『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.260に引用されているラッセルの言葉です。(n.44)
その誤報は私に,自分の死亡記事を読むという楽しみを与えてくれた。それは -そのような望みがかなえられるとは思ってもいなかったけれども- 私がずっと望んでいたことである。キリスト教系のある新聞が,次のような一行の私の死亡記事を載せていたのを記憶している。
「宣教師は,バートランド・ラッセル氏死去の報に接し,安堵から胸をなでおろしても許されるであろう。」
結局は私が死ななかったことを聞き,彼らは別の種類のため息をついたにちがいない。
It (= The news that Russell was dead) provided me with the pleasure of reading my obituary notices, which I had always desired without expecting my wishes to be fulfilled. One missionary paper, I remember, had an obituary notice of one sentence: 'Missionaries may be pardoned for heaving a sigh of relief at the news of Mr. Bertrand Russell's death. I fear they must have heaved a sigh of a different sort when they found that I was not dead after all.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2:1914-1944, p.132
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB23-110.HTM
<寸言>
新聞が記事を掲載し、それが誤報だとわかれば必ず訂正及びお詫びの記事を載せるはずである。しかし、当時の大阪毎日新聞はとうとう掲載しなかった。((注:『大阪毎日新聞』1921年3月29日朝刊第2面」「思想界の巨星,ラッセル氏逝く」)