バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  
 もし,私が将来殺人鬼(殺人狂)になることを知りながら自分の子供をもうける(注:beget こしらえる)とするなら,私は,彼(自分の子供)の罪に対して当然責任がなければならない。(全能である)神が人間を創造することを決意された時,人間が(将来)犯すであろう罪を事前に知っていたとするならば,神はそれらの罪のすべての結果に対し,明らかに,責任がある。普通のキリスト教徒の論拠(argument 言い分)は,この世の苦痛は,罪の浄化(清め)であるから,善いことである(善である)というものである。もちろん,この議論はサディズムの合理化(理屈付け)であるにすぎない。

If I were going to beget a child knowing that the child was going to be a homicidal maniac, I should be responsible for his crimes. If God knew in advance the sins of which man would be guilty, He was clearly responsible for all the consequences of those sins when He decided to create man. The usual Christian argument is that the suffering in the world is a purification for sin and is therefore a good thing. This argument is, of course, only a rationalization of sadism.
 出典: Bertrand Russell: Has Religion Made Useful Contributions to Civilization? 1930.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-040.HTM

 <寸言>
 どの宗教にも迫害を受けてきた歴史と迫害を行ってきた歴史の両面がある。どの宗教も迫害を与えてきたことについては忘れがちであり,特に他の宗教については「邪教」ととらえ,そういった宗教に対する迫害には「寛容」である。