バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 そこで,(ロンドン)チェルシー区シドニー街三十一番地に自分の家(自由土地保有権付)を買った。上の方の二人の子供(ジョンとケイト)はそこで生まれた。しかし,一年中ロンドンで暮らすことは子供達のために良くないように思われたので,1922年の春,コーンウォールのポースカーノ(Porthcuruno)に家を手に入れた(添付画像 Carn Voel)。それはイングランドのランズ・エンドから4マイルほどのところにあった。その時から1927年にいたるまで,私達はロンドンとコーンウォールに等分の期間を過ごした

So I bought a freehold house in Chelsea, No. 31 Sydney Street, where my two older children were born. But it did not seem good for children to live all the year in London, so in the spring of 1922 we acquired a house in Cornwall, at Porthcurno, about four miles from Land's End. From then until 1927 we divided our time about equally between London and Cornwall.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2,chap.3: China
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB24-020.HTM

<寸言>
 こうして5,6年の間、幸せな生活が続きます。(ラッセルの2番目の妻だった)ドーラも晩年、自伝(The Tamarisk Tree; My Quest for Liberty and Love, by Dora Russell, 1975/邦訳書:『タマリスクの木-ドラ・ラッセル自伝』(リブロポート、1984)のなかでそういった幸せな日々について、詳しく書いています。
 しかし、それは長続きしませんでした。
 ドーラ(ドラ)は「進んだ女性」であり、他の男性との間にも子供を生むことになります。それが大きな原因となり、ラッセルは1935年にドーラと離婚しました。
 なお、コーンウォールの家( Carn Voel )は離婚に際し、ドーラに譲っています。

 
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