バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  
 しかし,現実の世界の残酷さを子供に初めて教える時には,子供が自分を加害者ではなく,被害者(犠牲者)と同一視するような事件を選ぶように配慮しなければならない。子供が自分を暴君と同一視するお話(物語)においては,子供の中にある野蛮性が大喜びするであろう。この種のおはなし(物語)は,帝国主義者を生み出しがちである。(松下注:たとえば,第二次世界大戦において外国の軍隊をいたるところで打ち負かしている話を子どもに聞かせるなどする・・・。) だが,アブラハムがイサクを犠牲にしようとする話(物語)とか,エリシャ(Elisha)が呪った子供たちを雌グマが殺す話(物語)は,自然に他の子供に対する同情を引き起こす。そういう話をするときには,人間が遠いむかしに身を落とした深刻な残酷さを示すものとして,話さなければならない。

But when the child is first introduced to cruelty as a thing in the real world, care must be taken to choose incidents in which he will identify himself with the victim, not with the torturer. Something savage in him will exult in a story in which he identifies himself with the tyrant ; a story of this kind tends to produce an imperialist. But the story of Abraham preparing to sacrifice Isaac, or of the she-bears killing the children whom Elisha cursed, naturally rouses the child’s sympathy for another child. If such stories are told, they should be told as showing the depths of cruelty to which men could descend long ago.
 出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE11-140.HTM

 <寸言>
 今は漫画はほとんど読まないのでわからないが、昔は漫画においても、戦記物がはやっていた時期があった。太平洋戦争などで、日本軍のゼロ戦などが、敵国アメリカの戦闘機を次々に撃ち落とす姿が意気揚々と描かれていた。そういった漫画を読む少年の脳裏には戦争によって苦しみながら死んでいく兵士の姿はほとんど浮かんでこない。「かっこよい」という気持ちがわきあがってくるだけであり、それが大人になっても基調的な気持ち(気分)となって残っていくことになる。

 いつの時代においても、どこの国においても、自分(や家族などの近親者や友人など)が苦しむことにならない限り、他人の苦しみは「ひとごと」であり、大部分の人は「自分のこと」として考えることはない。
 原発や米軍基地のことも同様。両方とも必要だと主張するのであれば、たとえば、原発なら、(40年経過した原発を延長使用などしないで)一番電力を使う地域(東京や大坂など)の地盤のしっかりした場所に新しい原発を建設すべきであろう。また、米軍基地も、日本の防衛のために必須のものだと考える国会議員が多い地区(選挙区)に移転するようにするとよいであろう。それがいやなら、それを支持する/推進する国会議員を落選させればよい。