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情熱的な懐疑家(『拝啓バートランド・ラッセル様』)

* 出典:R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編著)『拝啓バートランド・ラッセル様 - 市民との往復書簡集』
目次

・・・。貴方は「情熱的懐疑家(a passionate skeptic:情熱の懐疑家)」であるといわれてきました。わたしは、貴方の情熱の(源)泉を知りたいと思います。それは宗教的信条ではありませんでしたし、また貴方は、ヒューマニストであることも否定されました。ではいったい、他人であるわれわれ一般にたいしてこれまで関心をもつよう貴方を刺激しつづけたものは何っだたのでしょうか…。

ラッセルからの返事(1960年3月31日)

 拝復 ミセス・ストブラワ様
 …わたしは、自分が「ヒューニスト(humanist)」たることをかつて一度でも否定したことがあるとは思いません――「合理主義者(rationalist:神学、哲学上の理性論者)」という古い言葉が見捨てられたことを残念には思いましたけれどもね。
 ある批評家は、わたしがジョーン・デューイの哲学に賛成しなかったという理由で、わたしをヒューマニストではないと主張しました。しかしわたしは、それはヒューマニズムの本質的な部分であると考えたことはいままで一度もありません。
 あなたはまた、わたしの情熱の泉は何かとお尋ねになっておられます。わたしは、情熱がその泉をもっているなどとは考えません。もしあなたが、一人の子どもが溺れかかっているのをご覧になれば、あなたはその子どもを救助なさろうとするでしょうし、何々イズム(主義)というようなものが、その子どもは助ける価値があるといってあなたを説得するまで待ってはいないでしょう。こうした衝動を正当化する必要は少しもありません――空腹をおぼえたときに食べることを別に正当化するような必要がないのと同じです。
 人々が自分たちの衝動を正当化しようとしているイズムなるものは、事実、かれらが正当化したつもりになっている衝動の産物です。
 敬 具  バートランド・ラッセル

... You also ask what is the source of my passion. I do not think that passions have any source. If you saw a child drowning, you would try to save it and would not wait for some -ism to persuade you that it was worth saving. ... The -ism by which people attempt to justify their impulses are, in fact, products of the impulses that they pretend to justify. (From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.)