バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 私が九十歳代の人間になることに関連して行なわれたこのような楽しいお祭り騒ぎが全て終わると,私たち夫婦はウェールズに引っ込んだ。(この年)ロンドンに戻ったのは,国際的な核や軍縮に関する政策についてウ・タント国連事務総長と語り合うための,7月の2,3日間のみであった。[右下写真(ラッセルとウ・タント事務総長)出典:The Life of Bertrand Russell in Pictures and in His Own Words, c1972]私が彼と会ったのはこれが最初だった。そうして,彼が精力的であることや問題を明確に把握することだけではなく,バランスのよくとれた客観性と思慮深さ及び彼の非常に愉快かつ上品なユーモアによって,大いに印象づけられた。

When all this pleasant fuss to do with my becoming a nonagenarian had passed, we retired to Wales, returning to London only for a few days in July for the purpose of talking with U Thant about international nuclear and disarmament policies. This was the first time that I had met him and I was greatly impressed not only by his energy and clear grasp of affairs, but by his balanced objectivity and thoughtfulness and his delightful good humour.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-370.HTM

<寸言>
 ウ・タント国連事務総長(第三代)は、今話題のミャンマー(当時の呼び方はビルマ)出身で、在任期間は、1961年11月から1971年末までと、歴代の事務総長のなかで最長です。ラッセルと対等の会話ができたということから、知性と教養にあふれた人物であったのだろうと想像されますが、事実、ウィキペディアには、「タントは熱心な読書家となり、学校の友人からは”哲学者"というあだ名で呼ばれていた」「父の死後、タントは4年制大学には通えないと考え、1926年にラングーン大学の2年間の教員課程に入学・・・。タントは、大学哲学協会の共同書記に選ばれ、文芸討論会の書記にも選ばれた」と書かれています。
 ラッセルとウ・タントの会談(7月に実施)の3ヶ月後の1962年10月に、突然キューバ危機(核戦争の危機)が起こります。キューバ危機においては、ラッセルは,危機回避のため米ソの首脳と何度もコンタクトをとりましたが、当然のこと、ウ・タント事務総長とも連携しました。(キューバ危機については近いうちにまたふれます。)

 
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