|
<『拝啓ラッセル様ー一般市民との往復書簡』から>
【米国によるベトナム介入に反対し、絶望感にとらわれている人からの手紙に対するラッセルの返事】
ラッセル(93歳)からの返事(1965年11月26日)
拝復 ロバートソン様、
・・・。
けれども、私は米国の国民(人々)に絶望すべきではありません。というのは、米国民は、彼らの政府が行っている戦争の真の性格(真実の姿)を知ることを許されていないからです。我々と同胞である市民である人々を教育し真相を知らせることは、ベトナム戦争の持つ(含まれている)不正と残忍性を理解している者(我々)の義務です。・・・。
敬 具
バートランド・ラッセル
A reply to a desparing opponent of American intervention in Vietnam
Dear Mr Robertson, Nov. 26, 1965
....
I should not despair of the people of the United States, however, for the American people are not allowed to know the true character of the war waged by their government. It is the duty of those of us who understand the injustice and cruelty involved to educate and inform our fellow citizens. ...
Yours sincerely
Bertrand Russell
Source: Dear Bertrand Russell, 1969
More info.: https://russell-j.com/beginner/DBR2-27.HTM
<寸言>
ベトナム戦争は、1962年2月に米軍の介入により始まり、1975年4月末に終結しました。13年もの長きに渡って戦われ、米軍がベトナムに投下した爆弾の量は、第二次世界大戦で使用された爆弾の倍以上(クラスター爆弾は実に2億6千万発!)とのことです。
そのようなことであれば、ベトナムの人民は子々孫々までアメリカ国民を呪い続けそうですが、不思議なことに、現在ではベトナム(共産党による一党独裁)と中国(同じく、共産党による一党独裁)との「国と国との」関係はあまりよいとは言えず、逆に、米国との関係(あくまでも国と国との関係)はあまり悪いとは言えない状態です。お互い仲良くなくても、「敵の敵は(戦略的に)味方」になることはよくあります。ただし、そういった関係は、一夜にして悪くなったり、友好的になったりすることがあります。
ベトナム戦争の時には、返還前の沖縄の米軍基地から毎日、B52爆撃機が飛び立ち、ベトナムを爆撃した後沖縄に戻ってきました(沖縄は、ベトナム人からは「悪魔の島」と呼ばれていたそうです) 。1972年に沖縄が日本に返還される前のことだから日本には責任はないと日本政府が言っても国際的に通る話ではなく、日本にも小田実や鶴見俊輔などを中心にベ平連(ベトナムに平和を市民連合)が結成され、反戦活動がさかんに行われました。アメリカでも反戦気分がしだいに高まっていき、結局は、撤退せざるをえなくなりました。
ラッセルらは、ベトナムにおける戦争犯罪法廷(通称、ラッセル法廷)を創設し、1967年5月にストックホルムで、1967年11月にコペンハーゲンで開廷し、多くの証言(一般市民・村民の虐殺事件その他)をもとに米国を断罪しました。(米軍がベトナム全土にまいた枯葉剤、クラスター爆弾、対人地雷などは現在では使用禁止とされています。)
ベトナム戦争が終わってからかなり時間が経過しましたが、現在でも、アメリカにおいては、ベトナム帰還兵は「公的には」「英雄」とされており、日本においては、靖国神社に祀られている軍人は「英霊」とされています。しかし、原爆を日本に投下した兵士は米国では「英雄」であっても日本では「英雄」ではなく、靖国に祀られている日本軍人は日本において「公的には」「英雄」であっても、アメリカ国民にとっては「英雄」どころか「戦争犯罪人」です。A級戦犯が靖国に合祀されていることなどは信じられないことです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
https://www.bbc.co.uk/programmes/p04qgxlv