バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

『バートランド・ラッセル-反核の論理学者』(学芸みらい社刊)p.47で言及されているラッセルの言葉です。

ある暑い日,二人の肥った中年の実業家が,ある非常に有名な半ば朽ちたパゴダ(注:仏塔)を見に,自動車で田舎に出かけようと,私を誘ってくれた。私たちがそこに到着すると,私は螺旋階段を上っていった。彼らも後からついて来ると思っていたが,塔のてっぺんに上りきってから見下ろすと,彼らはまだ地上に立っていた。なぜ上って来なかったのか理由を尋ねたところ,彼らは驚くほど厳粛な面持ちでこう答えた。
「私たちは上ろうと思っていました。しかし,上っていくべきかどうか議論しました。賛成反対の両側から,多くの重要な論点(議論)が出されました。しかし,ついに,私たちの態度を決定した論点(議論) が出されました。つまり,このパゴダはいつ崩れるかわからない状態ですので,もし崩れた場合,この哲学者がどのようにして死んだか目撃証言することのできる者がいることは良いことだろう,と私たちは思いました。」。


One hot day two fat middle-aged business men invited me to motor into the country to see a certain very famous half-ruined pagoda. When we reached it, I climbed the spiral staircase, expecting them to follow, but on arriving at the top I saw them still on the ground. I asked why they had not come up, and with portentous gravity they replied: 'We thought of coming up, and debated whether we should do so. Many weighty arguments were advanced on both sides, but at last there was one which decided us. The pagoda might crumble at any moment, and we felt that, if it did, it would be well there should be those who could bear witness as to how the philosopher died.'
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2, chapt.3,
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB23-080.HTM

<寸言>
 昔学校でならった漢文などではこういった牧歌的でユーモアにあふれた逸話にあふれていた。しかし、戦後は、特に1949年に中国で共産主義革命が起こったあとは、こういったほのぼのとしたお話は人口に介さなくなっている。