実際の想起(思い出すこと)の他に,多少とも記憶に類似した種々の他の要素 -例えば,過去の経験の結果形成されてきた習慣- が人格に加わってくる。「経験」が単なる出来事と異なるのは,生命のあるところでは事象(出来事)が習慣を形成できるからである。動物は,また人間はもっと,生命のない物質にはないやり方で経験によって形作られる。もし一つの事象が他の事象と習慣形成をもつ特別なやり方で因果的に関係しているなら,その場合には,その二つの事象は同じ「人物」に属している。これは記憶だけによる定義より広い定義(法)であり,記憶による定義が含んでいる全てのもの及びそれ以上の多くのものを含んでいる。
In addition to actual recollection, various other elements, more or less analogous to memory, enter into personality - habits, for instance, which have been formed as a result of past experience. It is because, where there is life, events can form habits, that an "experience" differs from a mere occurrence. An animal, and still more a man, is formed by experiences in a way that dead matter is not. If an event is causally related to another in that peculiar way that has to do with habit-formation, then the two events belong to the same "person." This is a wider definition than that by memory alone, including all that the memory-definition included and a good deal more.
Source: Religion and Science, 1935, chapt. 5:
More info.: https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-250.HTM
<寸言>
記憶が「ない」という言い方はあいまいなところがある。つまり、記憶が「されていない」のか、記憶が「されている」かもしれないが、想い出す(想起する)ことができないのか、どちらなのかわからない。しかし、国会の答弁で「記憶にありません」というのはそのどちらでもなく、「ただ嘘をついているだけ」という場合が多い。