ラッセルの言葉366G_画像版

n.0020j (Nov. 20, 2016)

     
シェア
  バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
 
 1939年の夏,ジョンとケイトは,学校の休暇期間中に,私たちのところにやってきた。彼らが到着して2,3日すると,第二次世界大戦が勃発した。そのため,彼らを英国に戻すことが不可能になった。そこですぐさま私は,二人のそれ以後の教育の手配をしなければならなかった。ジョンは17歳だったので,カリフォルニア大学に入学させた。

In the summer of 1939, John and Kate came to visit us for the period of the school holidays. A few days after they arrived the War broke out, and it became impossible to send them back to England. I had to provide for their further education at a moment's notice. John was seventeen, and I entered him at the University of California.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 6:America, 1968
 詳細(PCサイト):http://russell-j.com/beginner/AB26-020.HTM

[寸言]
 この文章のすぐ後に次の文章が続いている。

 しかしケイトの方はまだ15歳だったので,大学に入れるのは若すぎるように思われた。私は,ロサンゼルスでは,どの学校が一番学力水準の高い学校かということを友人たちに尋ねたところ,彼らが全部一致して推薦してくれたところが一校あった。そこでケイトをその学校に入れた。しかしその学校で教えられている科目でケイトがまだ知っていないものはたった一つしかなく,それは「資本主義制度の長所」というものであった。そのため私は,彼女は年齢が若すぎたが,大学にやらざるえなかった。