バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 1927年に,ドーラと私は,自分達が最良と考える教育をするために学校を設立するという決定をした(その決定の責任は二人に同等にあった)。私達は -もしかすると間違っていたかもしれないが - 子供には他の子供たちの集団との交わりが必要であり,従って,これ以上,我が子を他の子供たちから引き離して育てることで満足していてはいけない,と信じていた。・・・。この学校のために,チチェスターとピータースフィールドの間のサウス・ダウンズにある兄の家のテレグラフ・ハウスを借りた。

In 1927, Dora and I came to a decision, for which we were equally responsible, to found a school of our own in order that our children might be educated as we thought best. We believed, perhaps mistakenly, that children need the companionship of a group of other children, and that, therefore, we ought no longer to be content to bring up our children without others.... For the purposes of the school we rented my brother's house, Telegraph House, on the South Downs, between Chichester and Petersfield.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB24-040.HTM

<寸言>
 ラッセル自身は、英国貴族の伝統に基づき、(幼稚園と大学受験の予備校に通った以外)学校教育は一切受けず、多くの家庭教師によって個人教育を受けました。そうして3歳から(大学にあがる)18歳まで、祖父母の自宅で年配の人たちとばかり接していました。従って、大学にあがるまで同年代の子供達と接してこなかったことは子供の成長によくないと実感していました。
 そうかと言って、近くにある幼児向けの学校は、自分たちがよいと考える教育からはかけ離れすぎていました。それならば、自分たちで学校をつくるしかないと思うようになったしだいです。
 できるだけ子供を束縛しないで「自由に生き生きと教育する」という趣旨の学校でしたが、実際に集まった子供達(20名くらい?)のなかには問題児がかなり含まれていました。また、ラッセルは、学校の運営資金を捻出するために度々アメリカへ講演旅行をしており、幼児学校にさく時間はそれだけ減ってしまいました。

 ところで、上記の文章のなかの "perhaps" は「多分」と訳さないほうがよいと思われます。
 We believed, perhaps mistakenly, that children need the companionship of a group of other children, and ...

 "probably"(多分)と異なり、"perhaps" は「ことによると、もしかすると」(可能性はあるもののその確率はさほど高くなく、確信が持てない場面で使える単語)といったニュアンスを持った言葉ですので、「多分間違っていただろうが;多分間違っていたかも知れないが・・・」という訳仕方をすると、「ラッセルはこの実験学校は失敗したと思っていたようだ」と勘違いする人がでてきそうです。「失敗だったかもしれないし、まずまずであったかも知れない(成功か失敗か半々で、どちらかの結論はだせない)」ととるべきではないかと思われます。
【<参考:perhaps の意味は? たぶんの maybe や probably との違い&使い分け>
 https://eigo.plus/eigohatuon/perhaps

#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell