大規模な歴史(書)の執筆を企てる人に,鋤で土を掘る仕事(農地整備)を期待すべきではない。科学(自然科学)においては,このことは認識(理解)されている。(たとえば)ケプラーの法則は,ティコ・ブラーエの観察に基づいていた。クラーク・マクスウェルの理論は,ファラデーの実験によっていた(基づいていた)。アインシュタインは彼の理論(学説)が基礎としている観察を自分自身でやってみることはなかった。大雑把に言って,事実を大量に集めることとそれを消化することとは,別のことである。
The man who proposes to write large-scale history should not be expected himself to do the spade work. In the sciences, this sort of thing is recognized. Kepler's laws were based upon the observations of Tycho Brahe. Clerk Maxwell's theories rested upon the experiments of Faraday. Einstein did not himself make the observations upon which his doctrines are based. Broadly speaking the amassing of facts is one thing, and the digesting of them is another.
出典: History as an art (1954)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/1057_HasA-140.HTM
<寸言>
「必要なのは分業」というのを「共著で執筆」と捉えてはならない。史実と思われる(史実と言われている)事柄の全てについて、執筆者が一つ一つ実際に確かめていたら執筆などという仕事はできない。ここは信頼できる多くの情報源に頼り,それらをもとに「歴史を組み立てて」いったほうがよい。そうして、不確かだと判明した時点で、(過去の)「史実」は捨て、再構成する作業を繰り返す必要がある。