バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 1936年に(注:ラッセル64歳)、私はピーター・スペンスと結婚した。そして1937年に,一番下の子のコンラッドが生まれた。これは大きな幸せであった。コンラッドが生まれて2,3ケ月後に,ついにテレグラフ・ハウスを売ることに成功した。何年もの間全然申し込みがなかったが,突如として二人の買い手が現れた。一人はポーランドの公爵であり,もう一人は英国の実業家であった。彼らが競りあうことになったので,24時間で,彼らの申し出価格を1,000ポンド分,つり上げることに成功した。最後は実業家が勝利をおさめた。それまで,それが処分(売却)できなければ手持ちの金を費やさなければならず,それもごくわずかしか残っていなかったので,破産するかもしれないという'悪夢'に脅かされていたが,これでその悪夢からも解放されることになった。

In 1936, I married Peter Spence and my youngest child, Conrad, was born in 1937. This was a great happiness. A few months after his birth, I at last succeeded in selling Telegraph House. For years I had had no offers, but suddenly I had two: one from a Polish Prince, the other from an English business man. In twenty-four hours, owing to their competition, I succeeded in increasing the price they offered by £1000. At last the business man won, and I was rid of the incubus, which had been threatening me with ruin since I had to spend capital so long as it was not disposed of, and very little capital remained.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB25-070.HTM

<寸言>
 ドーラ(2番目の妻)もラッセルも自由恋愛論者でした。しかし、ラッセルは、恋愛は自由であっても、結婚においては他に子供を作らないなどの一定のルールがあると考えていました。
 しかし、ドーラは別の男性との間にも子供をもうけ、同居させたために、ラッセルはドーラと共同生活を送ることができなくなりました。
 パトリシア・スペンス(通称、ピーター)は、ドーラとの間に生まれた子供の家庭教師をしていたオックスフォード大学の学生でしたが、ラッセルの仕事も手伝い、お互い愛するようになり、ドーラと別居した後、しばらくして二人は結婚しました。親子以上に年の差のあるカップルでした。

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