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・・・長江(揚子江)上の日々は,ヴォルガ河での身の毛のよだつ日々と同じ強さで(ただし正反対の)楽しいものであった。漢口から長沙(Changsha)に行った。そこではある教育会議が開かれていた。その教育会議の関係者は,私たちが長沙に一週間滞在し,毎日講演することを希望したが,私たちは,二人とも疲れはてていて,休息のチャンスを得たいと願っていたので,はやく北京に戻ることを熱望した。そこで,湖南省の省長が,個人的に,武昌(Wuchang)への全行程に特別列車を仕立てることも含め,考えつくあらゆる誘引物を提供してくれたにもかかわらず,私は24時間(丸1日)以上滞在することを断わった。
The days on the Yangtse were as delightful as the days on the Volga had been horrible. From Hankow we went to Changsha, where an educational conference was in progress. They wished us to stay there for a week, and give addresses every day, but we were both exhausted and anxious for a chance to rest, which made us eager to reach Peking. So we refused to stay more than twenty-four hours, in spite of the fact that the Governor of Hunan in person held out every imaginable inducement, including a special train in all the way to Wuchang.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-030.HTM
<寸言>
ラッセルは、中国講演協会の招待で、1920年10月中旬から1921年7月上旬まで中国に滞在し、中国各地で講演しました。ここに出てくる教育関係会議かどうかはわかりませんが、毛沢東はラッセルの長沙での講演を聴講しています。それについて(故)新島淳良早稲田大学政経学部教授(当時)は次のように述べています。
「バートランド・ラッセル氏と毛主席とをならべると、たいていの人は、二人が正反対の生き方をし、まったく相互に無関係だと思いやすい。だが、二人の人柄や思想をくらべてみると、意外に縁がふかいようである。
毛沢東主席は、私の知るかぎり、ラッセル氏について三回発言している。その前後の事情や発言の全文は、近刊のラッセル(著),牧野力(訳)『中国の問題』巻末の解説に紹介しておいたからここでは省略するが、若き日の毛沢東氏は一九二〇年一〇月、湖南省長沙で、ラッセル氏の講演(「ボリシェヴィズムと世界政治」)を親しくきいており、友人たちと少くとも数か月、ラッセル氏の思想について討論している。三回の発言のうち二回はこの時期のものである。・・・後略・・・」( 新島淳良「バートランド・ラッセル氏と毛主席」 出典:『ラッセル協会会報』n.15(ラッセル卿追悼特集号:1970年5月)pp.17-18)
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