1944年にアメリカから帰国した時,私は,英国哲学が非常におかしな状態にあることに気付いた。また,英国哲学は専らとるにたらないことばかりに注意を集中しているように思われた。英国哲学界の誰もが,「日常的な用法」(通常の用法/'common usage')について,無駄なおしゃべり(論議)を続けていた。このような哲学を私は好まなかった。学問のあらゆる部門がそれぞれそれ特有の語彙(用語集)をもっている。なぜ哲学だけがこの楽しみを奪いとられなければならないのか,理解できなかった。
When I returned from America in 1944, I found British philosophy in a very odd state, and, it seemed to me, occupied solely with trivialities. Everybody in the philosophical world was babbling about 'common usage'. I did not like this philosophy. Every section of learning has its own vocabulary and I did not see why pbilosophy should be deprived of this pleasure.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-300.HTM
<寸言>
ラッセルが非難しているのはオックスフォード学派のこと。この学派は、哲学的思考をする際には日常言語を使い、その用語の正確な意味を明らかにするだけでほとんどの哲学の問題は解消すると主張することから、ラッセルは言葉はいいかげんに使ってはいけないが哲学の役割はそういうものではないと主張する。