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When all this pleasant fuss to do with my becoming a nonagenarian had passed, we retired to Wales, returning to London only for a few days in July for the purpose of talking with U Thant about international nuclear and disarmament policies. This was the first time that I had met him and I was greatly impressed not only by his energy and clear grasp of affairs, but by his balanced objectivity and thoughtfulness and his delightful good humour.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-370.HTM
<寸言>
ウ・タント国連事務総長(第三代)は、今話題のミャンマー(当時の呼び方はビルマ)出身で、在任期間は、1961年11月から1971年末までと、歴代の事務総長のなかで最長です。ラッセルと対等の会話ができたということから、知性と教養にあふれた人物であったのだろうと想像されますが、事実、ウィキペディアには、「タントは熱心な読書家となり、学校の友人からは”哲学者"というあだ名で呼ばれていた」「父の死後、タントは4年制大学には通えないと考え、1926年にラングーン大学の2年間の教員課程に入学・・・。タントは、大学哲学協会の共同書記に選ばれ、文芸討論会の書記にも選ばれた」と書かれています。
ラッセルとウ・タントの会談(7月に実施)の3ヶ月後の1962年10月に、突然キューバ危機(核戦争の危機)が起こります。キューバ危機においては、ラッセルは,危機回避のため米ソの首脳と何度もコンタクトをとりましたが、当然のこと、ウ・タント事務総長とも連携しました。(キューバ危機については近いうちにまたふれます。)
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell