宗教は歴史が始まる前から存在してきたが,一方。科学はせいぜい四世紀前から存在しているにすぎない。しかし,科学が年月を経て尊ばれるようになれば宗教と同じように,我々(人間)の生活をコントロールするだろう。人間精神の自由を好む人々は皆科学の暴政に反逆しなければならない時期がくることを私は予感する。にもかかわらず暴政が避けられないとすればその暴政は科学的なものであるほうがよい。(注:科学の暴政は,科学を壊すことではなく,科学的な思考によってコントロースするほうがよい。)
Religion has existed since before the dawn of history, while science has existed for at most four centuries; but when science has become old and venerable, it will control our lives as much as religion has ever done. I foresee the time when all who care for the freedom of the human spirit will have to rebel against a scientific tyranny. Nevertheless, if there is to be a tyranny, it is better that it should be scientific.
情報源: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM18-130.HTM
<寸言>
アインシュタインの言葉「Science without religion is lame, religion without science is blind」を引いて,アインシュタインさえ宗教を肯定していたんだからと,我田引水する者(特に既成宗教の関係者)が少なくない。しかしアインシュタインがここで「宗教」と言っているのは特定の、既成宗教のことではなく、「哲学者のスピノザの抱く神を崇敬すること」であり、宇宙的宗教感情とでも言うべきものである。その意味では、無神論者として有名なラッセルも「スピノザの宇宙的宗教感情」を高く評価しており、アインシュタインと大きな違いはないとも言える。 そこでかつて,哲学者の谷川徹三(日本バートランド・ラッセル協会2代目会長,故人)はラッセルを「unreligious believer (特定の宗教を信じない信仰の人)」と名付けた。無神論者(哲学的には不可知論者)のラッセルの宗教観を安易に批判するのではなく、大部分の宗教関係者はラッセルほど「宗教的ではない」ことを理解し、反省してみる必要があるであろう。