|
I was unable to go to this first conference because of my age and my health. ...Since that time I have made several journeys abroad, though none so long as that to Pugwash. I fight shy of longer journeys partly because I fear if I go to one country people in other countries who have pressed me to go there will be affronted. The only way around this, for one who is not an official personage, is to renounce distant travels.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB32-330.HTM
<寸言>
1965年に日本バートランド・ラッセル協会が設立され(早稲田大学大隈会館で創立総会開催)、その初代会長に朝日新聞論説主幹の笠信太郎氏が選出されました。その関係もあり、朝日新聞社主催のもと、ラッセルを日本に招待しようという動きがありました。しかし、高齢(1965年当時ラッセルは93歳)を理由に、ラッセル招待は実現できませんでした。
日高一輝氏(故人/当時日本バードランド・ラッセル協会常任理事)は、日高一輝著『世界はひとつ,道ひとすじに』の中で、次のように書いています。
https://russell-j.com/cool/HIDA-ONE.HTM
「(日高は)当時,最も身近な相談相手として相談にのってもらっていた朝日新聞論説主幹の笠信太郎先生(日本バードランド・ラッセル協会初代会長)を茅ヶ崎の自邸に訪ねた。先生は,即座にこのプランに賛意を表された。そして,ラッセル卿夫妻を日本に招待する費用は,一切,朝日新聞が負担することにしようと約束してくださった。ただ、朝日一社がみるということにすると、他社が協力しなくなるし、不偏不党の全国歓迎態勢を整えることが難しくなる。それで、表向きは、世界平和アピール七人委員会(湯川秀樹ほか/日高一輝氏が,一時期,事務局長)の招待とする方がいいとアドバイスしてくれた。つまるところそれも、ラッセル卿がはたして請いを受けてくれるかどうかにかかっている。それでまずわたしが、ロンドンで卿の意向を打診することが先決ということになった。・・・。)
ちなみに、日高一輝(著)『世界はひとつ,道ひとすじに』(八幡書店,1986年12月 304pp.)の出版記念パーティ(世界連邦建設同盟理事長・日高一輝を励ます会 1987年7月7日/参加費1万円)に私も日高氏から無料招待していただき、出席させてもらいました。発起人(20人)に、ラッセル協会二代目会長の谷川徹三氏がはいっているのは当然としても、横田喜三郎(元最高裁判所長官)や小坂善太郎(日本国連協会会長、元外務大臣)、湯川スミ(湯川秀樹未亡人、世界連邦建設同盟会長)、茅誠司(元東大総長)、各宗教団体のトップ、その他、錚々たるメンバーがリストアップされており、ビックリしたのを記憶しています。
20人に興味がある方は、下記を参照してください。
https://russell-j.com/cool/HIDA-TWO.HTM
ラッセル関係電子書籍一覧
#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell