バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 私は彼(T. S. エリオット, 1948年にノーベル文学賞受賞)ととても親しくなるとともに,続いて -彼が1915年の初めに結婚した- 彼の妻(注:Vivienne Eliot, 1888-1947)と非常に親しくなった。彼らは極度に貧乏だったため,私は,(ロンドンの)自分のフラットにある2つの寝室のうちの1つを彼らに貸した。その結果,彼らのことについていろんなことがわかった。私は,彼ら夫婦の二人とも好きであった。それで私は,彼らが困っている時は -彼らがそれらの諸困難をむしろ享受しているということを発見するまでは- 努めて助けてあげようとした。

I became great friends with him (T. S. Eliot), and subsequently with his wife, whom he married early in 1915. As they were desperately poor, I lent them one of the two bedrooms in my flat, with the result that I saw a great deal of them.(The suggestion sometimes made, however, that one of us influenced the other is without foundation.) I was fond of them both, and endeavoured to help them in their troubles until I discovered that their troubles were what they enjoyed.
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB21-080.HTM

<寸言>
 T. S. エリオット(T.S. Eliot, 1888-1965、)は保守派の論客(でカトリック教徒)として知られており、思想傾向はラッセルとはかなり異なっています。従って、保守派の重鎮になるにつれて、ラッセルとは疎遠(かつ批判的)になっていきます。
 T. S. エリオットについてはウィキペディアに詳しい説明があります。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/T%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88

 1915年当時、エリオット夫妻はとても貧しかったとラッセルは書いていますが、エリオットの家は資産家でした。ウィキペディアから少し引用しておきます。

 「1915年には先輩詩人エズラ・パウンドの誘いに応じてイギリスへ拠点を移し、オックスフォードで知り合った女性ヴィヴィアン・ヘイ=ウッド(1888-1947)と結婚した]。・・・ しかし父親はヴィヴィアンとの結婚に強く反対し、またアメリカを離れ、一族の信仰だったユニテリアン派を捨てたエリオットに対して遺産の相続を拒否。そしてエリオットが死んだ場合にもヴィヴィアンへは財産が遺贈されないよう取り決められた。そのため、富裕な一族の息子として欧州とアメリカを自由に行き来しながら詩作と学業を続けていたエリオットは、一転して経済的な苦境にさらされるようになった。さらに妻が神経症をわずらったため多額の治療費が必要となり、一般向け公開講座の講師や雑誌への寄稿などで家計をささえる生活がつづいた。」
 エリオットの最初の妻ヴィヴィアンとの暮らしを描いた映画(「愛しすぎてー詩人の妻」のビデオテープを私も持っていましたが、行方不明です。

 T.S.エリオットは、日本では、ミュージカル「キャッツ」に翻案された「ポッサムおじさんの猫とつき合う法」というナンセンス詩で知られています。因みに、ノーベル文学賞の候補となったこともある西脇順三郎氏(故人/詩人で慶応大学教授)はエリオットの研究で知られていまし「た」。 

 
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