バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 その年(1962年)の最後の2,3ケ月は,キューバ危機(1962.10.14-10.28までの14日間)とその後に続いた中印国境紛争に没頭した。12月初め,この2つの事件について書きたいという私の申し出をペンギン(出版社)が受け入れてくれたので,私はそれを(翌年の)一月中に書き上げた。その本は,1963年4月に Unarmed Victory (『武器なき勝利』)という書名でペンギンとジョージ・アレン・アンド・アンウィンから出版された。私はその本の中に,当時の私の思想と行動に関して重要性のあることは,全て書いている。従ってここでそれらのことについて繰り返して言おうとは思わない。けれども,・・・。

The last months of that year were taken up with the Cuban crisis and then with the Sino-Indian Border dispute. Early in December, Penguin accepted my offer to write my account of these two happenings which I did in January. It was published by Penguin and Allen & Unwin in April under the titie Unarmed Victory.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-380.HTM

<寸言>
 何事も当事者でないと物事の真相はよくわからず、切迫感を抱くこともありません。同時代に起こったことであっても、当時キューバ危機についてどのように報道されたか、どう思ったかあるいはまったく関心を抱かなかったのか、幼少期におこった政治的事件(キューバ危機)に関することなど記憶に残っていません。(政府高官が国会の答弁で便利に使う「記憶がありません」という嘘(=急性記憶喪失)ではなく、本当に記憶がありません、というより、思い出せません。)
 しかし、キューバ危機勃発当時に大人であり、世界政治に関心を持っていた一部の人々は「ラッセルが世界を救ってくれた」と証言しています。一例をあげると、東大法学部の碧海純一教授(故人)は、ラッセルに1964年1月3日付けで送った公開書簡で次のように書いています。
「キューバ危機以後、緊張が次第にやわらぎ、東西関係が目に見えて改善されてきたのを見て、私たち日本人は心から喜び、かつ安堵しました。そして、あなたの指導してこられた世界世論が東西間の緊張緩和にあずかって力あったことを思い、多くの日本人はあなたのご尽力に対して満腔の敬意を表したのでした。この時期にあたり、将来の人類にとって非常に重要だと思われるひとつの問題について、あなたの意見を承りたいと存じます。・・・(以下略」
https://russell-j.com/cool/R-AOMI01.HTM

 キューバ危機におけるラッセルの働きかけは、ケネディに対してはまったく影響がなかったがフルシチョフに対しては一定の影響があった、というのが事実かも知れません。  ウィキペディアには、「著名な哲学者であったバートランド・ラッセルはケネディに「貴下の行為は無謀で正当化の余地がない」と電報を送り、フルシチョフには『貴下の忍耐こそ我々の希望である』と打電している」との記述があります。
 ただし、これについて、ラッセルは『自伝』で次のように一部反省する言葉を述べています。
「この2つの事件については,その後もさらに検討したけれども,私の見解に変わりはない。私を批判する人たちに対して,(平和の象徴の)オリーヴの枝として,次の言葉だけを捧げよう。即ち,私がケネデイ大統領に(1962年)10月23日に送った電報をもっと穏やかな言葉で言い表わさなかったことを残念に思う,と。あの電報の"率直さ"が大きな影響力を及ぼしそうもないものにしたという批判に,私も同意する。」

 
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