ラッセル英単語・熟語1500 |
・・・。あなたは情熱的懐疑家(a passionate skeptic:情熱の懐疑家)であるといわれてきました。私はあなたの情熱の(源)泉を知りたいと思います。それは宗教的信条ではありませんでしたし、またあなたはヒューマニストであることも否定されました。ではいったい、・・・。
ラッセルからの返事(1960年3月31日)
私は自分がヒューニストたることをかつて一度でも否定したことがあるとは思いません。・・・あなたはまた、私の情熱の泉は何かとお尋ねになっておられます。私は情熱がその泉をもっているなどとは考えません。もしあなたが一人の子どもが溺れかかっているのをご覧になれば、あなたはその子どもを救助なさろうとするでしょうし、何々イズム(主義)というようなものがその子どもは助ける価値があるといってあなたを説得するまで待ってはいないでしょう。こうした衝動を正当化する必要は少しもありません。・・・
'You have been described as a "passionate sceptic'. I would like to know the source of your passion. It has not been a religious faith and you have denied being a humanist, ...
Dear Mrs, Stobrawa, (May 24, 1960)
... I do not think that I have ever denied being 'a humanist', ...
You also ask what is the source of my passion. I do not think that passions have any source. If you saw a child drowning, you would try to save it and would not wait for some -ism to persuade you that it was worth saving. ... There is no need to justify this impulse,
Source: Dear Bertrand Russell, 1969
More info.:https://russell-j.com/beginner/DBR4-04.HTM
<寸言>
「情熱的な懐疑家」というのは、アラン・ウッドが1957年に出版したラッセルの伝記(Bertrand Russell, a passionate scepteic)において最初に使った表現ですが、ラッセルの人となりをよく表しています。
通常、情熱と懐疑は相反する現象であり、疑い深い人は情熱にとぼしく、両立することはほとんどありません。しかし、ラッセルには情熱と懐疑が共存しています。そうして、それは誤解されたり理解されなかったりする一因ともなっています。
ラッセルは中途半端で曖昧な知識では満足できず、確実な知識を得ようとどこまでも疑い、真理を探求しました。数学や論理学においては大きな成果をあげましたが、他方、人間社会を振り返れば、苦しんでいる人が世界中に多数存在しており、そういった人達をなんとかして助けたいと思っても十分なことができず、自分の非力に落胆しました。
一方のラッセルだけを見ていては、余り理解できないばかりか、誤解をもちそうです。
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell