バートランド・ラッセルの言葉366G_画像版

n.0016j (Nov. 16, 2016)

     
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  バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
 
 私たちは,猛暑のなか京都から横浜まで(東海道線で) 10時間の旅 をした。暗くなってすぐの頃,横浜に到着した。そうして,私たちはカメラマンたちが連続的にたくマグネシウムの爆発音で迎えられた。マグネシウムが一回爆発するごとにドーラはとび上がったので,流産するのではないかという心配が増した。私は'怒り'で我を失った。

We made a ten hours' journey in great heat from Kyoto to Yokohama. We arrived there just after dark, and were received by a series of magnesium explosions, each of which made Dora jump, and increased my fear of a miscarriage. I became blind with rage.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 3: China, 1968
 詳細(PCサイト):http://russell-j.com/beginner/AB23-150.HTM

[寸言]
 ラッセルは大正10年(1921年)夏に約2週間(7月17日~7月30日),訪日した。主な動静は以下のとおり)

・7月17日正午: 営口丸にて神戸着。神戸クロニクル主筆ヤング(Robert Young, 1858.10.9-1922.11.7)の出迎え。最初の夜は,神戸 北野のトア ホテル(右写真)の2階57号室に泊まる。(現在跡地は「神戸外国倶楽部」となっている。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB
http://russell-j.com/cool/KOBE-BR.HTM
・7月18日,大阪ホテルにて,大阪毎日新聞副主幹と午餐。夜,神戸の阿弥陀寺で開催された演説会に出席し,約1,000名の労働者の前で短い講演を行った(通訳は賀川豊彦)。その後,自動車でトア・ホテルに帰り,夜12時頃まで歓談。トアホテル泊(2泊目)。
・7月19日,ラッセル,ヤング,ブラック,及びパワー(Eileen Power,1889~1940)は,午前11時2分神戸三宮駅発の列車で大阪に向かう。大阪ホテルにて昼食をとり,自動車で奈良へいく。奈良公園などで遊ぶ。夜は,奈良ホテル泊。
・7月20日,奈良の大仏見学,夕刻,同じ車で京都にいく。夜は,都ホテルに泊まったものと思われる。
(7.20~7.24,京都)
・7月21日: 京都大学荒木総長と短時間会見。夕方5時より,改造社主催の都ホテルでの歓迎会に出席。京都大学教授その他の学者27名(新聞報道では26名)出席。
・7月22日,午前中,祇園,知恩院,本願寺等見学。午後は,ホテルで静養。
・7月23日 京都で静養していたと思われるが,この日の詳細不明(要調査)(注:金子務『アインシュタイン・ショック(1)』(p.71)には7月22日箱根に1泊と書いてあるが,ラッセルの行程に関する金子氏の記述は間違いが多い。)
・7月24日,7.49p.m.:東海道線特急で横浜着。山下町のグランドホテルに一泊
・7月25日,午後5時入京。夜,改造社の山本社長の案内で帝劇見物。帝国ホテルにて東京の第一夜を過ごす(2階32号室)。
・7月26日,午前11時より,帝国ホテルにて日本の著名な思想家達と会見(大杉栄,堺利彦,桑木厳翼,姉崎正治,上田貞次郎,阿部次郎,和辻哲郎,北澤新次郎,鈴木文次,与謝野晶子,福田徳三,石川三四郎他)
・7月27日,午前11時~12時半まで,都下新聞記者20名と共同記者会見。午後は,上野及び日本橋丸善へ(桑木或雄が同行)
・7月28日,夜,慶應義塾大学大講堂にて講演(講演開催にあたっては小泉信三などが尽力/聴衆は3,000人以上(2,000人と書いてある文献もあるが,これは座席の数であり,立って聞いている多数の聴衆をカウントしなかったと思われる。)通訳は,帆足理一郎)
・7月29日,横浜のグランドホテル泊
・7月30日,午後,Canadian Pacific 社の Empress of Asia 号でバンクーバー向け出帆