けれども,歴史的現象として見た場合の(修道士の)独身主義には,(同様に重要な as well)他の原因もある。神々への奉仕に身をささげている男女の司祭は,これらの神々と結婚したとみなされ,それゆえ,生きている人間(mortals 俗人)との性交はすべて控える義務があると見なされる(のである)。彼らは,当然,例外的に神聖であると考えられるようになり,そのようにして,神聖性と独身主義とが結びつく。カトリック教会では,今日にいたるまで,修道女(尼僧)はキリストの花嫁とみなされている。そして,これこそ,修道女が生きている人間(俗人)と交わるのは邪悪であるとされる理由の一つであることは確かである(確実である)。
Celibacy as an historical phenomenon has, however, other sources as well. Priests and priestesses dedicated to the service of divinities may be regarded as married to these divinities, and as therefore obliged to abstain from all intercourse with mortals. They will naturally be considered exceptionally holy, and thus an association is brought about between holiness and celibacy. Up to our own day in the Catholic Church, nuns are regarded as the brides of Christ. And this is certainly one of the reasons why it is thought wicked for them to have intercourse with mortals.
出典: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM04-070.HTM
<寸言>
新興宗教では教祖が神と同一視されるため、神の花嫁である女性信者(ただし、美人か性的魅力のある女性)が教祖様に性的奉仕することは神聖なる「奉仕活動」となる。教祖様が女性信者に「手をつけた」ことが週刊誌などで時々報じられてる。 たとえば、・・・。