バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

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 彼(E. D. Morel)は私のように第一部(の快適な独房)ではなかった。そのため健康を害し,ついに回復しなかった。すべてこうしたことにもかかわらず,彼の勇気は決してくじかれなかった。彼は,しばしばおじけづくラムゼイ・マクドナルド(後に英国首相)を慰めるためによく夜ふかしをした。しかしマクドナルドは,内閣を組閣する機会がやってきた時,モレルのように親独(ドイツびいき)という汚名で傷ついた者を入閣させることを考えることはできなかった。モレルはマクドナルド(首相)の忘恩行為に深く傷ついた。そうしてその後まもなく,獄中生活が原因で罹った心臓病で亡くなった。

He ( = E. D. Morel) was not, like me, in the frrst division (Brixton Prison), and he suffered an injury to his health from which he never recovered. In spite of all this, his courage never failed. He often stayed up late at night to comfort Ramsay MacDonald, who frequently got 'cold feet', but when MacDonald came to form a government, he could not think of including anyone so tainted with pro-Germanism as Morel. Morel felt his ingratitude deeply, and shortly afterwards died of heart disease, acquired from the hardships of prison life.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
 More info.:https://russell-j.com/beginner/AB21-330.HTM

<寸言>
 以前は敵国ではなくても、いったん戦争になると相手国は敵国となります。そうして、自国に戦前から住んでいた相手国の人たちは敵国人となり、迫害を受けることになります。彼らに罪はないにもかかわらず冷たい視線が注がれ、大部分の人が生活に困窮することになります。
 英国においても同様でした。第一次大戦下に英国に住んでいたドイツ人は敵国人であり、生活に困窮しますが、そういった人たちを助けることは「親独(ドイツ人びいき)」として非難されます。ラッセルの場合も、人道的な理由から英国在住のドイツ人を支援しようとしますが、親独ではないか疑われ、監視されることになってしまいました。

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