実際,世界を創造した(キリスト教の)神の目的は,主として,人間(人類)に関係しているものだと思われる。もし,人間(人類)が(神の)被造物の最も重要なものでなかったなら,(神のキリストにおける)顕現や贖罪(注:キリストが人間の罪を背負って受難したこと)の教えはおそらくありえなかったであろう。コペルニクス天文学の中には,我々(人間)が自身を(重要だと)と自然に考えているほど重要ではないということを証明しようとするようなところはない。しかし,我々の惑星(地球)を(宇宙の)中心的位置から強制的に退位させることは,我々人間の想像力に対し,地球上の住民の強制退位を同様に示唆する。太陽と月,(また)惑星と恒星が日に一度地球の周りを回ると考えられていた間は,それらは我々人間(人類)のために存在し,我々は創造主にとって特別な関心事(関心の対象)であると考えることは容易であった。
Indeed God's purposes in creating the universe appear to be mainly concerned with human beings. The doctrines of the Incarnation and the Atonement could not appear probable if Man were not the most important of created beings. Now there is nothing in the Copernican astronomy to prove that we are less important than we naturally suppose ourselves to be, but the dethronement of our planet from its central position suggests to the imagination a similar dethronement of its inhabitants. While it was thought that the sun and moon, the planets and the fixed stars, revolved once a day about the earth, it was easy to suppose that they existed for our benefit, and that we were of special interest to the Creator.
情報源: Religion and Science, 1935, chapt. 1
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/RS1935_02-040.HTM
<寸言>
本人が意図しない影響力を発揮することはよくある。
理屈にあわなくても偉い人の言うことを、自分の頭で考えずに、そのまま受け取ってしまう人は、民主主義社会においても、多数存在する。権力者の言うことは聞いておいたほうがよいという判断が無意識的に働くのかも知れない。 特に多くの人が従っている場合には、それにあわせておいたほうがよいと考える人が多い。これは選挙で言えば浮動票にあたる。自分の判断が間違ったとあとでわかった場合でも、多くの人が間違ったのだからと「自分を許すことができて好都合」である(らしい)。