バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 オーストラリアから帰国すると間もなく私は,再び渡米した。私は,ニューイングランド州の有名な女子大であるマウント・ホーリヨーク大学(1837年創立/大学設置は1893年の米国初の女子大で入学難関校の一つ)で一ケ月間の哲学の短期講座を受け持つよう依頼されていた。そこから私はプリンストン(高等研究所)ヘ行き,いつものように講演をし,多くの旧友と再会した。その中にはアインシュタインもいた。プリンストンで私は,ノーベル賞授与の知らせを受けた。しかし,その時の米国訪問で一番記憶に残っているのは,コロンビア大学のマチェット基金(財団)のために行なった3回の連続講演(講義)であった。

Soon after my return from Australia, I went again to the United States. I had been asked to 'give a short course' in philosophy for a month at Mt Holyoke College, a well-known college for women in New England. From there I went to Princeton where I, as usual, delivered a lecture and again met various old friends, among them Einstein. There I received the news that I was to be given a Nobel Prize. But the chief memory of this visit to America is of the series of three lectures that I gave on the Matchette Foundation at Columbia University
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3.
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-200.HTM

<寸言>
 ラッセルは1940年にはいわゆるバートランド・ラッセル事件によって全米から排斥されましたが、第二次世界大戦をはさんでちょうど10年で世の中は激変し、時代の寵児になり、引く手あまたになりました。
 ノーベル文学賞授与はラッセルにとってはあまりたいしたことではなかったのかも知れませんが、世間(一般市民)や体制側/権力側からの「社会的」評価はとても高まりました。ラッセル自体は変わっていないのですが・・・。

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