『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.109で引用されているラッセルの言葉です。(n.22)
「私は,ほんの少し前にひどい悪評を浴びせかけられていたニューヨークで,私の講演(注:1950年11月、コロンビア大学での3日間の連続講義)が人気を博し,多くの人々をひきつけたようであり,驚かされた。・・・しかし驚いたことに,講演(講義)が進むにつれて,熱心な学生たちがしだいにその数を増し,講堂がいっぱいになってしまった。来場者があまりに多すぎたために,多くの来場者が,立錐の余地さえなくて立ち去らなければならないほどであった。それはまた主催者である大学当局にとっても驚きであっただろうと思われる。」
I was astonished that, in New York, where I had been, so short a time before, spoken of with vicious obloquy, my lectures seemed to be popular and to draw crowds. ... But what amazed me was that the hall should have been packed with enthusiastic students in increasing numbers as the lectures proceeded. There were so many that crowds of those who came had to be turned away for lack of even standing room. I think it also surprised my hosts.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3.
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-200.HTM
<寸言>
いやな人間性と言うか、面白い人間性と言うか、好意を持って注目を浴びている人間の言うことは「良く聞こえる」。また、言っていることを余り理解できなくても、理解できた(同感した)と思ったりすることも少なくない。 まあ、「受ける」ことは心地よく、悪いことではないが・・・。