バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 第一次大戦の期間中,クリスマスを迎えるごとに,私は,発作的な暗い絶望感に襲われた。それは,ただ無為に椅子に坐っているだけで,何もすることができず,人類が何かの役に立つものかどうか疑うほどの,(一抹の光もないような)完璧な絶望(感)であった。1914年のクリスマスの時期に,オットリンの助言で,この絶望感を堪え難いものにしない方法を見つけた。(すなわち)私は,慈善委負会を代表して,ひどく貧しいドイツ人を訪問し,その境遇を調査し,必要があれば彼らを窮地から救済する,という仕事にとりかかった。

Every Christmas throughout the War I had a fit of black despair, such complete despair that I could do nothing except sit idle in my chair and wonder whether the human race served any purpose. At Christmas time in 1914, by Ottoline's advice, I found a way of making despair not unendurable. I took to visiting destitute Germans on behalf of a charitable committee to investigate their circumstances and to relieve their distress if they deserved it
Source: Bertrand Russell: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 1
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB21-070.HTM

<寸言>
 平和な時には仲良く一緒に暮らしてきた外国人も、敵国人になるやいなや迫害が始まります。その国が好きで、母国を捨ててきた者であっても敵国人ということで例外なく迫害の対象となってしまいます。敵国人をいじめることは「正義」であり、「愛国者の印」となります。困っている「敵国人」を救済しようとする者は「非国民」扱いされてしまいます。ラッセルも同様だったと想像されます。
 第二次世界大戦が勃発した後、米国在住の日本人のほとんどが強制収容所に入れられてしまいました。どこの国においても敵国人の扱いはにたりよったりです。そうは言っても、戦後、米国は強制収容所に入れたことは間違いだったと謝罪し、補償を行いました。「同じ価値観を持っている」とさかんに言う日本(政府)は同様の対応はしないようです。

 
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