息子が2歳4ケ月のとき,私はアメリカヘ行って,3ケ月間不在であった(自宅を留守にした)。彼は今か今かと庭の入口のところで待っていた。即ち,(私が到着するやいなや)私の手を握り,特に彼の関心を引いたことをすべて私に説明し始めた。私は(留守中のことを)聞きたかったし,彼は話したかった。私には話したい気持ちはまったくなかったし,息子には聞きたい気持ちは少しもなかった。この二つの衝動は,異なっていたが,調和していた。
When my boy was two years and four months old I went to America, and was absent three months. He was perfectly happy in my absence, but was wild with joy when I returned. I found him waiting impatiently by the garden gate ; he seized my hand, and began showing me everything that specially interested him. I wanted to hear, and he wanted to tell; I had no wish to tell, and he had none to hear. The two impulses were different, but harmonious.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 11: Affection and Sympathy
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE11-100.HTM
<寸言>
幼児は成長して早く独り立ちできるようになるためには、いろいろなこと(知識及び技能)を身につけなければならない。おしゃべりすること(相手に何かを伝えること、説明すること)もその一つ。子どもはまず身近な家族(母親あるいは父親、兄弟がいれば兄や姉に)に何かを伝えたり、説明し対するやりかたを身につけようとする。母親とは常にそういった練習をしているので、次には、父親や兄や姉に対して同じことをしようとする。 いずれも、生物全体に備わっている本能であろう。もちろん、他の生物は人間のように言葉をあやつることはできないが、「叫び声」の高さ・強さ・抑揚をいろいろ変えることによって、様々なコミニケーションをしようとする。