バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 私の誕生日(90歳)の最後の公式の祝賀行事がその次の週にあった。フェンナー・ブロックウェイが大変親切にも,私の誕生日を祝して国会下院で開かれた昼食会に私を招待してくれたのである。(しかし)上院及び下院いずれのいかなる議員も,私の誕生日を祝う気持ちになっていることはありそうにないと思っていたので,私は,この昼食会に対していくらか神経質になっていた。私たち夫婦が,祝宴が開かれることになっていたハーコート・ルームに案内されるのを'控え室'で待っていた時,また,議員達が食前酒で元気づけているのをかなり思い悩みつつ見守りながら戸口に立っていた時,私の緊張は高まった。しかし,昼食会が始まると,それは楽しく友好的なものであり,出席した大勢の人々は度量が大きいと思った。私は政治家達の活動に関して(昼食会があるからといって)しばらくの間批判を手加減するということはなかったし,この昼食会においても,議員達に直接語りかけることは良い機会であり,また実際,責務であるので,手加減することはなかった,と思う。

The last formal celebration of my birthday took place the following week when Fenner Brockway most kindly invited me to a luncheon in my honour at the House of Commons. I was somewhat nervous of this as it seemed unlikely to me that any Members of either House would turn up to do me honour. My tension mounted as we waited in an anteroom to be led to the Harcourt Room where the banquet was to take place and, again, stood at the door rather wistfully watching the Members fortify themselves with preprandial drinks. But, when the party began, it was pleasant and friendly, and I thought it generous of many of those present to be there. I had not for some time been pulling my punches in regard to the activities of politicians, nor, I fear, did I on this occasion, seeing a chance and, indeed, an obligation, to speak to them direct.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-360.HTM

<寸言>
 日本でもこういったお祝いに妻も一緒に招待されることが増えていると思われますが、1962年当時の日本ではそのようなことはほとんどありませんでした。
 それはさておき、日本では、叙勲されたり、いろいろな賞をもらったりして社会的評価が高くなると、とても分別が身につき、政府や各界のお偉方(賞を授与してくださる方々)を批判するようなことはさしひかえるようになります。「寛容」の精神を身に着け、「忖度」は「思いやりの心」だと言ったりする人まで出てくる始末です。90歳にもなればそのように「丸くなる」のは普通かも知れないですが・・・。

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