キリスト教会は,入浴の習慣を攻撃したが,その理由(根拠)は,肉体をいっそう魅力的にするものは,すべて罪へと向かう(罪を生む)傾向があるということであった。垢(あか)は称賛され,高潔(神聖)を示すその匂いは,ますます鼻を衝くものとなった。聖パーオラ(St. Paula)は,「肉体とそれを包む衣服の清潔さは魂の不潔さを意味する。」(出典:ハヴェロック・エリス著『性心理の研究』第四巻,p.31)と言った。シラミは神の真珠と呼ばれ,シラミだらけであることが,聖者としての不可欠の印であった。
The Church attacked the habit of the bath on the ground that everything that makes the body more attractive tends towards sin. Dirt was praised, and the odour of sanctity became more and more penetrating. "The purity of the body and its garments", said St. Paula, "means the impurity of the soul."(* note: Havelock Ellis, Studies in the Psychology of Sex, vo1. iv, p. 3I) Lice were called the pearls of God, and to be covered with them was an indispensable mark of a holy man.
出典: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM05-040.HTM
<寸言>
乾燥している国は(日本のように雨が多く降り)湿度の高い国のように体を長く洗わなくてお耐えることができる。 キリスト教やユダヤ教は乾燥した国に生まれており、キリスト教会が貴重な水を多量に使用することを非難する深層心理がそこにあるようにも見える。 雨の多い日本なら、雨に打たれることによって入浴の代わりにすることもでき、入浴の習慣を非難するようなことはあまり考えられない。