告白(自白)をさせたいという欲求は,(カトリック)異端審問における拷問の基礎になった(ものであった)。古代中国においては,被疑者を拷問にかけることは慣習であったが,それはある人道主義の皇帝がいかなる者も自白したのでなければ有罪の判決を受けることはないと布告したからであった。警察権力を手なずけるために、必須のことの一つは,どのような状況においても,自白を証拠として決して採用してはならないということである。
The desire to obtain a confession was the basis of the tortures of the Inquisition. In Old China, torture of suspected persons was habitual, because a humamitarian Emperor had decreed that no man should be condemned except on his own confession. For the taming of the power of the police, one essential is that a confession shall never, in any circumstances, be accepted as evidence.
情報源: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER18_090.HTM
<寸言>
日本では戦後民主化されても、警察における,脅かしによる自白の強要は長い間行われてきた。そのために、多くの冤罪がうまれた。冤罪とわからずに死刑になったものもいると思われる。それは死刑制度を維持するための「コスト」(仕方のない負担)だとでも言うのか?