第四に,前述のことが受け容れられるならば,2種類の空間が存在しなければならない。(即ち)一つは経験,特に私の視覚領域における経験,によって知られる空間(注:私的空間)であり,他の一つは推論によってのみ知られ,因果法則によって縛られる,物理学において生ずる空間(注:客観的/公共的空間)である。この2種類の空間を区別しないことが多くの混乱のもとである。
Fourth: if the foregoing is accepted there must be two sorts of space, one the sort of space which is known through experience, especially in my visual field, the other the sort of space that occurs in physics, which is known only by inference and is bound up with causal laws. Failure to distinguish these two kinds of space is a source of much confusion.
出典: Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter200.HTM
<寸言>
目の前にある物を見ていると,現在起こっていることをそのまま見ている,と我々人間は思ってしまう。光がなければ我々は何も見えない。目の前にある物からやってくる光を目がとらえ、そこからの刺激が脳に届き、その効果によって我々は「物を見ることができる」と思う。目の前にあるものからは瞬時に光が届く。しかし、遠くに「存在する物」からの光はそういうわけにはいかない。
たとえば 現在の宇宙は約138億光年前にビッグバンによって誕生したと言われている。そうして、我々は宇宙の果を直接見ることはできないが、宇宙の果からやってくる光や電波をとらえることによって、宇宙が誕生して間もないころの姿(映像)を我々は「見ることができる」。もちろん「見ることができる」といっても、私達が「見ている」のは130億光年以上もかかって我々のところに到達した電波や光などのデータから構成されたものである。即ち、それは、我々の感覚器官が受容した刺激が我々の脳に届いて起こった脳内現象であり、130億光年前の宇宙の姿(のイメージ)であって、現在の宇宙の姿ではないのである。