バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 1944年の前半期に大西洋を渡るということは,なかなかめんどうなことであった。ピーター(妻)とコンラッド(次男)は,クイーン・メリー号で,航海速度は非常に速かったが極めて不快な船旅をした。・・・。私自身は,自転車くらいの速度で威風堂々と航海する巨大な'護送船'に乗り,コルベット艦(機雷掃海や対潜水艦用として開発された小型の高速護衛艦)と飛行機によって護衛されて,英国に送られた。・・・。
 心から私に共鳴していた船員が一人いた。彼は機関長で,(私の)『相対性理論入門』を読んでいたがその著者のことは何一つ知らなかった。ある日,私が彼とデッキの上を歩いている時,彼はこの小著の価値を賞賛し始めた。それで,その本の著者は自分だと言ったところ,彼の喜びようは際限のないものであった。

Crossing the Atlantic in the first half of 1944 was a complicated business. Peter and Conrad travelled on the Queen Mary at great speed but with extreme discomfort, ... As for me, I was sent in a huge convoy which proceeded majestically at the speed of a bicycle, escorted by corvettes and aeroplanes.
There was one officer who whole-heartedly approved of me. He was the Chief Engineer, and he had read The ABC of Relativity without knowing anything about its author. One day, as I was walking the deck with him, he began on the merits of this little book and, when I said that I was the author, his joy knew no limits.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-010.HTM

<寸言>
 なぜラッセルは妻子と一緒の船に乗れなかったのか、その理由は前回の引用(「一同爆笑のうち、私の渡航許可が即座に認められた」)の直後に書かれています。許可がおりなかったのは、世界共通の「官僚の頭の硬さ」のせいで、次のように書かれています。

「しかしながら,妙な難問がまだ残っていた。妻と私は(渡航のための)優先権順位Aを得たが,息子のコンラッドはまだ立法機能がまったくないため− Bしか得られなかった。当然のこと,私たちは,7歳のコンラッドがその母親と一緒に旅行できるように望んだが,そのためには,妻が優先順位Bに分類されることに同意しなければならなかった。権利を与えられた格付け(分類)よりもより低い格付け(分類)を受ける人が出てくるなどという例は,それまで全然なかったために,役人たちはみな当惑し,彼らが理解するのに数ケ月かかった。しかしながら,ついには,まず妻のピーターとコンラッドの出航日が決まり,約2週間後に私の出航日が決まった。私たちは,1944年5月,アメリカを後に出帆した。」

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