937年に(ラッセルの三番目の子供)コンラッドが生まれています。(因みに、コンラッドは、4代ラッセル伯のジョンの後に、第5代ラッセル伯を継いでいます。コンラッドは、ケンブリッジ大学の政治史の教授にもなりました。)

 ジョンとケイトはパトリシアが気に入っていました。ケイトは『最愛の人、我が父ラッセル』p.148~ で次のように書いています。

 「・・・父の新しい恋人は、私の妹(注:妻のドーラがラッセル以外の男性ジャーナリストとの間に生んだ子供のこと)が生まれた年(に)、はじめて私達の夏の家庭教師としてコーンウォールにやってきた時に、私達を完全に魅了したピーターだった。彼女は、若い頃は、私がこれまでに見た最も美しい女性の一人で、終生とても面白くて楽しい人生だった。父が彼女を(に)恋したのは当然だった。私達も、彼女を、その優雅さ、その女らしさ、私に対して示した優しさのゆえに愛し、私は父が彼女と身を固めるのを見て喜んだ。

 外野から見ると、父親が自分の母親以外と再婚すればきっと子供はとても嫌だったに違いないと思いがちですが、そうではありませんでした。

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