しかし,もし私が,シーザーはアイズ・オブ・マーチ(紀元前44年3月15日)に殺されたと信ずるならば,私の信念を正しいものとするのはまったく私の意志の力の外にある。権力愛によって鼓舞されている哲学はこのような事態を不快と気づき,それゆえいろいろなやり方で信念における真偽の源泉として事実をとらえるという常識的な考えを土台から削り取る仕事に着手する。ヘーゲリアンは,真理は事実と一致することにあるのではなく,我々の諸信念の全体系の相互の一貫性(矛盾がないこと)の中にあると主張する。・・・これが創造的な空想への自由をあたえ,創造的空想は想定上の「現実」世界の足かせから我々を解放するのである。
but if I believe that Caesar was murdered on the Ides of March, what makes my belief true lies wholly outside the power of my will. Philosophies inspired by love of power find this situation unpleasant, and therefore set to work, in various ways, to undermine the common-sense conception of facts as the sources of truth or falsehood in beliefs. Hegelians maintain that truth does not consist in agreement with fact, but in the mutual consistency of the whole system of our beliefs. ... This gives freedom to creative fancy, which it liberates from the shackles of the supposed 'real' world.
情報源: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER16_040.HTM
<寸言>
神が存在しないことや神武天皇が存在しなかったこと、を否定できるなら証明してみよと主張する信者の方々。「~である」「~は存在する」はその「~」をひとつでも見つければ証明は完了する。それに対し「~は存在しない」というのは、宇宙の全てを点検しなければわからず、人間が点検できるのは今のところ銀河系宇宙の一部にしかすぎない。