ラッセルの言葉366G_画像版

n.0012j (Nov. 12, 2016)

     
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バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 


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 私はよく、オックスフォード近くのケニントン(Kennington)にある歩道橋の上に立ち、通過する汽車を跳め、明日こそは汽車の下に身をなげだそうと決意した(注:歩道橋は鉄道橋の一部と思われます。当時のケニントン鉄道歩道橋は1923年に架けかえらえています。)。しかし、翌日になるといつも、多分『プリンキピア・マテマティカ』はいずれ完成するだろうと望んでいる自分を見出した。さらに、その困難は、私に対する挑戦状であり、それに立ち向かって克服しないのは臆病だろうと思われた。そこで私は中断せずにその仕事を続け、遂に完了した。

I used to stand on the footbridge at Kennington, near Oxford, watching the trains go by, and determining that tomorrow I would place myself under one of them. But when the morrow came I always found myself hoping that perhaps Principia Mathematica would be finished some day. Moreover the difficulties appeared to me in the nature of a challenge, which it would be pusillanimous not to meet and overcome. So I persisted, and in the end the work was finished.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967.
 詳細(PCサイト): http://russell-j.com/beginner/AB16-150.HTM

[寸言]
 ラッセルは3歳までに両親がなくなり、その後、祖父母(注:祖父は2度英国首相を務めたジョン・ラッセル)に引き取られ、ずっと祖母に育てられることになる。さびしくて孤独な少年時代を過ごし、「不幸感」から何度も自殺したいという思いに駆られた。 『プリンキピア・マティマティカ(数学原理)』執筆の時も自殺衝動に駆られたが、第一次世界大戦の勃発により、自分が全身全霊を打ち込める反戦運動にかかわることにより、それ以後は、自殺衝動は消えていった。
ラッセルは貴族で裕福であり恵まれているので学問・研究にゆったりとはげむことができたのだ、というイメージを持っている人が少なくないようである。そのような方は是非『ラッセル自伝』(The Autobiography of Bertrand Russell, 3 vols. を読むことをお薦めしたい。