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(公開/往復書簡)「碧海純一教授からバートランド・ラッセル卿へ」

* 出典:『東京新聞』1964年1月3日付第3面掲載

* ラッセル卿略歴:省略
* 碧海純一 略歴:大正13年名古屋市生まれ。昭和23年東大法学部卒業。昭和36年東大法学部教授。著書:『法哲学概論』(弘文堂)、『ラッセル』(勁草書房)。翻訳:アラン・ウッド著『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家-』(みすず書房)、その他

 一九六四年は、輝かしい希望の年であろうか。ケネディ暗殺の暗いニュースのショックが薄らがないうちに、一九六三年の幕がおりた。世界平和への道は、果たして平坦であろうか。人類滅亡の危磯を救い、東西の緊張を緩和させるため、九十歳をこえる老体をひっさげて尽力しているパートランド・ラッ七ル卿は、この年頭にあたり、どんな考えをもっているだろうか。本社(東京新聞)では、ラッセルの思想普及のため努力している東大法学部・碧海純一教授をわずらわし、往復書簡の形で聞いてみた。この企てにたいしてラッセル卿は、快く応じて、昨年末設立されたばかりの「パートランド・ラッセル平和財団」への協力を、はじめてわれわれに呼びかけたのち、「人類全滅の危機を救うのは、各個人が、個人行動や社会行動にたいして責任を持つことだ」と強調した。


世界の危機を救うもの(上)
 → 世界の危機を救うもの(下)

失われた伝統的価値、合理主義で埋められるか?

バートランド・ラッセル卿へ (碧海純一教授より)

 キューバ危機以後、緊張が次第にやわらぎ、東西関係が目に見えて改善されてきたのを見て、私たち日本人は心から喜び、かつ安堵しました。そして、あなたの指導してこられた世界世論が東西間の緊張緩和にあずかって力あったことを思い、多くの日本人はあなたのご尽力に対して満腔の敬意を表したのでした。
 この時期にあたり、将来の人類にとって非常に重要だと思われるひとつの問題について、あなたの意見を承りたいと存じます。

 一八九六年の名著『ドイツ社会民主主義論』(松下注:German Social Democracy, 1896:みすず書房より邦訳が出ています。)以来、膨大な著述を世に問うてこられました。哲学、論理学、数学基礎論のような専門分野で青史に残る名著が含まれていると同時に、一方では、一般読書人のために、明快・流麗で機知に富む文体で書かれた書物も非常に多く見出されます。こうした著述の中で、あなたは終始一貫、科学的・合理的な考え方を擁護し、あらゆる形の独断や狂信――なかんづく集団的狂信――に対して忌憚のない批判を続けてこられました。
 しかし、あなたもよくご存じのとおり、このような合理主義の考え方に対しては、昔から有力な反対があり、しかも、現代では、この反対論を支持する声がますます高まってきているように見えます。そして、反対論者があげる第一の、そして最大の理由は、科学的・合理的な考えかただけでは、宗教はもとより、道徳を基礎づけることもできず、社会は無責任的な人々の集まりと化し、たとえ物質的な生活水準は上がっても、精神面での生活は空虚な、生き甲斐のないものになってしまうということです。
 合理主義の批判者によれば、道徳、宗教や古来の淳(じゅん)風美俗を尊重する気風が衰えたのは、何よりもまず、合理的・科学的なものの考えかたの普及によるものだといわれます。日本でもひろく支持されているこの見解によれば、要するに、現代科学が昔ながらの美徳に痛撃を与えたために、大きな精神的空白が生じ、その空白が埋められていないところに、現代の禍根がある、ということになります。科学という禁断の木の実を味わった若い人々の数が、年々増加する一方だとすると、事態は今後さらに一層むずかしくなるだろうと心配する人もいます。
 合理主義をとる者にとっても、この問題はやはりきわめて重大だと私は思います。そこで私があなたに伺いたいのは、現代のような時代において、失われた伝統的価値に代わるべきものを――それも、単なる気休めや神話でなく、ほんとうの代役を――捜しあてることが、果たして可能でしょうか。
 科学や合理的な哲学だけでこの空白を埋めることが果たして可能でしょうか。もしそれが不可能だとすれば、未来の世界の人々はどうすれば、偶像や神話話や狂信を複活させることなしに、精神的に充実した生活を送ることがでできるでしょうか。
 これは、人類が現在の核戦争の危機を幸いにのりこえたとして、つぎに当面するむずかしい問題のひとつだと私は思います。この点につき、率直な御意見をお聞かせくださるならば、幸いだと存じます。
 筆をおくにあたって、日本流に、あなたの御健康をお祝りし、いっそう御自愛をお願いしたいと存じます。