ラッセル英単語・熟語1500 |
1914年の初め,彼(ウィトゲンシュタイン, 1889-1951)は非常な興奮状態で私のところにやって来て,こう言った。「私は,ケンブリッジを離れます。いますぐに離れます。」と言った。「なぜ?」と,私は尋ねた。彼はこう答えた。「義理の兄がロンドンで暮らすためにやってきたからです。そんなに近いところに彼がいることには,とても耐えられません。」 そこで彼は冬学期の残りの日々を,ノルウェーの最北部で過ごした。 (ウィトゲンシュタインと知り合いになってから)早い時期に,G.E.ムーアに,ウィトゲンシュタィンのことをどう思うか,たずねたことがある。「私は,彼について好感を持っています。」とムーアが言った。私がそう思う理由を尋ねると,彼はこう答えた。「なぜかと言うと,彼は,私の講義を聞いて困惑しているように見えますが,他の誰も,私の講義に当惑していないからです。」
At the beginning of 1914 he came to me in a state of great agitation and said : 'I am leaving Cambridge, I am leaving Cambridge at once.' 'Why?' I asked. 'Because my brother-in-law has come to live in London, and I can't bear to be so near him.' So he spent the rest of the winter in the far north of Noray. In early days I once asked G. E. Moore what he thought of Wittgenstein. 'I think very well of him', he said. I asked why, and he replied: 'Because at my lectures he looks puzzled, and nobody else ever looks puzzled.'
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB22-070.HTM
<寸言>
ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein,1889-1951)については伝記本が多数出版されています。
レイ・モンクは、ウィトゲンシュタインの有名な伝記(『ウィトゲンシュタイン-天才の責務』:みすず書房、1994 2巻本)を書いており、また、(評価が分かれる)ラッセルの伝記(2巻本 本邦未訳)も書いています。
ウィトゲンシュタインはオーストリアの富豪の息子として生まれ育ちましたが、財産は哲学者には不要(邪魔もの)だとして、遺産は受け取らず、兄弟に全てあげてしまいました。生涯、粗食で独身を通しましたが、同性愛者としても有名でした。
気難し屋で、自分にも人(他人)にも厳しく、多分、多くのウィトゲンシュタイン礼賛者を、自分の哲学を「全く」理解していないとして切り捨てるだろうと、想像されます。
ラッセルはウィトゲンシュタインの前期の哲学は評価しましたが、後期の哲学は(ウィトゲンシュタインは真剣に哲学することを放棄してしまったとして)評価していません。
哲学的立場が異なるとしても、ラッセルはウィトゲンシュタインを暖かく見守り続けました。これに対し、ウィトゲンシュタインは、ケンブリッジ大学教授となった後は、ラッセルを始め、自分と考え方の違う研究者を周囲から排斥しがちでした。ラッセルは、1944年に、6年におよぶ米国滞在を経て、英国に帰国しましたが、ケンブリッジ大学から招聘があり、ケンブリッジ大学に一時的に復帰します。その反対運動の先頭にたったのはウィトゲンシュタインでした。(彼は、1951年に62歳で癌のためになくなっています。)
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