現代世界に存在する不正,残酷,悲惨は過去の遺産であり,その最終的な根源は経済的なものである。なぜなら,昔は,生存の手段のための生きるか死ぬかの競争は,避けられなかったからである。我々の時代においては,それは避けられないことはない。我々の現代の産業技術をもってすれば,我々がその気になれば,全ての人に,耐えられる生活を与えることができる。・・・人類は黄金時代の戸口に足をかけているとも言えよう。しかし,もしそうだとするならば,まず第一にその戸(ドア)を守っているドラゴン(竜)を殺す必要がある。その竜とは宗教である。
The injustice, the cruelty, and the misery that exist in the modern world are an inheritance from the past, and their ultimate source is economic, since life-and-death competition for the means of subsistence was in former days inevitable. It is not inevitable in our age. With our present industrial technique we can, if we choose, provide a tolerable subsistence for everybody. ... It is possible that mankind is on the threshold of a golden age; but, if so, it will be necessary first to slay the dragon that guards the door, and this dragon is religion.
出典: Bertrand Russell: Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-200.HTM
<寸言>
「宗教心」を持つことと「特定の宗教を信ずること」とは同じではない。 もしあなたが特定の宗教を信じているとしたら、あなたは何を信じているのか? その中身を確認する作業をしていくと、とても曖昧で、結局何を信じているのかわからないことがほとんどである。 諸宗教が世界宗教会議を開催し,雌雄を決する覚悟で徹底的に討論すべし。 冷静な立場(第三者の立場で議論を注視すれば)ほとんどの宗教の化けの皮がはがれるはずである。