バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 私は、前にも述べたように、近年、個人やグループをその政治上の見解や宗教的意見などの理由で投獄したり処刑したりすることに反対する仕事にしだいに深入りしてきた。私に支援を求める文書が全世界の個人や団体から絶え間なく送られてくるようになり,その数もしだいに増え,さらにはほとんど毎日,そうした団体の代表者の訪問を受けるようになった。(諸事情で)私自身遠方の国々に旅行することがずっとできないできた。そこで,私は,できるだけ直接的かつ客観的な情報を入手するために,多数の国々に自分の代理を派遣せざるをえなくなっていた。

In recent years I have become, as I have said, more and more involved in work against the incarceration and the persecution of individuals and groups because of their political and religious opinions. I have received a continually increasing number of written appeals for help from individuals and organisations all over the world and almost daily visits from representatives of the latter. I have been unable to travel to distant countries myself, so, in order to have as nearly as possible first-hand objective information, I have been obliged to send representatives to the various countries.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 4
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB34-030.HTM

<寸言>
 Amnesty International の創設者である Peter Benenson (1921年7月31日 - 2005年2月25日)がどれだけラッセルと関係したのかは不詳です。しかし、1962年10月9日付けのベネンソンのラッセル宛の手紙(message for Human Rights Day :12月10日の国連の人権デーに向けてのメッセージをラッセルに依頼?)及びそれに対する返事を(カナダの)McMaster 大学のラッセル文書館で所蔵していることになっていますので、ある程度関係していたことは伺えます。
 ラッセルが1970年2月2日に亡くなった後、妻のエディス夫人は、1978年1月1日に亡くなるまで、北ウェールズのプラス・ペンリンと名付けられた家(添付写真「プラス・ペンリンの玄関ドア」参照)に住み続けました。
 1980年夏に、友人と一緒にラッセルゆかりの地を訪れた時、プラス・ペンリンも見学に行きました。プラス・ペンリンの住人は不在でしたが、その時プラス・ペンリンの近くにいた人に、一緒に同行してくれた友人(英語担任の高校教師)が尋ねたところ、プラス・ペンリンにはアムネスティに関係している音楽家が住んでいるとのことでした。添付写真にアムネスティのロゴが見えます。

 
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