バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 テレグラフ・ハウス(注:ラッセル夫妻が幼児学校を創設した家)の元の(最初に立てられた時の)家はかなり小さかったが,兄(1865-1931/第2代ラッセル伯爵)は徐々に増築を行った。彼はその屋敷(と土地)をとても熱愛し,『わが生涯と冒険』という書名をつけた自伝の中で詳細に書いている。・・・.
 兄がこの土地を愛したのは不思議ではなかった。しかし兄は,投機に失敗したので,財産を全て無くしてしまった。私は兄に,他の誰よりもずっと高い家賃を支払う申し出をした。彼は,金が無くて困っていたので,私の申し出を受け入れざるを得なかった。だが彼は,それが嫌でたまらなかった。兄は,その後ずっと,自分の楽園に私が住んでいることを恨んだ。

The original house (of Telegraph House) was quite small, but my brother gradually added to it. He was passionately devoted to the place, and wrote about it at length in his autobiography, which he called My Life and Adventures.... It is no wonder that my brother loved the place. But he had speculated unwisely, and lost every penny that he possessed. I offered him a much higher rent than he could have obtained from anyone else, and he was compelled by poverty to accept my offer. But he hated it, and ever after bore me a grudge for inhabiting his paradise.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB24-050.HTM

<寸言>
 ラッセルの兄フランク(Francis Russell, 1865-1931)はラッセルより7歳年上でした。フランクは、ラッセルが小さい時に弟を(多少)いじめていたので、それほど兄弟仲はよくありませんでした。
 とは言っても、兄を嫌っていたわけではありませんでした。それに、ラッセルは11歳の時に兄(18歳)からユークリッド幾何学を学び、こんなに興味深い学問があるのかと、大きな刺激を受けています。兄が大学(オックスフォード)で学び始めた時か、大学にあがる直前でしょうか?

 ラッセルは兄から(兄が1931年に亡くなるまで)テレグラフ・ハウスを借りました。1931年に兄が亡くなった時には、遺産よりも借金のほうが多かったので、この屋敷も売却せずるを得ませんでした。(兄の死亡により、ラッセルは第3代ラッセル伯となっています。)

 テレグラフ・ハウスからの素晴らしい眺めについて、ラッセルは次のように書いています。
 https://russell-j.com/beginner/AB24-050.HTM
「東と南と西に向かっては広大な眺めが得られた。ある方角にはサセックス森林地帯(Sussex Weald)を越えてリース・ヒル(Leith Hill)まで眺めわたすことができ,また別の方角にはワイト島(Isle of Wight )やサウサンプトン(港)に近づいてくる(大西洋航路の)定期船を見ることができた。」

 テレグラフ・ハウスでラッセルが特に好んだのは、テレグラフ・ハウスの塔になっている部分の最上階でした(添付画像で円で囲んだ部分)。四方(東西南北)に広い窓がついており、「私はこの塔のなかに自分用の書斎をつくったが,その書斎よりも美しい眺望をもったものはこれまで見たことがない」と書いています。

 
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