バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 デカルトは,ガリレオが1616年に有罪判決を受けたことを聞いて恐怖にかられ,オランダに逃亡した。オランダでは,神学者たちがデカルトを処罰するよう叫んだが,オランダ政府は宗教上の寛容の原則をあくまでも支持した。とりわけ,プロテスタント教会は,教皇不可謬説(infallibility 無謬説/papal infallibility 教皇不可謬説/無謬説)に妨げられなかった。(プロテスタント諸国でも)聖書は言葉の上で霊感に充ちていると受けとられていたが,その解釈は個人の判断に委ねられ,間もなく,不都合なテキスト(聖句)をうまく釈明する(explain away)いろいろな方法が発見された(のである)。

Descartes, who was terrified when he heard of Galileo's condemnation in 1616, fled to Holland, where, though the theologians clamoured for his punishment, the Government adhered to its principle of religious toleration. Above all, the Protestant Churches were not hampered by the claim of infallibility. Though the Scriptures were accepted as verbally inspired, their interpretation was left to private judgment, which soon found ways of explaining away inconvenient texts.
 情報源: Religion and Science, 1935, chapt. 1
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-160.HTM

 <寸言>
 デカルトは後にスウェーデン女王に招かれてスウェーデンに言ったが、そこで風邪をこじらせて「客死」。
 ラッセルも1950年12月にノーベル文学賞受賞のためにスカンジナヴィア(スウェーデン)に行ったが、デカルトの先例を思い出し、高齢の身なので心配だったと「ラッセル自伝」に書いている。
https://russell-j.com/beginner/AB31-230.HTM