ラッセル英単語・熟語1500 |
「(座談会) ラッセル,ヴァン・ドーレン及びポーターと『不思議の国のアリス』を語る(1942年)」
ヴァン・ドーレン 『不思議の国のアリス』は残酷なために童話として読まれなくなったというのが実際に仰りたいことなのでしょうか。
ラッセル 理由の一つは,そうだと思いますが,もう一つの理由として他の本との競争があると思います。大人というのは子供を'あどけない'ものとして軽視しがちであり,子供たちはそれを本の中に見つけると反撥を感じるのです。子供を'あどけない'ものとしない本に出遭うと嬉しいのです。しかし,子供が大人を諭(さと)さない限り,大人はいつも子供を'あどけない'ものだとする(前提とする)本を買い与えるのです。
【 Radio Symposium: Lewis Carroll: Alice in Wonderland [1942] 】
VAN DOREN: Do we really mean that Alice in Wonderland has declined as a children's book because of its cruelty?
RUSSELL: Partly, I think, but partly also from competition with other books. Grown-ups always tend to think of children with a certain contempt as dear little things, and when a child feels that element in a book he resents it. If he can get a book that doesn't regard him as a dear little thing he's very pleased. But grown-ups will always buy that sort of book and give it to children unless the children educate them.
Source: Bertrand Russell: Symposium: Lewis Carroll: Alice in Wonderland [1942]
More info.: https://russell-j.com/cool/russell-alice.html
<寸言>
「子の心親知らず」。
子供はただかわいがってもらうことを望んでいるのではなく、大人と同じようなことができるようにできるだけ早くなりたいという気持ちが強いということ。
ラッセルは1942年に,アメリカのCBSラジオ番組 'Invitation to Learning'で,『不思議の国のアリス』について,Katherine Anne Porter(1890-1980,アメリカの小説家)と Mark Van Doren(1894-1972,アメリカの詩人・批評家)の3人で「対談」、いや、二人ではないので「座談」会をしました。(New Invitation to Learning, New York, Random House, 1942,p.208-220)
マーク・ヴァン・ドーレンと言っても、私も含め、多くの日本人が知らないと思いますが、ドナルド・キーンの『私と20世紀のクロニクル』を読むと、アメリカでは有名な人物であったことがわかります。
「(コロンビア大学の)必修科目の一つに古典文学研究があり,これはホーマーからゲーテに至る偉大な文学作品を英訳で読む授業だった。かつてマーク・ヴァン・ドーレンに師事していたタンネンバウム先生は,彼こそコロンビアで最高の先生であると言っていた。私はなんとかヴァン・ドーレン教授の古典文学研究のクラスを受講する権利を手に入れた。・・・。)(『私と20世紀のクロニクル』(p.32))
なお、添付画像はジョン・テニエルが描いた『不思議の国のアリス』のイラストのなかの1枚(「狂ったお茶会 」の場面 a mud tea party)ですが、右端の「気狂い帽子屋」はその風貌からバートランド・ラッセルによく例えられます。三月ウサギ、眠りネズミとともに狂ったキャラクターとして、奇妙な言動でアリスを困惑させます。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell