バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 私には非常に有能かつ自発的な支援者がいたが,それでも1963年頃になると,一人の人間では処理しきれない状態に急速になりつつあった。さらに,旅行費用,手紙や電報や電話(等)の通信費,また秘書や協力者の経費が,私個人の資金ではまかないきれない状態になりつつあった。それにまったく一人で取り仕切っていることの'責任の重さ'が大きかった。次第に,ある種の組織を創ろうという計画が -再び,ラルフ・シェーマン(1935年生まれ!)の創造力に富んだ精神から生まれたものだと思うが- 形をなし,孵化した。・・・1963年の私の時間のかなりの部分が,そのような組織をつくる計画の議論に費やされた。

By 1963, it was rapidly becoming more than one individual could carry on alone even with the extraordinarily able and willing help that I had. Moreover, the expenses of journeys and correspondence - written, telegraphed and telephoned - and of secretaries and co-workers was becoming more than my private funds could cover. And the weight of responsibility of being an entirely one-man show was heavy. Gradually the scheme took shape, hatched, again, I think, by the fertile mind of Ralph Schoenman, of forming some sort of organisation. ... A good part of my time, therefore, in 1963, was taken up with discussing plans for the formation of such an organisation.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 4
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB34-070.HTM

<寸言>
  Ralph Schoenman(1935 - )はユダヤ系のアメリカ人(ニューヨークのブルックリン生まれ)で、1963年当時28歳の若者でした。ラッセルの平和運動を積極的に支援し、バートランド・ラッセル平和財団の創設に尽力し、1963年に実現します。
 ラルフ・シェーマンは大変な自信家であり、ラッセルの右腕となって活躍しますが、後でまたふれる予定ですが、しだいにラッセルの了解を得ずに、ラッセルのアピールだと称して自分の考えをアピールするようになり、問題を起こすようになっていきます。

 
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