新島淳良「バートランド・ラッセル氏と毛主席」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第15号(ラッセル卿追悼特集号:1970年5月)pp.17-18
* 新島淳良氏(故人)は当時、早稲田大学政経学部教授
(訃報)新島淳良さん73歳(にいじま・あつよし=元早稲田大教授、中国思想史専攻)2002年1月12日、肺炎のため死去。葬儀は14日午前10時、津市高野尾町5010の自宅。喪主は妻里子(さとこ)さん。毛沢東思想の紹介者として知られたが、1973年に教授を辞め、農業中心の共同生活を営む「ヤマギシ会」に入会。転身が話題を集めた。
バートランド・ラッセル氏と毛主席とをならべると、たいていの人は、二人が正反対の生き方をし、まったく相互に無関係だと思いやすい。だが、二人の人柄や思想をくらべてみると、意外に縁がふかいようである。
毛沢東主席は、私の知るかぎり、ラッセル氏について三回発言している。その前後の事情や発言の全文は、近刊のラッセル著・牧野力訳『中国の問題』巻末の解説に紹介しておいたからここでは省略するが、若き日の毛沢東氏は一九二〇年一〇月、湖南省長沙で、ラッセル氏の講演(「ボリシェヴィズムと世界政治」)を親しくきいており、友人たちと少くとも数か月、ラッセル氏の思想について討論している。三回の発言のうち二回はこの時期のものである。
第三回目は一九六五年一二月で、そこではラッセル氏から著書をおくられたので訳させて読んだこと、ラッセル氏はアメリカ帝国主義に反対し、ソ連修正主義に反対し、ベトナム人民を支持している「唯物論者」であること、などが語られている。ラッセル氏は毛主席のこのような自分への評価を知ることもなく死去されたのではないかと思う。
だが、私がこの二人は縁がふかいと感ずるのは、右のような現実の接触のことを指すのではない。二人の気質と思想とが驚くほどよく似ていると思うのである。二人とも文学の才能にめぐまれ、みずから創作をした。二人とももっともよくユーモアを解する人である。―たとえば毛主席は,「世の中にはただ二種類の人だけが誤りを犯さない。それはまだ生まれていない人と、死んでしまった人である」というような言い方をよくするが、これをラッセル氏のものだといえば信ずる人も多いだろうと思う。
しかし、もっと共通点があるのはその思想である。私は自己流に、現代において、教条主義批判の哲学者は毛主席とラッセル氏とをもって双壁とすると考えている。この問題で、ラッセル氏は周知のように、「直接知による知識」と「記述による知識」とを区別し、後者は前者に還元されること、後者は「それが真であると知ってはいても、それを知ってはいない」ことを明らかにした(『哲学の諸問題』)。毛主席は、人の知識を直接経験による知識と間接経験による知識に分け、後者はすべて前者に還元でき、後者の知識しか持たぬ者を「半知識分子」とよんだ(「われわれの学習を改革せよ」)。
ラッセル氏は、必然性ということが科学の世界ではありえず、蓋然性しか望みえないことを明らかにした(『神秘主義と論理』)が、毛主席も、認識は永遠に未完であり、いわゆる正しい認識とは、経験的に検証可能な系の限られた過程についてしか言われないことを明らかにした(『実践論』)。これらはいずれも教条主義批判の原理となる。
毛主席は形式論理学で解明できることには限界があることをしばしば語っているが、いっぽう、すべての幹部が、形式論理学と数学を学ばなければならない、と指示した(一九五八年一月「工作方法六十条」)。これなどもラッセル氏の論理学、とくにアリストテレス論理学批判と符節を合するように思われる。私がとくに興味ふかく思うのは、毛主席が「矛盾論」で、現実に存在する無限の矛盾のうち、一種だけが「主要矛盾」である、という命題を提起したことである。この命題は、ラッセル氏の「無限数がある場合には、数えることに相当する行為は、われわれがそれを実行する操作如何によって全く異なる結果を与える」(「数学と形而上学者達」)という指摘を想起させる。数学は、近代になってから「順序」ということにますます多くの重要性を与えつつあるというが、毛沢東哲学における「主要」「次要」(主要に次ぐ)という概念は、諸種の系列とそれらの諸関係、順序の論理を、ラッセル氏とは別な形で構想したものということができるようである。
さいごに、ラッセル氏と毛主席とを「改良主義者」対「革命主義者」として対立的にとらえることはあたらない、ということについて触れておきたい。
十九世紀的進化論全盛の思想風土では、革命とは「突然の」「全体的変化」であり、かならず「短期間の過程」であり、「非日常的行動」による「政治権力の争奪」を意味し、改良とは「漸進的な」「部分的変化」であり、「長期の過程」であり、「日常生活における変化」を意味した。しかし、毛主席の指導する中国革命は、長期の、したがって部分的・日常的な変革をつみかさねる、かならずしも政治権力だけを変革の対象にしない(たえず文化革命を提起する)そういう運動であった。そこでは、はじめから一九世紀的な革命対改良の対立は無意味であった。そういう「革命」の日常化という現代の情況を洞察していた点でラッセル氏と毛主席とは、思想の深い所で一致しているように思われる。(松下注:ラッセルと毛沢東の類似性・親近性の主張には、納得できる面があるとともに、少し無理があるように思われます。)