同様な考察は,生理学者が(今)吟味しつつあると思っている脳にもあてはまる。彼(生理学者)の中には,彼が見ていると思っている脳と,遠く隔たった因果関係(因果的連鎖)有している経験が存在している。その脳(観察中の他人の脳)に関しては,彼の視覚に再生されるような構造的な諸要素のみを知ることができる(注:ディスプレイ画面に映しだされる脳の電子画像)。構造的でない(物的でない)特性に関しては何であれ,彼(生理学者)は何も知ることができない。脳(物質)の内容はそれに伴う精神の内容とは異なったものだと言う権利を,彼は持っていない。それが生きた脳であるならば,精神がそれにともなって存在することを,証拠や類推によって彼は証拠を持つが,死んだ脳の場合にはどちらの方面においても証拠に欠けている。
Similar considerations apply to the brain that the physiologist thinks he is examining. There is an experience in him which has a remote causal connection with the brain that he thinks he is seeing. He can only know concerning that brain such elements of structure as will be reproduced in his visual sensation. Concerning properties that are not structural, he can know nothing whatever. He has no right to say that the contents of a brain are different from those of the mind that goes with it. If it is a living brain, he has evidence through testimony and analogy that there is a mind that goes with it. If it is a dead brain, evidence is lacking either way.
出典: Bertrand Russell : Mind and Matter (1950?)
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/19501110_Mind-Matter130.HTM
<寸言>
先日放映されたNHKスペシャル(人体シリーズ)では「脳」の特集をしていた。脳の中を電気パルスが走り、メッセージ物質が次から次へと次の脳神経や脳細胞に渡されていく様子が映し出されていた。これほど詳細な映像が撮影できたのは初めてだとのことであるが、もちろんこれは量子レベルの話ではない。
科学によって解明できるのは物質(人体などの生命体も含む)の構造や機能に関することにとどまるので、その哲学的意味合いや解釈は人間に残されている。また、そういったすばらしい科学も間違いやすい人間(個々人)が採取したデータに基づいているという制約がある。(即ち、相対性理論も量子力学も絶対的な真理ではない。)