三浦俊彦『サプリメント戦争』


本文テキスト

 ――金のためなら健康なんてくそくらえ、と言ってサマになるのは、健康のため金に糸目をつけない人だけだ。
                                ――○店主

 ――こいつらホラ、餌には尻尾振るし猫には吠えるし、まわりをくっきりキャッチしてはいるの。けど言葉もないしね、自意識とか薄いわけ、いつも朦朧とした世界だと思うの。哀れ。抱き締めちゃう。
 あたしら人間だって十分哀しい動物だけどさ。
                                ――◇店主

 ――携帯電話の着メロほど深くしみじみ、人生の哀しみを詠う音楽はありませんね。
 喋らなきゃ。メール打たなきゃ。電車の中でも路上でも、黙ってちゃ、じっとしてちゃ、気づいてしまう、自分が取るに足らない人間だってこと、誰も本気で気にかけちゃいない存在だってこと、いくら努力しても世の中あっと言わせる才能なんかないこと、孤独に一生耐えつづけなきゃならないってこと。
 気を散らさなきゃ。一瞬でも考え込んじゃいけない! 携帯だけじゃない。仕事も恋愛も冠婚葬祭も、みんなそのためにある。我を忘れ哀しみを朦朧と紛らし、目をつぶって人生やり過ごすために。人生の目的は、絶えず人生から目をそらし続けることなんだね。
                                ――☆店主

 ――生まれつき視力ゼロの人がだ、さわれば重箱とバスケットボールとを簡単に区別できるわけだが、突然目が見えるようになったとしよう。さぁてどっちが箱でどっちがボールか、見ただけでわかるだろうか? ……ふむ。それがだな、答えは、ノーだ。
                                ――▽店主


  第1章 サプリ見習時代

    ○ 答えられなくとも気になるだけでおぬし、断然見

 「……ときの堅さが明らかに違います。北宝薬品の『龍門慶』(エゾウコギ流エキス、黄精流エキス-N、鹿茸チンキ、牛黄チンキ-N、肉 蓉流エキス、蛇床子チンキ、イカリ草エキス、人参エキス、ムイラプアマ乾燥エキス)50mlでアスプロの『金精源』(コブラ・トナカイ角・オットセイ混合末、デキストリン、粉末ハチミツ、ハーブミックスパウダー、ガラナエキス末、亜鉛含有酵母、緑茶抽出物、カワカワエキス末、トウガラシ抽出物)9粒を飲むと、角度がはっきり増しているのがわかります。日野薬品工業の『桃仙境』(淫羊?軟エキス、牛黄チンキ、人参乾燥エキス、黄精流エキス、肉 蓉流エキス、五味子流エキス、ガラナ軟エキス)30mlでミナミヘルシーフーズの『甦精王』(マカ粉末、クレアチン、ガラナエキス末(10倍)、エゾウコギエキス末、マカエキス末(20倍)、とうがらし末。中パッケージがやけに豪華)20粒を飲むと、疼きがこう、こう、ヘソの下あたりまで昇ってきます。イー・エス・ピー薬品の『肝祿精』(ロクジョウ流エキス、ニンジンエキス-I、イカリソウエキス-S、酢酸d-α-トコフェロール、γオリザノール)50mlでマンナンフーズの『蠍楽園』(田七人参、マムシ末、馬鈴薯澱粉、ハチミツ、サソリ末、蛇胆。タイトル下に「自身強化作戦」という大白文字あり)10粒を飲むと、持続力確保と同時に射精後の性欲維持に優れます。大鵬薬品工業の『チオビタ鵬玉精S』(ニンニク抽出物、ロクジョウ流エキス、ハンピ流エキス、ニンジン乾燥エキス、インヨウカク流エキス、ゴミシ流エキス、サンシュユ流エキス)30mlで三洋薬品工業の『活心源』(牛・馬心臓エキス)6カプセルを飲むと、絶頂時の感度を増します。オノジユウの『金王元Z』(鹿茸チンキ、ゴオウチンキ-N、エゾウコギ流エキス、黄精流エキス-N)50mlで井藤漢方製薬の『蘇精源』(オットセイエキス、テステスエキス、冬虫夏草、トナカイの角、スッポン、高麗人参、ローヤルゼリー、ニンニクエキス、ガラナエキス、トウガラシエキス。タイトル下に「男がよみがえる」という大輝文字あり)12カプセルを飲むと、絶頂時間を五割は延長します」
 戸を開けたとたんほとんど目の前に自分の祖父ほどの半禿老人直立不動、耳まで深紅の灼熱表情とは裏腹な端正な文言で、いっぽう声はまた瀕死の情炎さながらこんな叫びに専念揺れ火照っていたら、十二歳の少年少女でなくても驚くだろう。しかも老爺の脇には白髪九割増ほどの老妻が付き添って、負けじの声量で夫をサポートしてるのであってみれば。突然眼前の二部合唱に私と少女はたじろいだ。それでも私はただちにいつものメモモードに入っていた。ポケットICレコーダーのスイッチもオンにする。ちなみに老夫婦の科白中、……
 「福地製薬の『躍龍精D』(カイクジンチンキ、黄精流エキス、ゴオウチンキ-N、人参エキス-P、イカリ草流エキス)50mlで医食研究所の『快歓精』(シナネン(スッポン)エキス、L-アルギニン、オットセイ粉末、亜鉛高含有酵母、マカエキス、アシュワガンダエキス、カフェイン、無臭ニンニク、セレン高含有酵母、牛骨粉末)10粒を飲むと、疼きが尾 骨方面にまで回り染み込みます。薬王製薬の『漢玉精S』(ゴオウチンキ、ニンジンエキス)30mlでベンソニックの『玉皇神』(霊芝、西参(アメリカニンジン)、枸杞子、山査子)10mlを割って飲めば、性感の範囲拡張とともに浸透深度増進作用が感じられます。松浦漢方の『生脈宝』(ニンジン流エキス、バクモンドウ流エキス、ゴミシ流エキス、オウギエキス)30mlでナチュラルメディックの『絶精倫』(カバカバ、オットセイエキスパウダー、エゾウコギ、ハブ末、コブラ、ガラナ、亜鉛イースト、サソリ末。タイトル下に「バイガラナ」という別名あり。デラックス分封錠剤)2袋12粒を飲むと、絶頂時の嗅覚鋭敏化作用に優れます。ケーティジャパンの『寿玉精』(冬虫夏草流エキス、牛黄チンキ、人参エキス、オキソアミヂン、イカリ草エキス、アミノエチルスルホン酸)50mlで新日本漢方の『活精源』(オットセイエキス、テステスエキス、冬虫夏草、トナカイの角、スッポン、高麗人参、ローヤルゼリー、ニンニクエキス、ガラナエキス、トウガラシエキス。タイトル下に「男が目覚める」という縁赤黒大文字あり)12カプセルを飲むと、絶頂時の聴覚深密化・視覚重層化がてきめんです。三和薬品の『四天王』(日本産スッポンエキス、まむし胆エキス、ローヤルゼリー、まむし抽出エキス、ハブ抽出エキス、朝鮮人参エキス、無臭にんにくエキス、クコシエキス、タイソウエキス、アルギニン、茶の素)50mlで麻耶堂製薬の『秦皇元』(ゴウガイ末、カイバ末、ロクジョウ末、ゴオウ末、ハンピ末、ニンジン末、カシュウ末、イカリソウエキス、アミノエチルスルホン酸)4カプセルを飲むと、挿入時のキツサ増で勃起太径増進がわかります」
 科白中、成分名等を( )内に記してきたのは、老爺が並べたてる社名製品名と効能との中間に、あるいは声を重ねて傍らの老妻が「はいー」「そぉれぇ」など甲高い合いの手入れつつ成分名補い述べていった女声パートを忠実に筆写したものである。冒頭に遡って、そのような混声二部歌唱風景として読み直していただきたい。
 田舎面の老人が「……作用に優れます」「……増進です」といった堅い言葉を俗な口調で唾飛ばしている直立赤面図のアンバランスぶりは見る者を茫呆陶蕩然打ちのめす異形のインパクトをほとんど熱波と放ちまくっている(一昔前に宜保愛子という典型田舎色おばさんがこの絵画にはミケランジェロのパワーがー、この石にはナポレオンのオーラがー、等々テレビで学術用語交えて語っていたあの奇観を思い起こさせた)。老妻の副旋律は生薬はすべて列挙しているようだが、値のつかないビタミン類や、タウリン、カフェイン、アルコールなどほとんどのドリンク剤に含まれている成分は特にメインとなってる場合以外は省いていたようだ。アナログドローンのホーミー唱法とリズミカルなジャズのアドリブを合わせたような声楽波動に私は脳味噌心地よく掻き回されながら……
 「アラクスの『レオゼニン珠王精』(反鼻チンキ、鹿茸チンキ、王乳、人参エキス、淫羊?エキス、地黄エキス、山茱萸流エキス、五加皮流エキス、ムイラプアマ乾燥エキス。大型金赤紫デラックス外箱入り)50mlでクロスの『肝甦生』(牛肝臓エキス末、牡蠣エキス末。血潮臭気本物)12粒を飲むと、射精後の勃起形維持時間延長に優れます。すなわち先にイってしまったときでも女性がイくまでスッポ抜けることなく合わせることができるのです。萬金薬品工業の『帝祥源V』(ムイラプアマ乾燥エキス、人参エキス、淫羊?エキス、山茱萸流エキス、牛黄チンキ、鹿茸チンキ、反鼻チンキ)50mlでアイ・ティ・ビ・エスの『勢力龍』(オタネニンジン果実サポニン、クコの実エキス末、クルミ果肉、サンシュユ果肉、ビール酵母)2カプセル(三千円×2! 拳突き出すガッツ石松のPOPチラシはダテじゃない!)を飲むと、射精後の勃起硬維持時間延長に優れ抜かずの二度三度が可能になるとともに絶頂時全身の触覚鋭敏化作用に優れます。笹岡薬品の『漢皇寿』(ガラナエキス、ゴオウ抽出液、朝鮮ニンジンエキス、オロチン酸コリン)50mlで健民社の『マカ養寿源』(スッポン末、スッポンオイル、マカ末、ガラナ末、亜鉛酵母、無臭ニンニク末)6カプセルを飲むと、絶頂時の妄想亢進作用が絶大です。松本製薬の『健蒜精』(リケン人参エキス、淫羊?エキス、オキソアミヂン末)50mlでメタボリックの『マカ皇帝倫』(L-アルギニン、牡蠣肉エキス、スッポン全姿粉末、マカ20倍濃縮エキス、醸造酵母(亜鉛高含有)、無臭ニンニクエキス、ショウガ末、トウガラシ末、牛陰茎・陰のう末、オットセイ末、レシチン、醸造酵母(セレン高含有)、シナモンオイル、たつのおとしご末、トナカイ角末、コブラ末。「男性の夜を豊かにするミニ情報」掲載の説明書添付。「ためすぎず、出しすぎず、快い満足を!!」「一回のセックスで消費するカロリーは約70kcal」等々懇切丁寧な指南含有)10粒を飲むと、勃起時の充血度増強が下半身の温感でじかに感じられます。松浦漢方の『参茸宝』(ロクジョウチンキ、ニンジン流エキス、バクモンドウ流エキス、トウキ流エキス、ゴミシ流エキス、カンゾウエキス、オウギエキス、タイソウエキス、ショウキョウエキス)30mlでマルマンの『肝活源』(酵母エキス、牡蠣肉エキス、蜆エキス、米糠抽出物)3粒を飲むと、挿入時の垂直抵抗により勃起時の長さ増進が明らかです。北宝薬品の『飛龍元』(エゾウコギ流エキス、黄精流エキス-N、鹿茸チンキ、牛黄チンキ-N)50mlでマルマンの『隆精源ミラクルZ』(ヒバマタ粉末、田七人参粉末、鮫軟骨抽出エキス、ビール酵母、スッポン粉末、牛肝臓エキス粉末、無臭にんにくエキス末、キチンキトサン、茶の素、モルトエキス)9粒を飲むと、絶頂時の味覚増進作用が認められます。福地製薬の『躍龍参』(人参乾燥エキス、ゴオウチンキ、イカリ草エキス、黄精流エキス、龍眼肉エキス、ガラナエキス)50mlでマルマンの『肝喝源スーパーガッツ』(シリマリン抽出エキス末、ウコン抽出エキス末、カキ肉エキス末、しじみエキス末)4粒を飲むと、絶頂時の呼吸頻度促進が顕著です。小太郎漢方製薬の『隆持源ゴールド』(人参エキス、淫羊?エキス、黄精流エキス、牛黄チンキ、山茱萸流エキス、鹿茸チンキ、シベットチンキ)50mlでライフメイトの『大精豪』(緑イ貝、ローヤルゼリー、スッポン末、フカヒレ抽出物、卵黄レシチン、牛肝エキス末、ニンニクエキス末、麦。伝承の世界8大精分)6カプセルを飲むと、絶頂時の第六感増進作用でうなじがぞくぞくします。大昭製薬の『安康源(アコゲンスーパー)』(ローヤルゼリー、人参エキス、反鼻チンキ、ロクジョウチンキ、カイクジンチンキ、シベットチンキ・A、イカリ草流エキス、ゴオウ抽出液。前開けタイプの変則赤箱入り)30mlで麻耶堂製薬の『金蛇精』(メチルテストステロン、DL-メチオニン、ルチン、ニンジン、オウレン、赤マムシ末、赤何首烏末、イカリ草末、サンヤク末、ビャクシ末、肝臓エキス)を3錠飲むと、朝立ち確保100%です。天野商事の『天山精D』(エゾウコギ流エキス、牛黄チンキ、鹿茸チンキ、蛇床子エキス、淫羊?エキス-S、黄精エキス、反鼻チンキ、菟糸子エキス、山茱萸流エキス、ローヤルゼリー)50mlで明治薬品の『金蛇精カプセル』(反鼻末、ムイラプアマエキス、鹿茸末、牛黄末、淫羊 乾燥エキス、γ-オリザノール)2カプセル飲むと、多彩な日替り彩色淫夢を約束します。天野商事の『天山精V』(ムイラプアマエキス、オキソアミヂン末、ニンジンエキス、イカリソウエキス)50mlを二本続けて飲むと、後頭部と喉を結ぶ性欲中枢をぴくぴく刺激するのがわかります。ゼリア新薬工業の『天寿精』(ローヤルゼリー、ロクジョウチンキ、ゴオウチンキ、ジョテイシ軟エキス-C、黄精流エキス、ニンジン流エキス、サンシュユ流エキス、ジオウ流エキス、カシュウチンキ、イカリ草流エキス、ムイラプアマエキス、ズファゾールE300)50mlで同社同名『天寿精』(鹿茸末、反鼻末、ゴオウ、肝臓エキス、エゾウコギ乾燥エキス、イカリ草エキス、菟糸子末、肉 蓉末、蛇床子末、地黄末、山茱萸末、山薬末、オキソアミジン末、ケイヒ末、γ-オリザノール、硝酸チアミン、塩酸ピリドキシン、シアノコバラミン、コハク酸トコフェロールカルシウム、タウリン、L-塩酸アルギニン。タイトルの約八倍大金文字「強」(表)「壮」(裏)あり)2カプセルを飲むと、昼立ち確保99%。先端から根元、会陰まで満遍なき性感分布を実現します。ダイオーの『活寿生(ローヤル生3300コンク)』(ハチミツ、ローヤルゼリー、高麗人参エキス。生ローヤルゼリー3300mgは一服異例の超ボリューム)50mlで奥田製薬の『天龍源』(蛤?末、海馬末、海狗腎末、鹿茸末、反鼻末、シベット散)2カプセルを飲むと、射精最中に粘度をリアル体感できます。みやこ物産の『元気元』(ハチミツ、すっぽんエキス、タツノオトシゴエキス、朝鮮人参エキス、赤まむしエキス、茶の素。四元パワー)50mlで楊物産の『精門慶』(人参粉末、ロイヤルゼリー粉末、スッポン全体粉末、洋マムシ粉末、茶の素、甘草、ソルビン酸K)3粒を飲むと二回目以降の精液濃度減退を阻止します。薬日本堂の健康茶『勝龍仙』(はとむぎ、ハブ茶、麦芽、ウーロン茶、あまちゃづる、クコ葉、カキ葉、橘皮、茶葉、人参葉、隈笹、霊芝)3パックを100mlに煮詰めた一杯でごりっぱやの粉化寸前脆弱型丸三角錠剤『蛇王源』(エラブ海蛇粉末、コブラ粉末(胆ノウ入り))を7粒飲めば、ペニスに浮き浮きした熱を授けて躁になれます。タキザワ漢方廠の『精一杯(シルバー)』(将鹿角エキス、鹿角膠、亀板膠、枸杞子エキス、人参エキス、ガラナエキス、緑茶抽出物、クエン酸、ハチミツ。中国北京発 亀鹿二仙)50mlでハイパワーの粉末剤『スーパー勃喜源』(スッポン末、ガラナ末、マムシ末、ハブ末、オットセイエキス、蛇肝末、蛇胆末、サソリ末、高麗人参末、唐辛子末、ニッキ末。シナモンとも肉桂ともいわずニッキと書くあたりが熟年のハートを微妙にゲットする上々ムード。刺激味)を1匙口に含み、タキザワ漢方廠の『精一杯(ゴールド)』(精一杯シルバー+霊芝エキス、梅果汁、甘草エキス、トウガラシエキス、ブドウ糖、三温糖、リンゴ酸。-クエン酸)50ml でハイパワーの『勃喜源』(スーパー勃喜源-サソリ末、高麗人参末、唐辛子末。「ニッキ味」はスーパー勃喜源より露骨)1匙飲む組み合わせと比較してごらんなさい。ドリンク剤の相対的パワー序列と、粉末剤のパワー序列を逆にした組み合わせで、高価の差異を調べるわけですがね。結果はまあ飲んで三十分ほどは『精一杯(ゴールド)』+『勃喜源』の方が火照りが強くてその後じわじわと『精一杯(シルバー)』+『スーパー勃喜源』の方が濃厚な疼きをもたらしてくるようですが、微差というか。うまくつりあいがとれているんでしょう。日野薬品工業の『新龍天ビタオール液』(ロクジョウ抽出液、ゴオウ抽出液、人参乾燥エキス、イカリソウ流エキス、トチュウ流エキス、コンドロイチン硫酸ナトリウム)50mlでオリヒロの『精力王』(金箱・朱色トナカイイラストバージョン。トナカイ角、すっぽん末、まむし(肝入り)末、プラセンタエキス、コーラナットエキス、ガラナエキス、抽出カフェイン)12粒を飲むと、勃起時の脈動頻度を増強します。韓国人蔘振興、輸入元・安立実業の『蜂王漿』(高麗人蔘エキス、蜂蜜、ローヤルゼリー)30mlでオリヒロの『精力王』(黒箱・紫サソリイラストバージョン。肝入り赤まむし末、すっぽん末、サソリ末、田七人参末)10粒を飲むと、勃起時の脈動リズムを整えます。大草薬品販売の『蒜玉精』(ゴオウチンキ、ニンジンエキス、オキソアミヂン)50mlで再春館薬品の『再春 強肝源』(マリアアザミ乾燥エキス、ウコン乾燥エキス、シベリア人参乾燥エキス、牡蠣肉乾燥エキス、しじみエキス、国産熊笹末、桂皮末、国産緑茶末、馬鈴薯デンプン、寒梅粉)12球を飲むと、絶頂時に大笑いが込み上げてきます……」  絶精老声パフォーマンスの波動に私はうっとりと、しかしメモだけは確実に、いっぽうここに初めて足踏み入れた少女は私の横で、目が点というこの頃すでに死語となりつつあった表現も捨てたものではないとばかり目点状態的に凝り固まっているようだった。  〈行きつけ〉とはいえ実は私もそのとき初めて、ここがどこなのかを知ったというありさま。なんだこういう店だったのかー。いや、薬屋であることくらいもちろんわかっていた。しかしこの種のあちら声によって支えられた店だったんだということは、こうまで真正面演じられなければ私にはぴんと来ていなかったのだった。
 この絶倫報告声楽に出遭ったのは中一の夏。
 生まれ育った下町のコンクリ校庭で思えば結構人気者で鳴らし、父親転勤で五年生の晩秋この町の砂利土校庭へ引越してきて、最終学年寸前いいタイミングと見えたわりには一向ブレイク遂げず、為すすべなく中学進学してみれば統一規格の学生服がわが小柄を際立たせて一層気分低迷、中学デビュー果たしそこね鬱々焦りかけていた頃合へ急転収斂奮起告白、首尾よくゲットのこの目点少女といった大筋なのだが、声楽波動には後でまた自ずと戻るとして、はてどういう順序が効果的か、やはりまずはそこまでの道のり含め時間と魂の段階沿いに記してゆくのが正しいだろう。
 引越し後何週間経ってもカギ括弧つき「転校生」を演じさせられつつある不本意感を、ランドセルに分銅よろしくいくつもぶら下げた登下校中うすうす、(この店は一体なんなんだろう……)不審顔を振り返り振り返りしていた幾たびが記憶にある。
 「三文字堂」
 草書金文字が薄れて木目のみ鮮やかな巨大木看板が、不似合いに小さな引戸上へ落ちかかるように掛かっている奇妙な佇まい。いっしょに下校する友だち候補の誰もがこれほどの霊気を気にとめていないらしいのが不思議というか、疎外感と好奇心ほど相性よく溶け合うものはないというか、『三文字堂』の前に差し掛かるとフッと埃が立つような、ぷうんと線香めいた病院の消毒みたいな金木犀みたいな、磯のような銀杏のような、なんとも複雑異様な香りとオーラがひんやり首に巻きついてくる。友だち候補らの無関心を乱さぬよう、高鳴る鼓動が洩れ聞かれやしまいかとぐっと口を閉じて、入ろうか入るまいかの迷いを覚えることすら憚られていつも足早に通り過ぎたものだ。
 遅くとも六年生の夏にはこの三文字堂の店主とカウンター越しに話し込む段階に達していた。とすれば初めて足を踏み入れたのは春休みくらいだったろうか。この店への初訪問をこれまで三十年間なんとか思い出したいとときおり努力もしたのだが、思い出せない。夢の中ですら思い出せない。
 子どもにはきわめて場違いな店であることははじめから、そしてずっと感じ続けていたのだが、場違いな場こそ体に一番フィットするというコンディションに私は揺らいでいたということだ。
 店主は顎鬚を生やした五十九歳で――整髪剤で固めたような黒灰色艶やかな顎鬚に目を奪われるまま「おじさん何歳?」と初対面のときにでも尋ねたに違いない――下膨れの顔を見れば恰幅いい体格を想像させられるがカウンター裏から立つとほっそりしなやかな筋肉質が白衣越しに透けて見えた。
 店内はいつもがらんと虚ろな感じで、棚に点在する商品らしい箱の文字は薄暗い室温に溶けて一つも読めない。道路に面したただ一つの小さな高窓曇ガラスから漏れ入ってくる外光のほかは、店主の背後に裸電球が釣り下がっているだけ。しかしこの薄暗さにも、店に入って三、四分もすれば目が慣れて、ジインとくつろいだ気分が染み込んでくる。普段いかに不必要なほど照明だらけの生活に曝されているかを思い知らされるのだ。そして常時漂っている漢方生薬臭が、普段いかに不必要なほど脱臭した生活に浸っているかを実感させてくれるのだ。
 店の全体像がわからないまま、私は店主と話をしていた。はじめの頃は客の姿は全然見なかった。一週間に二、三度通い、そのつど一時間くらいとどまっていたように思う。背凭れのない木の丸椅子に腰掛けて、カウンターのむこうの店主の眼光と口の蠢きを注視していた。
 〈ただ者でないおとな〉との親しい出会いは子どもにとって初めての異文化体験だ。だいたい店主がしわがれ声で喋りつづけるのをじっと聴き――内容はほとんど記憶にないが学校の教師の話よりずっとわくわくさせられたことは覚えている――ときどき問われもせぬままふたことみこと、咳のような不随意反応として感想のような質問のような単語を私がさしはさむと、そのたびに「うん、それがわかるか。えらい」「ふむ。それはまだまだだな。幼い」「ほほう。そこが気になると。答えられなくとも気になるだけでおぬし、断然見込みがあるぞ」などなど、必ず値踏み露わな返事が返ってくる。こういう種類の評価語の浸透力は不思議なもので、自分の人格的品質が相手の掌中で象られるようなどうにでもしてもらえるような。「おぬし」「おまえ」「坊主」「きみ」などなどそのつど焦点を再調整した行き届いた二人称もグッときた。三文字堂店主に認められることが私の随一の目的となり、適度なインターバルで感心させなきゃ的意地と、目盛りを上げてゆく満足感込み努力とが自然涌出し、店主との会話は病みつきになった。やがて私は自分が世に隠れた大人物であるかのように思い込み、『三文字堂』の前をわいわい騒ぎながら通り過ぎてゆく感度鈍き級友たちに対する優越感に浸るようになった。
 学校のテストで百点を取ったときよりも(そう、普段は凡庸な成績を纏いつつときどき思い出したように百点なぞをとる転校生だったことが、私の擬似友人関係の寂寥を決した一因でもあったろう)店主に褒められる方が百倍嬉しかった。

    × ザクロの分子構造ってのが女性ホルモンのエストロゲ

 宿題や試験勉強も店の中でやるようになった。私が店内にいるとき初めて客が訪れたのは六年生の冬、創立記念日で学校が休みの昼過ぎだったと思う。私が入り浸っていた普段の午後三時過ぎはたまたま客足の遠いときに当っていたものか。客は小柄な四十歳前と見える女性だったが、そこでの会話で、初めてこの店が本当に薬屋であることを意識した私だったのである。
 「……ああ、そのテの冷え症だったら、救心製薬の『霊黄參』に限るよ。牛黄と人参、そしてニンジン粗エキス末が1:6:3の割合で配合されてます。牛黄と人参はどっちも中国最古の薬物書『神農本草経』に「上薬」として分類されてる最上級の食品だからね。滋養強壮剤としちゃ理想的。一回2カプセル、一日二回。必ず食間にね。消費税はおまけしときます」
 店主の言葉にふと我に返ったように周りを見回すと、それまで何度もここへ足を運びながら全然気づかなかった商品――薬や健康食品のさまざまなパッケージ、薄暗い中にくっきり文字群が輝いてはっきり読み取れる。人生暗黙の流れとは面白いもので、一度店主と客との対話を聞いたあとは、店内で客の姿をよく見かけるようになった。放課後のいつもの時間に立ち寄ると、すでに客が店主と立ち話をしていたり、後から一人、二人と入ってきたりした。
 「ああ、そのテの食欲不振には、健康食品株式会社の『五健草』だな。大麦若葉、大豆、ハブ茶、ハトムギ、クコ葉、玄米、霊芝、ビワ葉、柿葉、ヨモギ、甘草、海藻ミネラル、人参が、デキストリンとカラメルと糖蜜で飲みやすい顆粒に仕上がってる。一日6gをこうね、水に溶かしてもよし直接飲んでもよし。消費税はおまけしときます」
 「ああ、そのテの疲労には、このカネボウ薬品の『霊田七』だろうな。田七人参を主成分に霊芝、橘皮、蘇合香、蛇胆を配合ときた。田七っつったら中国雲南省から最近まで門外不出だった秘薬ですぞ。抗癌、血糖値抑制、肝機能改善に効果ある薬効成分サポニンが高麗ニンジンの十倍。これ一ヵ月飲んでみて効かなかったらそうさな、利息つけて返金してやりますわい」
 「なるほど、人間が二足歩行しはじめた何百万年前からのね、宿命というか、罰だよねえ膝の痛みはー。そこでこれ、「自分の体の400倍のものを持ち上げ、1700倍のものを引っ張る強靭な足やふしぶしを誇る蟻」……擬黒多刺アリの粉末にふしぶし対策の定番グルコサミンとキャッツクロウ樹皮エキス末を加えた皇漢薬品研究所の『蟻皇宝』の出番ときますわい。カプセルを毎食後3粒ずつ。まかせなさい!」
 「ああ、そのテの無気力感には、タキザワ漢方廠の『片仔?』。田七人参を主成分に蛇胆、タウリン、霊芝エキス、ハトムギエキス、小麦胚芽抽出ビタミンEを配合だ。この飲みやすい小粒と格調高い黒箱に金文字がなんともいえまい」
 「いいですか、田七人参ものはこの二つ以外にも『田七粒』『田七粉』『田七精』『田七茶』『純田七』『金不換』『田七液』『田七錠』いろいろ出回っててそれぞれ傑作だけどね。くれぐれもありきたりな仮名モノや横文字モノに手を出しなさるなよ」
 「ん? 日邦薬品工業の『八寶片(バーボーヘン)』? もちろん特上物だよ。だけどうちは厳密だから。田七人参、蛇胆、ハルウコン、マンネンタケ(霊芝)エキス、クチナシ(実)、タンポポ、クコ(実)、ソゴウソウ、これだけ入ってると田七ものとはうちじゃ呼ばないんだよ。一般滋養強壮サプリだね」
 店主の科白の特徴は、商品に言及するとき必ず販売元と成分を明言することだった。そして客の科白においても必ず、販売元と成分が一々語られるのである。店主と客にそうした発言習慣が共有されていたことは、私が本記録を執筆するにあたって大変好都合な要因だったのであり、そのことについては後に述べる。いずれにせよ規約のようなものがあるとは一度も聞かなかったわりには徹底してたとえば、
 「あのう先月こちらで、ヒバマタっていうほら、ノルウェーだか何だか北欧の海藻とシルクプロテインを配合したあのキレイな六角柱のあの、薄紫紙パッケージに入ったベンファクト・コーポレーションの『絹亜鉛』てのを購入した者なんですけどー。毎日4粒ずつ飲んだおかげか結構みんなにこのところ肌の艶がいいねとか言われて。25日分5800円税別ははじめ高いと思いましたけどまたぜひ買いたいんですけどー」
 「同じ100%ものでも『ウコン末』だの『ウコンエキス』だの『琉球うっちん』だのってたるんだ名前ンじゃなくてリアルネットのこれ。『鬱金末』。三文字堂さんに勧めていただいたこれにしたらてきめんに肝臓の数値OK。酒飲みにゃウコンじゃなくて鬱金末に限るねえ」
 「伸和製薬の『涼寿泉』くださーい。ええそう、あの藍色+水色の格調高い箱に入ったやつよ。霊芝3に北米人参1の割合の抽出エキスって成分的にも、ああいう薄型大判正三角形の白錠剤ってカタチ的にもね、わが家で大好評ですってば」
 「いやァ三文字堂さん助かりましたよ、お薦めのマルマンの『糖減郷』ね、さすがはバナバエキス末とギムネマエキス末とビール酵母と羅漢果エキス末とパインファイバー配合の逸品でしたよ二ヵ月間毎食1粒ずつ飲み続けただけでてきめんに血糖値急降下です」
 「ははあ、『糖源郷』てのもあるの。発売元フィックス・ジャパン。紅麹末、タラ芽抽出エキス末(特許出願中)、コーラルカルシウム、デキストリン、ガラナエキス末、コーンスターチ、ポリデキストロース、魚介エキス末、ビール酵母……。タラの芽(頂芽・苗条)に新成分「エラトサイド」が発見されました、か。ウームたまらん。あ、押して回さないと開かない新型キャップですな、子どもの誤飲防止の。念入りなクスリ的雰囲気出してますねえー。1粒試食していいすか。くーッ、白い粒々の散ったこの鮮やかな茶色錠。たまんないねぇ」
 赤ら顔の中年男やちんちくりんの女子大生風や着付教室教師風の熟女などが嬉々として報告するのを傍で聞くともなく聞いている私までがなにかこう、ホッとしたような、密約に加わって昂揚したような気持ちに感染する。たまに要領を弁えない客が無防備な態度でカウンターに顔近寄せて「あのう、肩こりがとれるドリンク……」だとか「ええと、関節にいい何か……」「便秘が治るやつなら何でも……」などと間抜けな注文をしようものなら、店主は怒鳴りつけて追い返した。
 「うちは一見さんお断りだっ!」
 そう、店の風紀にとって、クスリの指名をしないあやふやな客が一番困るのだ。ドア開けざまに「胃がすっきりするのなら何でも……」などと抜かした顎のたるんだ中年男のときなどは店主、胃薬30mlドリンク剤『漢仁宝』(松浦漢方。キジツエキス、コウボク流エキス、チョウジエキス、牛胆汁エキス末、エンゴサクエキス、カンゾウ乾燥エキスE)や『泰牛仙』(みみずく藥房。キジツエキス、コウボク流エキス、チョウジエキス、牛胆汁エキス末、エンゴサクエキス、カンゾウ乾燥エキスE)や『三黄解S』(カネボウ薬品。オウレンエキス、オウゴンエキス、オウバクエキス、キジツエキス)や『推源涼S』(丹平製薬。合成ヒドロタルサイト、コンズランゴ流エキス、アカメガシワ軟エキス)などをまとめて引っつかみ「これでもくらえ!」投げつけたりもした。そしてしばらくの間「近頃は全く……、胃が軽くなりゃいい、疲れがとれさえすりゃいい、痩せさえすりゃいい、よく眠れさえすりゃいい。医薬品やサプリメントそれ自体への愛ってもんを嗜んでおらん……」ぶつぶつと文句を言いつづける。戸口に散らばった破片と零れた薬液をいつまでも放置しておかれたのではさすがに、私がいつも見かねて雑巾と箒と塵取で片づけるのだった。一念の師匠を無言で御するよく出来た一番弟子のような役割は私のひそかな快楽以上のものだった。
 店主の信念に感服したときは決まって、あ~あ、うちの両親がこういう凄いおとなだったらなあ、と溜息をついた。父親に関しては、ほんとなら生涯の尊敬対象にもなりえた筋を学びかけていたので尚更である。私の両親の間で頻繁に起こっていた喧嘩の原因の三割近くは、環境保護NGOのオフィスに勤める父親が生ゴミをゴミ置場に出さずに庭に埋めたり、撒いたりするのを母親が嫌ってやめさせようとすることだった。
 「馬鹿者ッゴミ出しは各家庭で減らすのが市民の務めだ、生ゴミは土をよくするんだッ」
 「ただでさえ狭い庭が汚くなってしょうがないでしょッ、近所の猫が掘り返して困るのよッ」
 「あっ馬鹿野郎、米のとぎ汁を流しに捨てるとは何たる環境破壊だ。地面に染み込ませりゃ草木が喜ぶんだッ!」
 「だめよぉッ、虫が湧いてしょうがないのッ」
 学生自治会から環境保護運動まで一貫して正義派行動派を地でいってきたと自認する父が、どれほど本物の信念に基づいて母を怒鳴っていたのかは定かでない。が、父のドスの利いた怒鳴り声は幼い頃の私には崇高に響いたし、母の言い分が一聴わがままであるのに対し父の主張はいつもなんとなく正論であるように聞こえていた(私がそもそも三文字堂のような薬店に牽かれた一因として、環境・自然食・有機農法に一家言しばしば洩らした父の影響があったと思われる)。環境問題の中でも生ゴミという最卑俗な素材が夫婦間見掛け上の争点となっていることに留意しておいてほしい。やがて父も母も、ただ互いに意見を合わせてはならぬという不和の惰性というか義務感のようなものに圧されるまま言い争い続けているのではないかと私の目に映るようになった。あるいは、表面上おおかた生ゴミ論争に仮託することによって、真の相性上の不和、根深い原因を意識しないですむよう、それこそ庭土を覆う有機物よろしく糊塗していたものと思われる。
 庭に生ゴミパターンを母親が嫌がった建前の第一は、虫が湧く、主としてミミズとダンゴムシとコオロギが増えるということだった。雨上がりにはたしかに、庭石の表面などにおびただしい数のミミズが干からびて死んでいた。そして確かに父親の言うとおり、ミミズは土壌改良の源である。この生ゴミ~庭~ミミズがわが家の争点となっていたことが、最後に私が決定版サプリメントを読者にご推薦申し上げるさい大きく効いてくることになるので、どうかご記憶いただきたい。【成分1】別名【庭争議】として読者の記憶にストックさせていただこう。(たとえば【事実1】と呼ばずに【成分1】という一見妙な言い方をするのはなぜか、については、これも最後に説明させていただく。)
 正義路線でまっしぐらに駆け続ける父を、では私は尊敬しきれたかというと、それがあいにく、初期のちょっとしたエピソードにより私の視線が疑惑色に半永久染色されていたというのが幸だったか不幸だったか。そのエピソードとは、まだ生粋の父親ッ子だった小学校二年のとき父とふたりで映画を見たあと寿司屋に入ったときの出来事である。父から将棋を教えてもらった頃で(父によれば唯一、取った駒を再使用できる日本将棋独特のルールは、リサイクルの理念を具体化した、環境主義的に言って世界に誇れるルールなのだという)、家庭内専横の裏付けに知力が確かに控えていたのだという感心の仕方を新たに覚えたばかりの私だった。カウンターでほたてにうににしゃこに甘えびに小柱に……と父が注文していったとき、えらの張った板前がじろり上向き加減下目遣いに「あのねえ悪いけどお客さん。さかなさかなしたのもちったぁ頼んでやってくださいよ。光り物がうちの自慢なんでねえ」と睨んだのである。父親が「あ、すみません。じゃあさばにこはだ……」と呆気なく折れたのを見て私は愕然とした。家では母親を怒鳴り正義の鉄拳を振るいすらしたこともある父親なのに、その線ならその線で一貫すれば素晴らしいと幼心に仰いでいた父親なのに、実はよそ様に子どもの前で恥かかされて平然としている父親だったとなると、どうにもわけがわからず混乱してしまったのである。
 この愕然はそれからずっとずっと後、父親の葬式の一週間ほど後、私は大学生だったがもう一度同じ寿司屋に入ってみたとき、テーブルの背広中年男がアガリといっしょに胃薬だか風邪薬だかを仰向いて飲んでいたのをカウンターから「失敬な。そういうもの飲むなら出てってくれ。おあしはいらねえ」と一喝され「なんて店だ」足音荒く出て行ったのを目撃して、あァもともとこういう店だったんだな、そういえば巣鴨だったか大塚だったかに私語厳禁のカレー屋があるとか聞いたなあ、と曖昧に納得してからも基本的に変わらなかった。いずれにせよ小学生当時の私はこの光り物の件で初めて親を、というより大人を軽蔑する味を知ったのかもしれない。三文字堂店主の怒声にかぶれたのはこの些細なトラウマの裏返しだったに違いないと自己分析したものだ。
 さて三文字堂店主は、一見さんは問答無用でお断りというわけではなく、初めての客とみるやまずじっと観察する。私がはじめて目撃した合格現場は、三十過ぎの通りすがりの生白い営業マン風だった。商品を手にとって「財団法人日本ウェルネス協会推薦品? ふむふむ、苦瓜、羅漢果、霊芝、雪茶……か。株式会社ボーダーレスヒューマンセンター。『快勝糖』……ね。ふむふむ。苦瓜には多くの有用成分が含まれており……とりわけ……ふむふむ……」男が呟きながら吟味しているところへ店主はニコニコにじり寄っていって、
 「そうそう。そうですそうです、さりげなく化学名が書いてあるのがなんともいえんでしょう」
 男は「ええ。しかも『「カランチン」や「ポリペプタイド」などが、身体の機能調節に重要な働きをすることが知られています』だなんて、漠然としたところがまたいいですよね」
 「ふむ……できるねっあんたっ」
 店主の反応にしかし男は上の空で「それとええと三共エール薬品の『皆快調710』? 納豆菌、乳酸菌、梅果肉末、食物繊維、フラクトオリゴ糖。納豆菌を使用していますので、抗凝結薬(ワルファリン)を服用されている方は、主治医にご相談ください、か……。へーえ。この注意書きがなんともいえないな」店主は無視されたことが却って気に入ったらしく、客が熱心仔細に眺めている箱をその手から取り上げて透明セルロイドを破り箱から瓶を出して蓋を開け、ピンク色の大きめの六角錠剤を6粒取り出した。「さ、さ、飲んでみてください」客はびっくりしたように錠剤を受け取ってゴクンと飲み干した。「……いま茶をもってこようとしたんだが」店主はぴんと背筋を伸ばして「水なしで。あんたは……フゥムできるっ!」肩を叩いて「よろしいッ。その『快勝糖』と『皆快調710』、ただで差し上げよう。持ってってください!」
 面食らっている男にさらに、「そうらこっちは同じカイショートーでも国際マーケティングの『解消糖ゴールド』だ。クマザサ、ヒバマタ、日本山人参、バナバ葉、アガリクス、桑の葉、カキオドシ、スギナ配合ときた。この黒箱逸品も差し上げようではないか。あんたはまだ糖尿病の歳じゃないだろうけどね」
 「いいんですかいただいて。む。なんですこの側面の、「最後の一粒までお召し上がり下さい」? 言わずもがなの……白抜き文句……。泣かせますねえ」
 「わかるか、無名の製造者らデザイナーらのこの心尽くしがあんたわかるかァッ!」
 店主は大喜びで、一円も取らずに男にさらに新品やサンプルをどっさり持たせて帰した後、「よそから飛び込みでやって来てもできるやつはできるものだ……」一日中上機嫌だったりするのだった。
 また逆に、常連客とて油断してはならなかった。何度か店主と親しく話していた常連中の常連だと私の目には映っていた中年男性がある日、いつものように店主と肝機能や血圧の話で盛り上がっていたところへふと「家内がね、最近寝起きが悪いのをなにかと更年期障害更年期障害ってね。呪文みたいに唱えてやがるからじゃあってんでほら、ザクロエキスがいいらしいねえって話になって。ザクロの分子構造ってのが女性ホルモンのエストロゲンによく似てるってねえ、あれは男が食べてもいろいろ……」
 中年男がひとしきりザクロの薀蓄をまくしたてているうちに店主の眉間にしだいに皺が寄っていきみるみる不機嫌になって、
 「ザクロエキスはいろんな……。あ……っ……」男がしまったというように口をつぐんだときはすでに遅く、
 「三文字もん、出てねえんだっ!」
 店主はドンッとカウンターを叩いて「ザクロザクロ目移りしてんじゃねえっ! 何年ここに通ってやがるんだ、更年期障害にゃ株式会社クロスの美肌・豊胸二大柱、ヒアルロン酸、コラーゲン、コンドロイチン、エラスチン、シルクプロテイン、グレープフルーツ果汁配合『麗肌創』とプエラリア・ミリフィカ、山芋末、コーンペプチド、プラセンターエキス、クエン酸、パントテン酸、ピーチ香料配合『艶美創』があるじゃねえか、あの計六文字じゃ不足だとでも言うのか、出てけコノヤロウ!」
 怒鳴り散らす激情現場でも決して会社名成分名を省略しないところがホント(窮めちゃってるよ……)私はぞくぞく感嘆した。
 店主のこの業界にかける情熱をモロ示した別の日の光景としては、これも常連六十代の青汁マニアたる太った禿親爺と大麦若葉談義になったときだ。禿親爺が「青汁はキューサイの『青汁』とかピュアグリーンの『ケールジュース』とかファンケルの『青汁ストレート』とか昔ゃケール100%原液解凍タイプを手当たりしだいに試したもんだけど、三文字堂さんに出会ってからはすっかり大麦若葉100%だね。やっぱケール系よりゃ大麦若葉系、三文字の威力さ。粉末をじかに口に含んでジワーッて溶かす感覚がたまんねえや。とくに日本薬品開発株式会社の『麦緑素』紹介してもらったのにゃ感謝してるよ。血圧は下がったししつっこい痔がすっかり治っちまった。それとなんといってもミヤマ漢方製薬の……」言いかけてハッと口をつぐみ、あわてて「もとへ、ミナミヘルシーフーズの……」再びしまったというように唇を開けたまま掌を開いたり閉じたりした。がもう遅かった。店主は完全に機嫌を損ねて、「こっのヤロー……」低く唸り「ミヤマとミナミの大麦には三文字もんはねえぞ……。ミナミヘルシーフーズのァ『スーパー大麦若葉』でえっ。四文字だこのやろう。ミヤマ漢方製薬のァ『グリーンバーリー』でいっ。漢字一個もねえカタカナものでいっ! こないだ売ってやった大麦若葉100%はだなッ覚えとけタキザワ漢方廠の『麦緑源』でいっ!! 浮気してやがったなこのやろうとっととうせやがれっ!」
 上機嫌で喋りあっていた相手を親しかろうが年上だろうが唐突に罵り始めるその形相は、赤黒く充血しこめかみに鼻の脇に血管が浮き、これまでの健康経歴が台無しになるのではとハラハラさせる迫力、この豹変が楽しみで私は三文字堂に通いつづけたと言ってもいいほどだ。失言による怒りを買った常連客は、こういうときどう言い繕っても無駄で本当に追い出されてしまう。失言客がそれからふたたび敷居をまたいで元どおり打ち解けて店主と話せるようになるには、少なくともそれから二~三週間は連日恐る恐る敷居にちょんちょん爪先出し入れ試みてそのたび入口で追い返され続けねばならない。青汁親爺のごときは、十日間毎日入口で追い返され続けたあげく『麦緑素』と『麦緑源』を携えて戸口で水なしで何度も分封袋からあるいは匙から口に含みじわああ唾液で溶かしているさまをしっかり口閉じうっすら涙目で誇示してみせたばかりか、大麦若葉モノ以外に日健協サービスの『活菜源』という深緑箱製品をも独自に入手してきて「桑葉、有機小松菜、茶カテキン、オリゴ糖。単細胞化技術による。〈単細胞化とは〉高橋慧博士が開発した植物の完全単細胞化技術(特許取得済)により、植物の細胞を壊さず1つ1つ取り出す、自然の良さをそのまま活かす技術です」などと箱側面の説明書きを読み上げながら一包2gを朝夕戸口でやはり水なし服用を演じてみせるという地道なパフォーマンスを重ねに重ねて、四週めにようやく店内に入ることが許されたのだった。
 会話の流れで自然とこうした試練へ客が追い込まれるパターンが多彩に展開し、聞いている私は飽きることがなかった。まれに店主は、以前に三文字堂で購入したサプリメントの感想を積極的に客に求めて、その回答によって評価を下したり、逆に客から質問を受け付けてその回答に対する反応によって客を評定したりすることもあったが、概して、双方向的な雑談風コミュニケーションの最中にポロッと零れ落ちた客の本音や隙や急所や背後や秘部を捕まえグサッと切り込む、あるいはバシンと一喝するという形式に尽きていた。真剣勝負の格闘技を見ているようだった。いつ爆発するかするかとハラハラしながら会話を見守るのが無上の楽しみとなったのは、いつも学校で頼りなげな教師どもにより一方的に評価される少年のフラストレーション座標の中では当然とも言えよう。テーマはなんであれ大人が大人を値踏みする現場というのは見ていてまことに鮮烈なものなのである。
 店主の眼鏡にかなうのはかくもデリケートなバランスを要する至難の業だったので、私はわくわく聞き耳を立てただけでなくメモをとるようになった。書き留めておいた客の科白を家で見直して、どこが悪かったのか復習してみたりした。ICレコーダーで録音して家で何度も聞きなおした。だいたい週に二十回も店主と客とのやり取りを見せられ書きとめ聞き直ししていると、客それぞれのレベルもその外見や振る舞いでわかるようになってくる。この奥さんはたぶん怒鳴られることになるぞ、とかこの爺さんはあと一度あれを言うともうこの敷居はまたげまい、とかいろいろ予感を確かめるのは快感だった。学校でも、誰かが先生にこっぴどく怒られるとその瞬間シーンと厳粛な空気が漂って、みんなうきうき目配せしあったりしたものだ。私は客が来るたびに期待に鼻の穴を膨らませ、店主の顔の上に閃くいかに僅かな不満の皺も見逃すまいとした。
 こうした観賞スタイルは必然的に、自尊心を育んだ。すなわち一度も店主を怒らせることなくずっと通いつづけられた私。ますますもって自分はなんてエライやつなんだろうとの錯覚に浸れるようになっていったわけだ。とはいえその頃はまだ私は店の商品を買ったり、商品について店主と論じあったりする身分ではなかった。ときおり棚からパッケージを取り上げて成分表や能書きを読みかけたりすると店主が取り上げて、「だめだめ。おまえにゃまだ早い。パッケージ丸ごとはな。これをやるから、ただし一日一粒にしとけよ」と、宣伝用の小袋入りサンプルをいくつかくれるのだった。私はそれらを食べずに貯めておき、何かに使えないかと思案していた。

    ○ 名称変更を提案すりゃ簡単だがそういうことはやらんところが実

 三文字堂関係の思い出だけをこう列記してゆくと、異空間に浸りきりになっていたかの印象を与えるかもしれないが、三文字堂にとどまっていたのは週に一、二度、多くて三度、各一時間程度のことであり、なんといっても塾にも通っていたし友だちは一人もなかったとはいえ何人かの友だち候補の家に遊びにも行ったしプレステにもポケモンにもプライドにもK1にも関心ないもの同士で将棋やったり古きよきウルトラマンの怪獣戦わせたりして遊んだし、中学に入れば即片思いの女の子もクラスにいたし、彼女を下校路に待ち伏せて公園の木の下でコクって「ごめんね」と言われもしたし、そのショックのせいか風邪で一週間寝込みもしたし、幾度か要言及ともなろうから一応彼女の名を記せば福原奈緒美というのだったし、両親のいつもながらの険悪な口論をベッドの中でじっと聴いてどっちがまだしも頭がいいのか判定しようとしたし、庭で掘り出してしばらく空瓶で飼ってたシマミミズを五十匹再び庭に放したし、フランシス・レイの映画音楽がなかなか酔えることを知ってCD買って聴きはじめ一九六〇年代の雨に煙るパリの歩道なんてのイメージしてポーッとなったりしたし、レイ的恋愛映画臭がなにげにフェロモン式に染み付いたご利益かいったん振られたはずの福原奈緒美に「やっぱり……」と歩み寄られて有頂天にもなったし、それでいつどこにデートを誂えたらいいか目線で牽制しあっているうち何週間もやきもき過ぎていったし、などなど興味のやり場には不自由しなかったので、三文字堂店主も本当は多くの知人友人顔見知りの中のちょっと変わった一人というにすぎず、生活全体でこの薬屋の占める割合は決して過大ではなかった。ただ、友だち候補の誰一人にも三文字堂の面白さを告げ知らせずにおいたところをみると、当時すでに、三文字堂があえて秘密に値する特別な要素だったことはどうも確かである。
 店主は私にぽつぽつと半教訓的な語りを繰り広げ続けた。ほとんど忘却した話の内容も、外に雨音が垂れ込めている日のものはなぜか鮮明に記憶に残っている。店主はカウンターに私は丸椅子に、しーんとした中で宿題に一息ついて私が顔を上げると、頃合と見て店主が宝力本舗の『解糖源』(チュンダン末、ゴボウ末、レンセン末、クコ葉末、ウコン末、キキョウ末、レイシ末)や『快流源』(ノコギリヤシの果実を液化炭酸ガスで臨界抽出)を一粒コップ水でゴクンと飲み込んで、
 「そうだな……」
 話し始めるという具合だった。曰く、人生、たまにゃひっくり返して焼き加減を見てみないとな。曰く、UFOとか宇宙人とか救済とかに期待するなよ。そういうやつは明日か昨日にしか興味もてないウワノソラ野郎だからな。曰く、「進化」の反対語は何だ? 曰く、ばかやろ、猿の尻尾が退化してビテーコツに縮まったのも進化なんだよ。進化の反対はおまえ「無進化」に決まってっじゃねーか。「停滞」だよ停滞。進化の反対は退化なんざぁ金輪際言うなよ。曰く、商業捕鯨を認めろだ? 鯨は日本の食文化だってやつに言いたいよ、いつから鯨肉が大相撲や盆踊りと同列になったんだってな。曰く、それにおまえ鯨って本気でそんなに美味しいと思うかよ。曰く、欧米人だって牛や豚食ってるじゃねえかって馬鹿が必ずいるんだよな。曰く、阿呆。野生動物殺すのと繁殖動物殺すのの区別もつかないってかよ。曰く、森林保護のために割箸は使わないようにしましょうって馬鹿もよくいるよな(たまにコンビニで母がうっかり割箸もらってくると怒鳴るのが父の環境主義者たるゆえんだったので私はドキッとした)。曰く、阿呆。一概に言えるかよ、割箸用に植林してる場合もあるんだよ。割箸生産が栄えりゃ緑増やす結果になるルートだってあるっつの。曰く、パラリンピックをオリンピック並みに報道しろって大馬鹿もよくいるよな。曰く、阿呆。偽善的にもてはやしゃもてはやすほどドーピングだの障害ランクごまかしだの健常者の身代わり出場だのでメダル剥奪が続出してる現状知ってっだろうがっつの。オリンピック自体が褒められたお祭りじゃないんだから。そんなの真似して障害者福祉に何の得あるかっつの。曰く、チェス知ってっか? 俺薬剤師仲間とよくやるんだけどよ、キャスリング知ってるな? キングとルークがまだ動いてない場合は一手でキングが入城できるのよ。で、こないだ俺中盤でキャスリングしたんだよ。したら対局相手、初対面の防衛医大の薬剤師だがな、反則だって言うのよ。さっきそのルーク動かした、って言うのな。手としちゃまだ動かしてないわけよ。ルークがずれてたのをちょっと位置を直しはしたがな。それが「動かした」ことになるって言いやがるのよそいつは。ばかやろう、ゲームの手として動かしてなきゃいいんだ、物体としての駒を動かしたかどうかじゃないんだって言い返したんだがそいつ頑として聞きゃあしねえのよ。けっきょく物別れ、ゲーム中断さ。曰く、京成線乗ったことある? こないだ日暮里から京成乗ろうとしたらよ、駅のアナウンスが「各駅停車うすい行き、小岩まで先に到着します」って言うのよ。そうか、なら小岩より先の駅には次の特急成田空港行きが先に行くんだなと、小岩のふたつ先の国府台ってのが目的地だったんで次の特急待って乗ったのさ。そしたらよう。青砥に止まって高砂に止まって、それはいいんだが小岩で各駅停車うすい行きを通過追い抜きして、フム、確かに小岩までは各駅が先だったなと思いつつそれが驚いたことに小岩通過のあと江戸川、国府台、市川真間、菅野とさらに四つ通過しちまいやんのよう。八幡でやっと止まりやがんのよ。おーい、小岩から先は特急が先じゃなかったのか! 内心叫んだね。八幡で降りて上りでUターンしなきゃなんなかったよ。もちろん国府台に着いたのはうすい行きよりずっと後。菅野あたりですれ違ったからね。ったくどーなってんのよあのアナウンス。こういうときゃ各停が小岩まで先に到着じゃないでしょ、菅野まで先にでしょッ。各停のあとの特急じゃ菅野で降りれねーんだからよう。わかるこの理屈? 曰く、われわれ乗客は物体としての各駅停車が先にどこまで行くか知りたいわけじゃないのよ、物体じゃなくて交通手段としてどっちがどこまで先に連れてってくれるか知りたいんだよッもう。曰く、チェス野郎といい日暮里のアナウンスといい、わかってねえやつが世の中増えたねえ。機能ってもんを理解しない物体主義者が世の中ダメにするのよわかるだろ。わかったらこの日水製薬の『願快清』1匙飲んどけ。アガリクス+日本山人参+プロポリス+植物発酵エキスの濃厚ペーストだからな強いぞグッとくるぞ噎せるなよ。曰く、御出席、御欠席の「御」は消して返送するんだぞ。知ってるな。曰く、「行」は「様」か「御中」に直すんだぞ知ってるな。曰く、御住所、御芳名の「御」「御芳」を消すのはそりゃ間違いだからな。それが正しいと思ってる馬鹿が世の中にゃ多いけどな。出席、欠席、御中の場合と混同するなよ。出席、欠席、御中は確かにこっちがむこうに出すメッセージの一部だから礼儀上書き直すけどな、よく考えろ、御住所、御芳名って印刷文字はこっち返信側のメッセージの一部じゃないぞ。曰く、あくまで送信者の作った書式の表示であってだな、こちら返信者が書き込む枠の外にある相手様の指示書だぞ。取り消しが許されるのは自分の発するメッセージだけだ。送信者の礼儀に則った枠外文字をあえて「住所」「名」と直して返送するなんて、相手様の礼儀を勝手に取り消すことであってだな、それこそ礼儀知らずだろうが。曰く、人に礼儀知らずの汚名を着せるほど礼儀知らずなことはないのだぞ。曰く、ヘルス嬢のサ、腰掛けバイト系と社会勉強系と古典出稼ぎ系の一発見分け方知ってっか? おっといやいやおまえにゃまだ早い。曰く、期待の新聞小説に「どうも一葉女史は死にたがっている人間を魅きつけるようだね」って一節を発見しちまった。まいったね。「ああ志博多さん、あなたもあっちサイドの人でしたか……」呟いちまったぞ。曰く、週刊誌や新聞に「引かれる」でも「惹かれる」でもなく「魅かれる」と見つけるたびに「こんな字はない」と朱入れてその頁破りとって電柱にでも貼り付けておけ(この「電柱にでも貼り付けておけ」がやがて私の活動にとって潜在的大ヒントとして作用したことは後でおわかりになるだろう)。曰く、いや、漱石の「馬尻」的当て字レベルと同等とは「流石」に誰も思っておるまいなあ。曰く、人を殺しても罰せられないのはどういう場合か知ってっか。二通り言ってみろ。曰く、フム、正当防衛は知ってたか。それともう一つだ。曰く、わからんか。も一つはな、緊急避難ってんだ。トラックが突っ込んできた、アブないっ、よけたら近くを歩いてた婆さんを突き飛ばしてしまい婆さん頭打って死んじゃった。こんな場合だな。曰く、レイプを罰するのは刑法百七十六条から百八十一条だ。レイプは親告罪だぞ。親告罪知ってっか? 曰く、よーしよし。被害者から告訴されないかぎり罰せられないと。しかしな、告訴がなくてもレイプ犯が罰せられる場合が二つある。そう、また二つだ。どういう場合だ? 曰く、わからんかなあ。ヒント。一つはマワした場合だ。じゃあもう一つは? 曰く、そうそう怪我させた場合。強姦致傷、だな。じゃあな、その怪我ってのは具体的にはどういう怪我のこと言ってんだ? 曰く、違ァーう、そんなんじゃなーい。打ち身擦り傷じゃないぞ違うんだよ。裂傷だよ処女膜が破れる裂傷のことだ。処女を犯したやつはそれだけ罪が重いってことョ。刑法ってなかなか奥床しいだろ。曰く……、
 これら店主語録を書き留め録音して家で復習したことは言うまでもない。話に私がうまく頷けた日には店主は上機嫌でサンプル以外の、棚の商品を一箱、一瓶とくれることもあった。ときにはもちろんサプリメントそのものが話の主題になることもあった。
 「これを見ろ」
 店主が金色の円筒形の缶を差し出し、いっしょに店頭用パンフを目の前に突き出す。「どう思う。声に出して読んでみろ」
 「ええと……」店主の指にぶら下がって揺れるパンフを私は目で追いながら、「……良質の分離大豆たんぱくを。お料理にも便利なパウダー状に。三基商事の『ミキプロティーン95』は、良質な大豆からたんぱくを分離・抽出し、パウダー状にした消化・吸収に優れた栄養補助食品です。動物性食品の摂取過多ともいえる現代人の食生活にとって植物性たんぱくを手軽に補え、大豆由来のイソフラボンも含むミキプロティーン95は、大自然からの素晴らしい贈りものと言えるでしょう。活力あふれるフレッシュな生活、それはバランスのとれた食生活からはじまります。遺伝子組換え大豆は使用しておりません。良質の植物性たんぱく質を含む……」
 「よし」店主は制止して、「どう思った」
 「ええとそのぉ……」非三文字製品の広告チラシを見せられるとは思わなかったので私はすっかり戸惑いながら、「大豆由来のイソフラボン……ていうと大豆以外のってやつもあるのかなと……」
 「違あーう!」店主は缶をカウンターにごんごん打ちつけながら、「そこじゃなーい。ここ、ここっ。遺伝子組換え大豆は使用しておりません、ってとこぉ!」
 「え? えーと……」
 「そりゃまあな、狂牛病とかつきつけられりゃな、牛骨粉や牛レバーの錠剤なんかにゃ「国内産」て表示は確かによく見かけたよ、そりゃまあ結構だ。気持ちはわかる。しかし遺伝子組換えは事情が全然違うだろうがっての。むしろ遺伝子組換えこそ模範じゃないのか、サプリメントの目指す人工食物的境地の極致じゃないのか。自然の葉や実や根や種や肉のエキスを何百倍にも濃縮して固めたカプセルや錠剤や顆粒なんだぞサプリメントの常道は、もともと。何を今さら遺伝子組換え大豆は使用しておりません、だ。偽善もほどほどにしろっつの。パラリンピックの二の舞だっつの。遺伝子組換えなぞ理の必然。その方向がいやなら自然食品に改宗しろ。有機農法信者の店でも探しておとなしくかぼちゃだの麦だのたらたら食ってろ。生で食ってろ、火を通すのだって人為操作なんだからな、木の根掘って食ってた洞窟時代に戻れっての。料理も一切やめろ、歯磨くのもやめちまえバカヤロウ。薬局の看板掲げてるかぎりは遺伝子組換えがいやだの添加物がいやだの軟弱な御託一切許さんからな。サプリメントは断じて自然ではないっ。ここにあるドリンク剤どもを見ろ。パラオキシ安息香酸エチル、パラオキシ安息香酸プロピル、パラベン、サッカリンNa、安息香酸塩。ここにある錠剤どもを見てみろ。赤色3号、黄色5号、青色1号。ビバ、保存料! ビバ、着色料! 香料、酸味料、人工甘味料万歳! 誇示するくらいでなきゃいかんのだよ! これを見ろ。特別に紹介してやろう」店主が持ち出したのは、シガリオの『玄米の精 ブラックジンガー』という暗褐色箱。「こいつはな、厳密にはプレ三文字だから人に紹介できる段階じゃないんだが特別におまえさんには教えといてやろう。まもなく三文字に昇格するはずの製品だから」『玄米の精』を特別に『玄米精』と読み替え仲間に入れてやろうということだろうか。「ここを読んでみろ」
 私は箱の側面を音読した。「厳選された減農薬玄米を、バイオテクノロジーで長時間焙煎、冷却後熟成させ、15ミクロンオーダーの微粉末にしました。減農薬玄米の成分を活性化したロースト玄米の精です……」
 「さあ、これのどこが優秀なんだ?」
 15ミクロンだの、中の説明書にある「特許装置ホロニックテクノロジー」だの「γオリザノールが熱変成し、フェルラ酸が生じる」だのといったハイブラウな言語群にも惑わされないようにしよう。私は的確に答えた。
 「減農薬玄米、です。しかも二度も繰り返しているところ」
 「その通りだ! 念入りに誇示しているだろう!」店主は満面の笑みを爆発させて私の頭をなで、「そうなのだ! 「無農薬」がアホみたいな反復呪文になっている腑抜けた現実に、あえて「減農薬」なのだ! これよ、これがサプリメント文化よ。このプロフェッショナルぶりに敬意を表して、俺はこの『玄米の精』をいち早く『玄米精』とひそかに心の中で呼んでだな、いや、株式会社シガリオに名称変更を提案すりゃ簡単だがそういうことはやらんところが実力なんだ。食いたい食いたいと思いつつまだ我慢してるんでな、まあ見てろ、今にうちの棚に並ぶことになるぞ、正式に『玄米精』となった暁には思う存分味わいふけろうと思っておるのだ。さあ楽しみだなッ」
 店主が将来のことを語るとは珍しい、と思った。だいたい、たった「の」の字ひとつの差異にせよ現状では『玄米の精』礼賛は忌むべきタブー侵犯には違いあるまい、そこを店主自ら違反の事実を開陳してくれたということはいかに私への信頼が深いかという証しに思われてまことに有頂天だった。私はその夜、インターネットで「遺伝子組換え」と「健康食品」で検索を試みて――そう、この頃ちょうど父が遺伝子組換え食品反対のキャンペーンに関わっていて家でもよく理念をぶち上げていたことから私のリサーチにもリキが入った次第なのだが――、次のような記事を見つけたのである。

 日本消費者連盟が発行している消費者リポートによるとハーバライフ製品はノルウェーでは販売禁止になったそうです。
 というのもその製品内に遺伝子組換え作物が半分以上含まれていたようなんです。
 遺伝子組換えと言えば長期間にわたり摂取した場合の安全性は未だ確認されておらず、今日の読売新聞によると主婦の80パーセント以上に「価格が高くても遺伝子組換えされていないものを選ぶ」と言われている代物です。安ければ買ってもよいと言う人はたった4%……。

 遺伝子組換え会社がゴ-ルデンライスの特許を無償提供
 農業バイオテクノロジ-の大手モンサント社(Monsanto Co.)は、8月3日、遺伝子組換えによって作られた「ゴ-ルデンライス」に関する同社所有の特許を、開発した研究者たちに無償で提供すると発表した。ゴ-ルデンライスは、遺伝子操作でビタミンAのもとになるベ-タカロチンを十分含むようにした米で、ビタミンA不足による栄養失調で失明や死亡に至る世界の貧しい国の子どもたちの救世主として期待されている新種の米だ。ビタミンA不足によって毎年百万人以上の子どもたちが死亡し、30万人が失明していると言われている。ゴ-ルデンライスを開発したのはスイスの連邦工科大学の名誉教授、インゴ・ポトリクス博士らの研究チ-ム。研究者たちは、開発に際して、モンサントやその他の会社が所有する技術特許を使用した。研究段階で特許を使用するのは構わないが、できた製品を自由に市場に出すことは開発者といえども許されない。通常、特許所有者と交渉して莫大な使用料を払わなければならない。ゴ-ルデンライスの開発に使われた技術に関する特許は70にのぼり、これを所有する会社または研究機関は32にもなる。このクモの巣のように張りめぐらされた特許の網が壁になって、せっかく開発した米を世界に普及させることができない。そこでポトリクス博士は、貧しい国の子どもたちを救うために、ゴ-ルデンライスの特許使用に関して関係会社などに特別に配慮してほしいと申し入れていた。モンサントが特許を無償で提供したことについて同博士は「非常に感謝している。他の特許所有会社に対して、モンサントがタダで特許をくれたのだから貴社も同様にせよ、と強く申し入れることができる」と述べている。ただし、特許を所有する関係会社や研究機関の一つでも同意しない場合には、ゴ-ルデンライスの種子を農民に配布することはできず、今後どうなるかまだ楽観は許されない。このところ、遺伝子組換え食品に対する風当たりが強まっており、特にモンサントは反対運動の標的となっている。これについて同スポ-クスマンは、「われわれはバイオテクノロジ-を今後いっそう活用していく。その応用の成果は人間の必要を満たすものであり、現実に途上国で生かされている」と話している。

 これをプリントして意気揚揚と三文字堂に持っていった私だったが(ハーバライフ万歳、モンサント万歳)、結局その日は全然別の世間話に終始した合間にまた五、六種類サンプルをもらってきただけにとどまった。非三文字製品が話題として許されるのはアンチテーゼとしてだけであって、『ゴールデンライス』は『玄米の精』→『玄米精』のような出世の見込みもないことを危うく思い出したからである。風を読み違えてここで足を踏み外していたら、一切が無に帰し、雪崩れ落ち、三十年後のいま私がくつろいでアサヒ飲料の340g缶『鉄観音』(福建省産一級茶葉百%)を飲みながらこれを書いていることもなかっただろう。
 店主にもらったサンプルもこの頃にはだいぶ溜まっていた。サンプル群の使い道が発見できたのは、客の老婆が、息子のクロレラ・アレルギーや孫のローヤルゼリー・アレルギーについて店主に話していたのを聞いたおかげである。「食べなれてないモンがいきなり始めるとねえ……」私がたまたま一番貯め込んでいたのが日本製粉の『緑陽珠』(クロレラ ピレノイドサ種100%)とエージェーデェー開発の『蜂精源ローヤルDX』(調製ローヤルゼリー、乳糖。乳白色ハードカプセル)だったので、ぴんと来たのである。『緑陽珠』と『蜂精源ローヤルDX』、あとついでにミヤマ漢方製薬の『肝習慣』(シリマリン(西洋アザミ)エキス、アガリクスブラゼイエキス、タウリン(魚介類抽出物)、L-システィン)を、毎日食卓で両親の膳に忍び込ませておくことにしたのだ。
 固形をそのまま仕込んではすぐばれるので、錠剤は根気よく細かく砕き、ハードカプセルは丁寧に割って中の粉末を取り出しては、父親と母親の皿の中に振りかけておいた。食卓にはレトルトやコンビニ食が並ぶこともあったが、概して母親の手による創意力作の比率が高い。両親の不和ぶりは子どもの目にも明らかに復旧至難だったが、それだけに父親は給料全額を母親に託して乏しい小遣いでやりくりすることによって、母親は家事のすべてをスタンダードにこなすことによって、それぞれ悪いのは自分ではなく非は相手にこそと暗黙に主張しあっているふしがあった。おかげでひとり息子の私が精神面以外で不自由を強いられることはなかったのだが、こうして母親手作りの食卓には、粉末混入に適した色素豊かな融解型素材が比較的豊富だったわけだ。味噌汁やスープやお茶だと澱が残ってばれるおそれありなので、カレーやシチューや酢豚など、かき混ぜてしまえば絡めとられて痕跡が残らぬものに仕込んでおく。ときには、揚げ物や煮物などの製作過程に、隙を見て粉末を入れておいたりもした。
 この仕込み行為には当時は名がなかったが、後年、回想用に自ら「裏処方」と名づけた。
 鬱陶しい喧嘩に染まりきった両親の仲も知らず知らずふたりして健康になってしまいさえすれば必ず好転する、と私が目論んでいたものかどうかもう憶えていないが、三文字堂店主が折に触れ口癖のようにこう語っていたことは確かだ。
 「神は死んだって言葉知ってっか、宗教なんて今日び詐欺師のビジネスだろ、不倫ブームだろ、愛国心なんて今どきお隣との波風のもとがせいぜいだろ、科学も環境破壊の元凶だろ、不幸も幸福も快も不快も気の持ちようだろ、信じられるものったら何一つ、そ、〈健康〉だけだな、健康って呪文だけは22世紀まで生き延びるだろな。永遠の愛が忘れられても義理人情が廃れても、根性が努力が裏目に出ても自由や正義やなんとか主義が古びても、詩人も芸術家も滅びても美人の基準が変わっても、世界記録がドーピング疑惑で真っ黒に焦げついても友情が金で壊れても、金利が一夜でパーになっても真理が三つ四つ百八つに分裂しても、たとえ『五体不満足』がベストセラーになろうとも、依然誰もが生まれてくる我が子の〈五体満足〉ならぬ〈健康〉だけは素朴に願い続けるだろうよ、……そ、真善美愛など家庭にひとかけらもなくたって、ひそかに忍び込んだ一滴の健康の前にァいかなる不機嫌も鬱憤もひとたまりもあるまい」
 裏処方の効果は確実だった。両親とも血色がよくなり、活力がみなぎってきたようだった。そのぶん喧嘩もやかましくなったが、言い争いにも心身の余裕が出てきたようだった。これはいいと私は思って、効果をもっと確実にするため裏処方量を増やし、箱に記されている一日の目安量の十倍から二十倍の量を仕込むようにした。1日2~4粒が目安の『蜂精源ローヤルDX』であれば20~50粒ほどを一度にシチューに混ぜておいたわけだ。22種類のアミノ酸に加えローヤルゼリー特有のデセン酸、類パロチン、未解明のR物質などが10日分一度に両親の細胞に吸収されてゆく……よしよし、ふっふっふっふっふっ……。
 父も母も動作がきびきびし、顔が紅潮してきた。庭の生ゴミ撒きをめぐる二人の言い争いにもメリハリが倍増した。周期的に父親の顔面に蕁麻疹ができてしばし鏡に専念し、母親を怒鳴る暇がなくなったぶん家の中は静穏になった。ふむ、好転反応。これで少しおとうさんの胃と血圧がよくなった、よしよしよしよし……。夜中に母親がトイレに起きたのを聞きつけそっとドアに耳を寄せ、(ぶっ、ぶビっ、ぶちぶちぶちぶぃっぶちちちっ……)壮絶に下痢の音が洩れてくるのを確かめて、よしよし好転反応、これでおかあさんの肩こりと生理痛がよくなった、おとうさんに厭味や当てこすり言う暇もなくなった。私はほくそえみ続けた。二人とも寿命が少し伸びただろう。
 逆に言えば、家庭内に側面から生理的漣を引き起こすことにより、両親各々に発する本来の不和を隠蔽し、埋没させ、解消する段を私は企てていたような気もする。むろんその奥にはほんとうは、不愉快な喧嘩を繰り返して私に精神的不快をもたらしている両親に天誅を下すというか、私ひとりが新生活へ脱皮する唯一の手段、ふたりに死んでもらうための毒殺のシミュレーションという儀式的意味も当然蠢いていたのだろうなと今になってつくづく思い返すのである。
 さらにまた、家庭における針の筵的不穏をたえず私自身に思い出させることによって、対照的に心のオアシスたる三文字堂の価値を心の中で高めるベクトルを作っていったとも言えるだろう。サンクチュアリの存在意義を確かめたい――、日常の亀裂や味気なさを背伸びして誇張してまで自ら聖域への憬れと耽溺を正当化したい欲求、というものが子どもにはある時期不可欠の必須アミノ酸的成分のようだ。三文字堂が私の聖域、秘密基地だったのだ。
 私の手によるサプリ成分の附着した食物片が、生ゴミと化すやいなや父の手によって相変わらず母親の苦情に抗し庭に撒かれ続け、栄養のグレードアップにより庭じゅうのミミズ・ナメクジ類の体長が目に見えて大きくなったことは確かである。この【成分1】別名【庭争議】発展形がまた後々の展開にヒタヒタ効いてくることになるので暗にご記憶願いたい。

    ○ 先端が舌になったように百もの味覚がヘソまで染み上

 かくして三文字堂はこの上なく居心地よい空間だった。したがって一方、子ども式秘密の常として、ひそかに掟すれすれを狙うことも私は忘れていなかった。
 ザクロは女性ホルモンエストロゲン酷似の若返り妙薬なんだっけなあ、だけど三文字製品はないんだよなあ惜しいなあ、おかあさんのご飯に混ぜたいなあと、サプリックスの錠剤『スーパーザクロ』(ザクロエキス(50倍濃縮エキス)、FDローヤルゼリー(3~4倍)、プラセンターエキス末、グルコサミン、パープルワイルドヤム、ビタミンプレミックス、コンドロイチン硫酸ナトリウム)やリアルネットのゼリーペースト『乙女ざくろ』(ペルシャのざくろ濃縮果汁、イソオリゴ糖、ブドウ糖、ペクチン、レモン濃縮果汁)を駅前のマツモトキヨシの棚などに横目でちらちら見つつ、漢字三文字とかけ離れたそれらにはさすがに手を触れるのも憚られて、せめてもの代わりとなるのは明朗系花実モノとばかりケンコーの『三美花 減肥粒』(ギムネマ・シルベスタ、ドクダミ、ハマナス、ジャスミン、ダイダイ、プアール茶、ハブ茶、オオバコの種子、ダイズ、サナムクヒ茎(食品用)の各エキス、キダチアロエ、プランタゴオバタ、米酢モロミ末、ビール酵母、根昆布、アルファルファ)をマツキヨで二度ほど万引きして、母親の皿に集中投与した。「三美花」はエピセット風に小さく表記してあるため「減肥粒」が本名なのだろうという解釈を盾にしたわけだが、成分表示表の上の「品名」には「三美花減肥粒」と記されていて、いかにも六文字製品の嫌疑が濃厚だった。『三美花 減肥粒』の蓋を開けるたびに(六文字だばかやろう!)店主の怒声が思い浮かんでドキドキした。
 つづいてアスプロの『有精卵 卵黄油』(卵黄レシチン油、ビタミンE)や常盤薬品工業の『玉龍 参蒜精』(大蒜抽出液滴下タイプ)や、そのうちだんだん大胆になってはっきりと、「雲南省薬品検査所認定の「一級田七」を選んで製品化しました。サポニン配糖体であるジンセノイドRb群、Rg群が約10%含まれています」という説明に魅せられるあまり東海産業の『雲南田七』を各チェーン店で購入しこっそり一日1粒ずつ自ら飲み始めもしたのである。これはもう『三美花 減肥粒』等々とは違い弁解の余地なき掟違反である。この罪悪感の甘美は圧倒的だった。『雲南田七』には目安量は350粒を一ヵ月で、と記されていたが、罪悪感ゆえ日1粒がやっと。ひそかに規則を破ることが、表向きの規則遵守の快楽と規律感を倍増させたのである。
 こうして中一の夏休み前、二人の老客と店主との真っ向対決に立ち会うあの瞬間と相成るわけだ。二人とも細身の、弱々しい感じの老夫婦は、別々に何度か訪れてドリンク剤や精力剤を買ってゆくのを見て知ってはいたが、店主と長い会話を交わしたことがなかったのでさほど印象に残っていなかった。その日、私が逆転ゲットしてまもない福原奈緒美を伴って――
 「え。おかあさんが健康食品の?」「うん。ディストリビューター」「マルチ?」「じゃないと思うけど」「ハーバライフ?」「ニュースキン・ジャパンとかって」「軟弱な名前だな。どーせアメリカの会社でしょ。もっと骨のある店あるから行ってみない?」「いいよ」
 ……そんな準奇遇めいた経緯がありはしたにせよ、初めてのデートに三文字堂を選ぶのも、初めて三文字堂を紹介する人物としてガールフレンドを選ぶのも、ともに同程度に無謀といえば無謀だったと今では思う。奈緒美伴いガラッと戸を開けたときには、すでに老人夫婦は直立不動で真っ赤にまくし立てていたという光景は本書冒頭で述べたとおりである。
 「……天野商事の『金蛇精D』(ロイヤルゼリー、ロクジョウチンキ、反鼻チンキ、ニンジン抽出液、イカリ草チンキ、ガラナチンキ、クコ子抽出液、L-アスパラギン酸カリウム・L-アスパラギン酸マグネシウム、L-アルギニン、L-フェニルアラニン、L-イソロイシン、L-バリン、L-ヒスチジン塩酸塩、L-ロイシン、L-スレオニン、塩酸リジン、L-トリプトファン、アミノ酢酸、DL-塩化カルニチン、パンテノール)50mlで日水製薬の『金精瑠』(鹿茸末、牛黄末、淫羊?末、人参末、地黄末、杜仲末、茯苓末、黄耆末、川?末、硝酸チアミン、リボフラビン、塩酸ピリドキシン、理研ドライE-S)海老茶2カプセル飲むと……」これが冒頭に記した老爺長広舌の続きだ。傍らの福原奈緒美そっちのけで私は、反射的にいつもの記録モード――筆記メモプラスIC録音――に入っていたのである。「……先端に目がついたような股間眩い絶頂が輝きます。天野商事の『金蛇精ゴールドⅡ』(Ⅰがどこにも見当たらないのはなぜ。イカリソウエキス-S、肉?蓉エキスA、ジオウエキス-A、黄精エキス、ローヤルゼリー、クコシエキス、人参エキス-I、反鼻チンキ)50mlでマルマンの『活精源スーパーZ』(ヒバマタ粉末、田七人参粉末、鮫軟骨抽出エキス、サンゴカルシウム、ビール酵母、スッポン粉末、牛肝臓エキス粉末、無臭ニンニクエキス末、キチンキトサン、茶の素)9粒を飲むと、先端に耳がついたように賑やかな絶頂を迎えます。同じ9粒を『金蛇精ゴールドⅡ』明治薬品バージョン50mlで飲むと、先端が鼻になったようにドップリ詰まったりスウウと通ったりむずむずっと噴射したりを存分繰り返します。明治薬品の『金蛇精ロイヤル』または同内容同パッケージの『ロイヤル金蛇精』(海狗腎チンキ-N、反鼻チンキ、牛黄チンキ-N、山茱萸流エキス、黄精エキス、地黄エキス、枸杞子エキス、コンドロイチン硫酸ナトリウム)50mlでマルマンの『陸珍寶』(コブラ粉末、サソリ粉末、赤マムシ肝入り粉末、スッポン粉末、トナカイの角粉末、蟻粉末)8粒を飲むと、先端が指になったようにぐるぐるこねくり回し自在です。十王製薬の『十王精キング』または同内容別パッケージの『十王精内服液S』(ムイラプアマ乾燥エキス、インヨウカク流エキス、ニンジン流エキス、サンシュユ流エキス、ゴオウチンキ、ローヤルゼリー)50mlでマルマンの」メモの筆致を合わせながら私はずきずきと痛いほど勃起していた。「『海珍寶』(エラブウミヘビ粉末、タツノオトシゴ粉末、ヒバマタ粉末、オットセイエキス末、サメ軟骨抽出物、真珠粉末、ビール酵母)8粒を飲むと夕立ち確保100%です。十王製薬の『十王精スピカロイヤル』(ムイラプアマエキス、インヨウカクエキス、ニンジンエキス、ゴオウチンキ、ロクジョウチンキ)50mlでマルマンの『山珍寶』(マカ粉末、日本山人参粉末、田七人参粉末、イチョウ葉エキス末、カバカバエキス末、ガラナエキス末、アガリクスエキス末、パウダルコ粉末、ビール酵母)8粒を飲むと宵立ち95%確保プラスαです。十王製薬の『スピカ牛参蒜D』(ゴオウチンキ、ニンジンエキス、オキソアミヂン)50mでアスプロの『肝力球』(牛肝臓エキス末、無臭ニンニク末)4カプセルを飲むと、国際マーケティングの『即虎精』(マムシエキス、スッポンエキス、ガラナエキス、田七人参エキス、ローヤルゼリー、クエン酸、ムコ多糖蛋白複合体、トウガラシエキス。ワシントン条約で禁じられている虎骨や虎鞭の成分含有かのような虎デザイン。唐辛子分子が喉にキます)30mlで同社同デザインの錠剤『即虎精』(スッポンのペニス、肝臓、睾丸の末、ハブのペニスの末、鹿の肝臓末、コブラのペニス、睾丸の末、海蛇の胆のう末、大ヤモリの末、タツノオトシゴの末、スッポン、ハブ、コブラ、海蛇の末、真珠末、杜仲葉末、あした葉の末、マテ葉末、炭末色素)6粒またはイスクラ産業の『心沙棘(シンサージ)』(沙棘エキスパウダー)6粒を飲んだときと全く同じくらい、先端の皮が一層剥けた的な刺激にタマラズのけぞります。そのへんのパン屋にも売ってる稲垣薬品『赤まむしドリンク 栄仙龍』(赤マムシ抽出液、高麗人蔘エキス、枸杞抽出液、L-アスパラギン酸ソーダー、ガラナエキス、オリゴ糖、ハチ蜜、ブドー糖)100mlも¥250だからってバカにはできず蓋開けて瓶縁までなみなみカポニー産業の『松寿仙』(人参精、竹葉葉緑汁、赤松葉精。添付の計量コップで秤り、食間または食前に温湯又は冷水に希釈して服用して下さい)滴下するブレンド飲法により桶屋製薬の『滋宝参』(ロクジョウエキス、イカリソウエキス、ニンジン、ゴオウ、ドウブツタン)4カプセルを一緒に飲みくだせば、先端と根本で法悦信号を遣り取りしている高速往復が熱感できます。赤まむしドリンクといえばもひとつ西日本薬品工業の『赤まむしドリンク 呑仙龍』(まむし抽出液、人参抽出液、ローヤルゼリー、リジン、スレオニン、蜂蜜)100mlだって百円ショップで2本百円だからってバカにはできず蓋開け瓶縁まで暁酵素の『暁酵素』(60種に及ぶ野菜、果物、野草、穀物、海藻、樹液の総合エキス)をなみなみ注ぐブレンド飲法によりアイ・ティ・ビ・エスの『参壽惠』(オタネニンジン果実サポニン、真珠貝カルシウム、緑茶エキス末、ギムネマエキス末)10粒を飲めば、絶頂時にふたりそろって豪快な屁が暴発します。ありふれたカゴメの340mlスチール缶『烏龍茶』(福建省産茶葉使用)ですら岩田天仁堂の『龍虎春』(海狗腎末、牛黄、鹿茸末、反鼻末、シベット散、イカリ草、加工大蒜、人参、何首烏、黄精、肉 蓉、杜仲末)6カプセルとアイ・ティ・ビ・エスの『参壽惠スーパーゴールドヴィヴィール』(オタネニンジン果実サポニン。価格『参壽惠』×2のココロは? 副成分生薬なしのかわり共通主成分サポニン含有量が2.4倍なり)4カプセルをいっしょに飲むならば、絶頂時にふたりそろって豪快なげっぷが出るので正面衝突させると痛快です。日野薬品工業の『栄寿源(エースゲン液)』(ゴオウ抽出液、鹿茸チンキ、リケン人参乾燥エキス、L-アルギニン塩酸塩、L-アスパラギン酸マグネシウム・カリウム、塩酸リジン、L-イソロイシン、L-トレオニン、L-バリン、L-ロイシン)48mlでカンニャボの『肝若奉』(東北地方の桑畑に生息するキセル貝の粉末。郡山市のテコ入れでモデル養殖場開始でっす)を龍角散サイズ匙ぱらっと1掬いと皇漢薬品研究所の『龍神力』(海龍粉末、五歩蛇胆・ペニス入粉末、コブラ胆・ペニス入粉末、馬心臓・ペニス入粉末、赤まむし胆・ペニス入粉末、すっぽん胆・ペニス粉末、牛肝エキス末、ナマコ粉末、田七人蔘粉末、ゴツコーラ粉末、ビール酵母、アスパラギン酸、チロシン、アルギニン、ヒスチジン、フェニルアラニン、乳香粉末)9粒をいっしょに飲めば、先端が舌になったように百もの味覚がヘソまで染み上がってきます。日野薬品工業の『栄寿源(エースゲンD)』(鹿茸チンキ、ゴオウ抽出液、L-アルギニン塩酸塩、塩酸リジン、L-アスパラギン酸マグネシウム・カリウム、L-イソロイシン、L-ロイシン、L-フェニルアラニン、L-トレオニン、L-バリン、ヒスチジン塩酸塩、アミノ酢酸、サンフラクト)100mlで松井製薬の『竜金丹』(ゴオウ、ロクジョウ末、ニンジン末、イカリ草エキス、アミノエチルスルホン酸、チアミンナフタリン-1,5-ジスルホン酸塩、塩酸ピリドキシン、純金箔)6粒を飲むと、子どもの頃よくホラ校庭ののぼり棒の途中にしがみついてるうち股間がじわあって気持ちよくなって射精しないまんまじーんどくっどくっッて依然しがみつきながら余韻味わったりしたでしょうちょうどあの感覚が甦りますよォぉ。大鵬薬品工業の『チオビタ北樹精』(エレウテロコック流エキス、グルコン酸カルシウム、L-アスパラギン酸カリウム・マグネシウム混合物、ケイヒ油)50mlまたは『チオビタ北樹精S』(チオビタ北樹精+ロクジョウ流エキス。エレウテロコック流エキスは3倍)50mlでジェクス商事の『龍昇力パワー』(無臭ニンニクエキス、オットセイ肉エキス、卵殻カルシウム)5粒を飲むと、先端の疼きが足の指にも転移して十ヵ所代わる代わる明滅します。宝仙堂の『春甦精』(ゴオウチンキ、ニンジンエキス、ロクジョウチンキ、サンシュユ流エキス、イカリソウエキス、シベットチンキ、ハンピチンキ)30mlで同社同名の『春甦精』(牛黄、鹿茸末、反鼻末、海狗腎末、シベット(霊猫香)散、ローヤルゼリー、地黄乾燥エキス、黄耆乾燥エキス、山薬乾燥エキス、山茱萸エキス、補骨脂乾燥エキス、女貞子エキス、エゾウコギ乾燥エキス、菟絲子エキス、イカリ草乾燥エキス、人参末、何首烏末、肉?蓉末、黄精末、杜仲末、加工大蒜、γ-オリザノール、タウリン、オロチン酸、無水カフェイン)9カプセルを飲むと、先端の疼きが足指に転移するのみならず腿の裏を伝って肛門周辺へ移動するのがありありです。中外製薬の『ローゼリー至宝液』(海狗腎流エキス、鹿茸流エキス、人参エキス、淫羊?エキス、黄精流エキス、ローヤルゼリー)30mlで全薬工業の『参霊茸』(田七人参、霊芝、アガリクス茸、紫蘇、ダイダイ)2g×3包を飲むと、先端から根元までぐるぐる巻き付かれるほんと蠕動運動がまざまざです。阪本製薬の『天星龍』(ハンピチンキ、ムイラプアマ乾燥エキス、トチュウ流エキス、クコシ流エキス、オウセイ流エキス、ゴオウチンキ、チンピエキス、ニクジュヨウ流エキス、トシシ流エキス、サンシュユ流エキス、ショウキョウ流エキス、ゴミシ流エキス、トウキ流エキス、ジオウ流エキス、ジョテイシエキス)100mlでエバースジャパンの『金粒 歳薬丸』(イカリ草乾燥エキス、肉?蓉末、何首烏末、人参乾燥エキス、黄精末、黄耆末、杜仲末、地黄末、海狗腎末、鹿茸末、ローヤルゼリー、牛黄、無水カフェイン)5丸と天野商事の『天山精』(エゾウコギ乾燥エキス、ゴオウ、鹿茸、反鼻、イカリ草エキス、菟糸子、肉 蓉、蛇床子、地黄、山茱萸、山薬、肝臓エキス、ケイヒ、オキソアミジン末、γ-オリザノール、タウリン)2カプセルを飲むと」汗だくだった。普段決して長く喋りつづけそうにない体格から延々大声量が洩れつづけるの図は、ほぼ恐怖の域に達する感動を打ち寄せてくる。聞き惚れながら声明的ホーミー的黒ミサ呪文的断末魔の叫び的声楽波動に共振しずっと勃起しきっていた私のペニスから、ついにドクドクとめどもなく熱湯のような精液が溢れ出していたのは当然だろう。しかし、というかしかも、というかこれが実に私にとって生まれて初めての射精だったのである。「射精の刹那の灼熱感が三倍増です。メイクトモローの『オットビン凛凛王S』(カイクジンチンキ、ゴオウチンキ)30mlで米田薬品工業の『龍得仙』(反鼻末、エゾウコギ乾燥エキス、ビタミンB1,B6。淡紫茶の深遠カプセル。縦書き達筆体解説書が上機嫌)3カプセルを飲むと、射精直前の放電感が四倍増です。大韓民国煙草人蔘公社、輸入元・日韓高麗人蔘の『正官庄(蔘元内服液)』(コウジンエキス、タイソウエキス、ショウキョウエキス、ケイヒエキス、クコシエキス、イカリソウエキス)30ml+『正官庄(蔘元内服液ロイヤル)』(蔘元内服液と同成分、但しコウジン、ケイヒ、ショウキョウをほぼ2倍含有)30mlで『まむし極宝胆』(純まむしの胆。姿そのままの乾燥胆が一個ずつ透明ハードカプセルに入った珍品ですってば)2カプセルを飲めば、射精終了直後の安堵感が五倍増です。アルプス食品の『すっぽん活血精 元気精』(緑茶抽出液、クエン酸、リンゴ酸、ハチミツ、スッポン生血エキス、スッポンエキス、人参抽出液、ローヤルゼリー)50mlまたは中栄薬化交易の『すっぽん活血精』(『元気精』+紅麹色素)50mlで薬日本堂の『源生寿』(霊芝エキス末、霊芝末、人参エキス末、クコエキス末、梅肉エキス末、デンプン、ハチミツ)を12粒飲めば、挿入の瞬間に戦慄螺旋が背筋駆け抜けます。北宝薬品の『五凰元』(人参エキス、イカリ草エキス、鹿茸チンキ、ゴオウチンキ-N、クコシ流エキス、ガラナ流エキス)30mlで救心製薬の『霊鹿參』(鹿茸と紅参を3:2。角質化する前の鹿の幼角は「補陽薬」の代表。黄色+空色のきれいなカプセル見るだけで元気溌剌)3カプセルを飲めば引き抜いた瞬間、空気中に洩れ拡がっていた精気が柔らかく全身を包むのが感じられます。寿宝の『寿宝茶』(セレン豊富)3ティーバッグ煮出して150mlまで濃縮した一杯でワイ・エム・サイエンスの『にんじょう烏骨鶏〈健髄使〉』(烏骨鶏粉末、血粉)3カプセルと森谷健康食品の『ニュー五貴源マルチ』(スッポン、霊芝、紅蔘、イチョウ葉、トナカイ角、どくだみ、くこの葉、ビール酵母、小麦胚芽、CPP、ヘム鉄、各種ビタミン、牛骨粉)8粒を飲むと、先端の電撃感を小出しにして射精時間いっくらでも長引かすことができるんです。もちろんひたすら馬力を出す方向だけでは血圧が心配で。熟年セックスはむしろその前後が勝負です。鎮静系のドリンク+錠剤を事前に飲んでおくわけで。たとえばファンケルの『万歳寿』(黒麹もろみ酢、きび砂糖、果汁(ライチ、シークワーシャー、レモン)、クロレラエキス、黒糖、よもぎエキス、植物エキス(ユッカ)、沖縄もずく抽出多糖類(フコイダン)、ウコンエキス)50mlで八ツ目製薬の『降圧丸』(羚羊角、当帰、黄連、天麻、地黄、琥珀、沈香、川?、大黄、阿膠、甘草エキス。タイトル以上の目立ち度で「高血圧 どうき めまい 肩こり」と大書の迫力。血痕色印章デザインの「生薬製剤」がいい雰囲気。[効能・効果]高血圧に伴う頭痛・どうき・手足のしびれ・肩のこり・のぼせ・めまい・いらいら。「琥珀」なんてものが配合されたロマンチックな漢方サプリってこれだけじゃないでしょうか)20丸を飲めば、覚めた鎮静明晰な感覚で絶頂心ゆくまで味わえます。血圧とくれば心臓のケアも。かなり激しく頻繁にやるようになったんで、そう、若い頃よりずっとね、で強心薬ですね、レーベン製薬の『寿酵素』(植物エキス発酵液、はちみつ、乳酸Ca、天然カフェイン、リジン、人参エキス)100mlで天野製薬の『活龍仙』(ジャコウ、ゴオウ、センソ、サフラン、牛胆、ニンジン末、ジンコウ末、d-ボルネオール。[効能・効果]どうき、息ぎれ、気付け)1粒を、日本クリニックの『脂糖流(ハーフシトール)』(はちみつ、たん白加水分解物、かき肉エキス)50mlでウチダ和漢薬の『牛龍黄』(ゴオウ、センソ、鹿茸末。[効能・効果]動悸、息切れ、気付け)1カプセルを、クリアの『若美寿C10000』(天然コラーゲン蛋白水解物、クエン酸、β-カロチン乳液、ギムネマエキス、天然ヒアルロン酸ムコ多糖、コンドロイチンムコ多糖、各種ビタミン)50mlで牛津製薬『黎明心』(麝香、牛黄、蟾酥、サフラン、イノシット、ニコチン酸、ネオフィリンM、カフェイン、デヒドロコール酸、硝酸チアミン、リボフラビン、竜脳。[効能・効果]強心、利尿、心臓性喘息)2錠を、サッポロビールの『味彩茶』(はとむぎ、玄米、緑茶、大麦、ビタミンC、プーアル茶、杜仲の葉、はぶ茶、桑の葉、どくだみ、ギムネマ)340mlで北宝薬品の『センソ牛黄元』(ゴオウ(牛黄)、センソ(蟾酥)。[効能・効果]どうき・いきぎれ)1カプセルを、トップウェルの『無臭人』(シャンピニオンBX-50、タイム抽出液、タンニン酸)100mlで全薬工業の『新大宝心』(麝香、ニンジン乾燥エキス、牛黄、蟾酥、熊胆、羚羊角、サフラン、沈香、真珠、d-ボルネオール。[適応症]動悸、息切れ、気つけ)1錠を。腹上死ゼロパーセント。まして事の後ですな大切なのは。カフェインに生薬でアップ系へ浸った挙句はやっぱりアルコールで鎮静ですよ。私は愛知酒精工業の『永寿冠 にんにく酒 強味』(アルコール分23%)で、家内は『永寿冠 にんにく酒 ソフト』(アルコール分4%)で太陽物産の『茸子仙』(シイタケ菌糸体エキス、培養体エキス)1袋1gをっ舌下ゆっくり溶かし飲っみましてっ蕩け尽きたようなっリラックスっですっ。以上ッ」
 夫婦がたっぷり三十分――私たちが入っていったときから数えても――かけてレポートを満面終えたとき店主は、対照的に憮然とした面持ちだった。
 「ふむ……」この夫婦では合格圏内のレポートは到底達成できまい、報告終了とともにしたたか怒鳴ってやるべ、店主がそう手ぐすね引いていたことは間違いない。しかし意外や意外日頃気弱なもたもたぶりはどこへやら、かくも三文字サプリ群の効用かとばかりの連続大熱舌。内容そのものの正否は別としてこの予期せぬパワーに店主自身が圧倒され否が応でも頷かざるをえなくなってしまったという不本意な成行のようだった。うぬうぅいつのまにここまでぃ。出鼻をくじかれた店主は、しかし一方では内容上はっきり得点と認めるべき要素を見出しかねているようで、かといって貶し去るわけにもいかず、はたまた熱い長い弁舌に免じてといった妥協的評価はなおさら目利きプロとしてのプライドに悖らないはずはなく――これまで営々積み重ね研ぎ澄ましてきた店主流繊細微妙な名人芸と価値体系が、無自覚な小市民の単純言語物量戦術によっていともたやすく潰されてしまったとはさぞかし痛恨の大打撃だったろう――かくして店主としては、精一杯誠実な笑みを浮かべて搦め手風に「ときに……前回私が伝授して差し上げた〈絶倫気功〉の術ですが……試してみられましたかな?」
 「ええ、ええ、ええ、ええ」老夫婦二人そろって乗り出して、「絶倫気功の術っ。試しましたとも試しましたとも。先生のお好きな京成線の車内でね、夕方で混んどりましたが私の右隣の茶髪女子高生が携帯電話で喋りはじめおって、左隣のOL風が化粧を始めましたなこれからデートですか。年寄りに席譲るなんて思い浮かびもせんようですな。私の前に立ってる女房も私より腰痛がちとマシってだけ、傍目にもはっきり傾いだ立ち方してるってのにね。苦りつつフトこれぞ絶好のチャンスと、私の鞄に潜ませとった先生ご推薦の気功グッズを女房が取り出しましてですな。まずはこの元気工房有限会社の『ビンビナールエレクト 勃起力』(テステスパウダー、トナカイ幼角エキス末、ローヤルゼリー末、プロポリスエキス末、スッポン末、マムシ末、無臭ニンニクエキス、ビーポーレン末)の金箱ほどよく掲げ上げましてな。ス、と息飲む気配で両隣の視線が向いたのが察せられましたわい。なんせ大文字、勃起力ですもん。0.1gの小粒ながら一回分20粒ざざざっ私の両掌に女房があけて注目を確保してですな。再春館薬品の『絶倫茶』(ガラナ、カヴァカヴァ、インド人参、シベリア人参、高麗人参、ウコン末)の銘入り特注ペットボトルをラッパ飲みに飲み下しましたわい。してお次に女房が取り出したるはハーバル製薬の『勃起油』(スッポンオイル、マツノミオイル)。光沢ある重厚漆黒箱・赤たすきに浮き出た「勃起油」白抜き文字で本格釘付けですわい、隣の馬鹿女二人ともちらちら化粧も電話も上の空。女房の手で私の口にソフトカプセル一個ゴックン。ついで箱と瓶を私の膝の上に並べたまま(有)国際マーケティングの三連発、『絶倫虎』(天然亜鉛ケルプ末、コブラ末、サソリ末、オットセイカロペプタイド、ガラナ末、エゾウコギ末、炭色素末)の金文字入り鮮烈朱箱より真っ黒丸粒取り出しゴックン、ついで乾式黒箱『龍王精』(トナカイ角の末、ウミヘビの粉末、ウミヘビの肝臓、血胆、ペニス、睾丸の末、オットセイカロペプタイド、霊芝末、真珠末、エゾウコギ末、山査子末、イチョウ葉末)して幽玄なる墨風山水図箱『全立仙錠』(ノコギリヤシの末、イチョウ葉の末、原木栽培霊芝の末、ニワトコの末、ウラジロカシの末、明日葉の末、クコ葉の末)を次々置き加えまして、女房が錠剤瓶から振り出し掌に並べては私の口に放り込む。私ゃ次々絶倫茶で飲んでみせましたわい、一粒ずつもったいぶって順々何サイクルもですな。睾丸エキス特有の仄か内臓臭と薬草臭も立ち昇りましたしな。しげしげ見続けとりましたよ両隣。金に漆黒に朱に乾黒に墨灰に五色鮮やかに、龍に虎に濃いくち漢字、勃・絶・王・起・倫・立・精らを空中に気功放出すればですな。素直なもんです、いまどきの若い子たちゃメールなんぞ送りまくっとるから案外敏感なんですな漢字には、怖い物見たさ風に瓶箱とわしらをまじまじ見比べてましたわい。してやったり、見たか能天気な電話女化粧女ども。わたしゃ勃起しましたぞ。その夜女房相手にどうなったかは語るに落ちるといったところですわイ」
 「う……む……。参りました。まさかほんとにおやりなさるとはな」うっかり本心を漏らしてしまった店主があわてて「いや田中さん夫婦がそれこそ……」
 「ちなみにその一週間前あたしは」奥さんの方が店主を遮ってうきうきずいとせりだして、「あ、なんかこの子に似てたわねえ二重瞼の目もとがね」私をちらと指差して、「市立図書館のロビーでなぁんかパンチラだか巨乳だかモザイクだか、たわいない猥談にもならない猥談してるつもりらしいかわいい中一か中二、うるさいよって注意しても聞かないから、その一人のチャック開きっぱなしの鞄に、罰として国際マーケティングの『夢精源』、未開封新品を帰りぎわそっと忍び込ませときましたのよ。あの子家帰ってあの紅色の箱に気づいてさ、なんせ不動明王大コブラを御するの図に金文字「生涯 現役」が鮮やかでしょう、ウミヘビの粉末、コブラの粉末、ウミヘビとコブラの肝臓、血胆、ペニス、睾丸の末、馬のペニス、睾丸の末、五歩蛇粉末、田七人参末、クマザサ末、ガラナ末、クコ葉末って成分表と定価25000円(税抜価格)て表示見てむくむく大きくなったんじゃないかしら。おとなの世界の奥行き思い知ったでしょうよ。飲んでみる勇気あるにせよないにせよひとりエッチの余りを夢の中でどくどく出し尽くしてくれりゃ夢精源の名に合ってるんですけどねぇ。て名前も知らない中学生の興奮模様思い浮かべながらね、あたしゃまた燃えました燃えました……」  「むはははは。ていう女房の想像も、私の一物の肥やしになったわけですわい。女房よくその辺の子どもらにこっそりいたずらするんですわい、その日ゃ私ももっこりきます。この次ゃさよう、井の頭線あたりで波風立ててみようと思っとりますわイ」

    × 私たちがいくらかけてこのアガリクス買ってると思

 「う……む……。参りました。田中さん夫婦がそこまで……グレードアップしたとは」
 店主の苦笑いには見覚えある表情の兆し。「なにも……言うことはない。これからも……」店主の苦笑いは間違いなく一つのことを示していた。つまり老夫婦が報告の終りのほう、たぶん〈絶倫気功〉のどこかでうっかり非三文字製品を混入させてしまっていたことを。私には感知できなかったが、どこかに一つ、厳密には三文字と言えないものが声高く紛れ込んでいたのだ。それは致命的なミスであるはずで、躍り上がって失格だおまえら失格だ、二度と来るな馬鹿者めと怒鳴りつけ追い出してしまう店主の大光景を期待できたところである。しかし店主は、「じゃこれを飲んでがんばってください。お代はいりません」カウンターの下からダース箱を持ち上げてずしんと置いた。日動食品の『鼈血蜂5』(スッポンエキス、ハチミツ、アルギニン、スレオニン、リジン、すっぽん血)50ml瓶1ダース。ふむ……、
 店主は怒りを自ら封殺した。苦渋に満ちた自己欺瞞だが、店主のこれほどの動揺を見るのは私にとっても目の保養。ただし店主はやはり店主、田中夫妻報告中の錚々たる網羅的三文字群からたまたま洩れていた精力剤をすかさずしかも先刻手もとから差し出して一太刀逆襲とは……、名店主流の反撃的気概を見た感じがして私は感嘆の吐息に噎せかけたことを覚えている。
 「では、次の報告をお待ちしてます」
 尊敬の眼差しで1ダース受け取った二人が出てゆくと、店主はうーんと腕組みをして眉間に深皺寄せて考え込んだ。私は密かな感動に身震いした。店主は自らのパワーを客たちの弟子遺伝子に吹き込むことを喜びとしつつ、なまじ客が自信と自覚と実力を咎め立ての余地なきほどに抱いたとみるやあらぬ後悔に襲われる体質のようだ。そう。世の中こういうこともあるのだ……、
 やがて気を取り直したように顔を挙げた店主は私に向かって、
 「「鼈」の字を使った唯一のドリンクなんだなこれは……」『鼈血蜂5』の説明を始めた。「名前に蜂とくるからいかにもスッポン+ローヤルゼリーの強力ドリンクかと思うだろ、ところがスッポン方面はちゃんと血まで入ってるからいいとして蜂方面はローヤルゼリーでもプロポリスでもなくなんとたったのハチミツよ。威圧的な鉄壁三文字タイトルを内容が裏切ったために却ってタイトルが浮いて輝いた逆説的ヒットってわけさ! ちなみに5(ファイブ)てのはな、「本品を、お好みの焼酎に加えていただくだけで栄養価の高いすっぽん焼酎が5杯分作れます。(一杯分・本品約10cc)」だとさ。……にしても〈絶倫気功〉の術は四文字なのがちといかんかったな。今度新しい三文字語を考えなきゃな。どうだい、行きずりの人間に波動を送って己れが勃つとは乙なやり方だろう、おまえもあと五十年したら試してみるんだな。よし坊主。今日は早いが看板にしよう。寿司食いにいこうぜ」
 駅ビル裏の韓国家庭料理屋の隣『聖寿司』のテーブル席で向かい合って、おこのみで頼んだほたて、サーモン、中トロを次々頬張りながら私は、店主が黙ってビールを飲みつづけるのをちらちら見ていた。父親に失望させられた例の一件以来、私にとって初めての寿司屋だった。さすがにこの店主は父親のように、板前風情の気まぐれにゆめたじろいだりはするまい。脂の乗ったトロやビンチョウに店主の顎も緩んでいるのを見た私は今なら尋ねる隙ありかな、と判断して、
 「あのぉう、さっきの田中さんがドジった製品名ってどれだったんですか?」
 と聞いたつもりが私の口から実際に出たのは、
 「あの、どうしておじさんは、三文字でなきゃ、いけないんですか?」
 どきっ? 我ながら直前まで、いや言い終えるまで一滴も予期していなかった質問だったので、エッ今さら何を訊いてるっ。こんな身も蓋もない質問が許されるはずないっ。瞬間私はタブーに触れた気がして首をすくめた。店主はしかし全然咎めるふうももったいぶる気配もなく、
 「ふ。このタイミングでそう聞いてくれるとはな。おまえはやはり出来ブツだ。うむ。いきさつはありがちなことでさ……」すぐに語り始めた。
 俺は今は一人暮らしだがな、二十四年前まで女房がいてさ、俺が高一のときの担任だったんだよ、新卒だったから六歳年上でさ、俺が高三の時付き合い始めてさ、できちゃったのよ。卒業、出産、入籍ってごたごた進んでさ。だから俺、卒業直後に生まれた長女とは十八しか離れてねえの。中野で調剤薬局やってやがるけどね。結構苦労したぜえ育て上げるの。年子の長男はいまなんかしらんが女子大の教師しながらしょっぱい文筆で稼いでるみたいだけどさ。このふたりが高校生のときに女房が倒れてさあ。突然襲ったしつこい咳にたまりかねて受けたCTで肺ガンが見つかって。春受けたばかりの学校検診のレントゲンにゃ映らない肺の奥。職員室に常時もうもうたちこめてた紫煙にただ一人非喫煙者の女房がなあ、劇的な反応を蒙っちまったらしいんだね。喫煙者てのは非喫煙者よりもともと肺と気管が丈夫でさ、ニコチンや一酸化炭素への抵抗力も強いらしい。その証拠にな、はじめから煙草吸わなかったやつより禁煙したやつのほうが、肺ガン発生率が少なかったって調査があるんだぜ。そもそも煙草吸う気になるってことは呼吸器が生まれつき丈夫な証拠ってわけだ。粘膜の弱いやつは本能的に煙を嫌うんで、女房みたいな非喫煙者が間接喫煙で吸わされる副流煙ほど有害なものはないってわけなのさ。ほんと理不尽だと思ったよ。何としても女房を死なせちゃならん、と思った。
 俺たち家族はありとあらゆる手を尽くした。手術はもちろん、当時最新の重粒子放射線治療てのも受けさせたし、三十以上の神社とお寺で御祓いや祈祷を受けた。お守りとおふだが百個以上たまった。息子が『ムー』の愛読者だった関係でそっち系のヒーリングストーンだとかチャクラ活性化ビーズだとか波動水だとかも購入して女房の枕もとに並べた。しかし俺たちが一番の希望を託したのが、抗ガン作用ありと評判の健康食品だったっけ。もともと俺たち家族は、俺が健康茶をメイン商品とする通販会社で働いてた関係で親子でけっこうサプリを愛用しててさ。『養命酒』だの『エビオス』だの『ポポンS』だのって基本どころばっかだったけどね。娘はお肌の曲がり角にゃほど遠いにもかかわらずシミソバカス対策・美肌用アイテムと称してビタミンC+ハトムギ、ダイエットと称してギムネマにガルシニア、ダイエタリーファイバーの錠剤を携帯したり『減肥茶』『痩身茶』のたぐいを沸かしてペットボトル何本分も保存して冷蔵庫を満杯にしてたりさ。息子は柔道部だったから筋肉作りのプロテイン粉末に凝ってたしさ。
 しかし女房だけは、一切のサプリメントを謝絶してたんだよ。教師らしい生真面目さっつうか「クスリ」だと思ってるのさ。俺や子供らが食後いそいそ錠剤の蓋開けるのを見て「あ~あ」保守的な情けなさそうな溜息洩らしてたっけ。「そういうのに頼んなきゃ不安だなんて……」「人間、自然のもの食べてれば間違いないのに……」女房は料理上手だったし、ボランティアで何度かアフリカとかに行ったこともある人道主義者だったんで、確かに飢えた人たちのいっぱいいる同じ地球上でよけいな金出してビタミンやらミネラルやらにうつつを抜かしてる飽食生活が後ろめたいって気にはさせられたな。いや、家族円満ではあったんだよ、子供らも素直に育ってたし。
 てなわけで俺、女房には年上女房の貫禄もあって一目置いていたんだが、実際家族のリーダーシップは女房が握ってたんだが、いやほんとのところ俺と女房は新婚前後の頃っつったら半ばSMメイトでとか、うんうん、六歳年下のM男って役回りはいいもんだぜえ、ぴったりだぜ快楽だぜえとか、そういう話は十八禁てことで遠慮させていただくが、そういうようなわけで精神的にもずっと女房の忠実なしもべだったんだよね俺って。そんな女房が死病に倒れちまうとは皮肉なもんよ。俺はうろたえて、泣いたよ。三十代半ばの餓鬼だったしさ。けど女房に甘えてられる状況じゃない、肝心の女房の危機なんだからな。となってみりゃ女房をサプリメントフリーで捨て置くわけにはいかなくなった。病院の抗癌処方と相補う形で、俺たち流のサプリメント療法が開始された。しかも俺たちが今まで自ら毎日漫然と飲んでたような直観的なのじゃなくてさ、癌撃滅を目指したシステマティックな処方が必要だった。
 図書館に通うわ薬局に問い合わせるわしまくったあげく、抗癌作用じゃどうやらアガリクス茸とサメ軟骨が二大柱ってことがわかった。アガリクスは最大級の免疫力強化作用、サメ軟骨は新生血管造成を阻害する作用を持ってる、と。ガンってのはどんどん新血管を勝手に作っていってまわりの正常細胞から養分を吸収して成長するわけだ。血管造成を妨げるサメ軟骨は、癌細胞への養分補給を止めて兵糧攻めにするってわけ。同時にアガリクスのβグルカンがキラー細胞を活性化して癌細胞を直接攻撃する。いってみりゃ海上封鎖と空襲という、間接直接二大戦略によって相補いあう絶妙コンビがサメ軟骨とアガリクスってわけさ。この二成分ものがそれぞれ何十種類と出回るなかでどれが最高かなんて決めかねるわな、錠剤、顆粒剤、液状エキス剤を計五種類くらいずつ用意して、代わる代わる女房に与えた。
 サメ軟骨の方はその作用の性格からして、いつ誰にとっても良いってもんじゃなく、妊婦や怪我人や成長期の子どもは摂っちゃいけない。女房の場合も、手術のあと二週間はサメ軟骨は控えるなど――手術後は血管の回復を阻んじゃならんのよ――いろいろ細かい配慮が必要だった。いっぽうキラー細胞強化作戦の方は単純明快な足し算が効く。βグルカンは、微量成分との相乗作用によって茸ごとに微妙に働きが異なるって聞いたんで、アガリクス以外に霊芝、椎茸菌糸、舞茸、メシマコブ、冬虫夏草といった茸モノ錠剤をそれぞれ二粒ずつ、毎食後のメニューに加えてやった。
 茸類のβグルカンだけじゃなく、高麗人参シベリア人参田七人参ベトナム人参路線のサポニンや、赤ワインのポリフェノールも免疫強化に欠かせないって知って、そういうのの錠剤・顆粒剤も各種そろえて女房の食卓に並ぶようになった。
 免疫強化方面のさらなる補助として、γアミノ酪酸豊富な生ローヤルゼリー(間脳に効いて全身のバランスを調えるのさ)とフラボノイド20種を含むプロポリス(強力な抗炎症作用により細胞壁を修復するのさ)。ヨーグルトに混ぜて食べさせたんだが、生ローヤルゼリーとサメ軟骨は、胃に直接送り込むと胃酸で有効成分が破壊されるんで舌下からゆっくり吸収させねばならん。だから口の中にしばらく入れておかなきゃならん。サメ軟骨は生臭くて生ローヤルゼリーはびりびりと刺激があったようで、女房はいつもひゅうひゅう音をさせながら口に含んでいた。だけど病気になっちまったんだからそのくらい我慢してもらわねばならん。俺たちはさらに研究して、サメ軟骨の吸収率を高めるためにヨーグルトにケフィアを加えた。世界一の長寿地帯コーカサス地方の発酵乳ケフィア、と聞いちゃ捨て置けないわな。あとほら、放射線治療の副作用を防ぐ効果が抜群と聞いて深海鮫エキスつまりスクワレンのカプセルをだ、七つのメーカーのを代わる代わる与えた。それと特に難しかったのは、体内に残る抗癌剤や治療放射線の毒素を吸着し洗い流すという効果を期待して与えつづけた「食物繊維」の類だね。ダイエタリーファイバー、動物繊維(キトサンとかさ、そういう)類だが。日本レクソール・ショーケースの通販で手に入れた強力粉末『バイオスライフ』(グァーガム、ローカストビーンガム、ペクチン、からす麦繊維、マルトデキストリン、卵殻カルシウム、アラビアガム、エンバク)がその筆頭だったが、「本製品の摂取により、服用する医薬品の吸収が阻害される恐れがありますので、医薬品は本製品摂取の少なくとも1時間前か摂取後4時間経過してから服用して下さい」という但書きにはチト怯んだよ。毎食後に病院処方の錠剤と散剤を飲まねばならなかったから、逆にいうと『バイオスライフ』は食後1時間以上、食前4時間以上の余裕あるときに飲まねばならんことになる。入院してるときは食事の時間は決まっていて朝食と昼食の間にはバイオスライフ挿入の余裕がなくて、昼食と夕食の間にはほんの二十分ほどの幅しかチャンスがなかった。この時間を逃すとその日の一服は逸してしまう。女房はしばしば飲み忘れたので、誰かがついてて促してやらねばならなかった。
 こうして女房のベッドサイドにはしだいに色とりどりの錠剤の瓶、顆粒剤のアルミ分封袋が何種類も加わって待機するようになった。人間は免疫力が落ちてくると、飲み込む力が真っ先に衰えてくるという。逆に、飲み込む力を鍛えればある程度免疫力をアップさせることができるともいう。風邪防止に、毎朝水一杯ゴックン健康法というのがあるくらいだ。女房が簡単に癌になってしまったのも、錠剤サプリごっくんの習慣がなかったための災いだったに違いない。毎食いきなり何十種類、錠剤・カプセル・粉末こんもり皿一杯は傍目にも辛そうだったが、心やさしい女房は俺たちが心配して一生懸命やっていることに逆に気を遣って、というか家族の精神的リーダーだった女房だからこそ思いがけぬ病魔に屈した体たらくを恥じていたんだな、錠剤攻勢に自虐的に身を挺するを潔しとしたわけだよ、きっと。いずれにせよ一言もイヤだと言わず飲み込み続けていた。
 俺たちの研究は着々と進み、免疫細胞の七割以上が腸に存在することや、腸からの吸収力の違いによってサプリメントの効果が五倍から百倍も異なるということを学んで、ほんの僅かの便秘が致命的になりうるゆえプルーンエキスとビフィズス菌錠剤を毎食後のメニューに加えた。それと、腸で効率的に吸収できたとしても全身の血流をよくしなきゃ患部に成分が到達せず何にもならないので、毛細血管を活性化するイチョウ葉エキスとDHA、EPAのカプセルを処方した。採血や点滴が重なってベッドに縛りつけられ気分転換もままならぬ状況にあってさすがの女房もふさぎこむことしばしばだったので、それに何十粒も飲みつづけること自体が精神的ストレスとなり免疫力の低下を招きかねなかったので活気づけねばと、鬱防止のセントジョーンズワート(西洋オトギリ草)のカプセルを加えた。
 放射線治療のせいで食欲が減退する気配が見えたため少量で効率よい栄養摂取が求められる。それには必須アミノ酸8種すべてを含む最上質蛋白質たるマムシの錠剤がうってつけだった。しかし、アミノ酸をいくら摂ってもミネラルが不足しては作動しない。そこで亜鉛、クロム、セレン、モリブデンを混合含有した錠剤も不可欠だった。さらにアミノ酸とミネラルを摂っても核酸が不足しては効果がない。それでサケ白子から抽出した核酸(DNA)の錠剤も加えることにした。
 女房のように従来サプリ摂取習慣のなかった人間がいきなり多量のサプリを摂るとアレルギー発疹を生ずることありとかいう注意書きがいくつかの瓶に記載されておって、そう、ブツブツごときと素人は軽視しがちだが発疹は医師が最も警戒する副作用で、なぜだと思う、患者が皮膚を無意識に掻き毟ることによる感染症を恐れるためらしいのだが、俺たちのサプリ処方によって万一発疹でも生じて、医師が疑わしい薬を(強力な有難い薬ほど嫌疑がかかりやすいというしな)中止してしまったりしたら治療上ダメージが大きいので――そう、もちろん俺たちは、抗癌兵器の主力は病院側提供の化学薬品であって、サプリは単なる援護射撃に過ぎないことは謙虚にわきまえていたのさ――発疹ならびにアレルギー反応防止のため甜茶エキス、紫蘇エキスのカプセル剤を加えた。
 それと、手術のあとなどトイレの世話をベッド上で看護婦にやってもらわねばならんことが何日か続いたので、誇り高い女房のこと、トイレ方面で不必要に恥かしい思いをするとストレスがたまり免疫力に影響する。そこで便臭を消すシャンピニオンエキスの錠剤と、精神安定を保つカルシウム剤も常時加えることにした。あと、長いベッド生活から復帰するさい足腰が弱っていてはリハビリもままならない。そこで後々を考えて、関節を健康に保つグルコサミンの錠剤、生姜エキスの錠剤、蟻の粉末、そしてコンドロイチンとムコ多糖の錠剤を加えねばならなかった。さらにはベッド生活ゆえ運動不足による循環器の衰弱や脂肪の蓄積が心配される。そこで成人病予防系の減糖物質ギムネマの錠剤とヒマワリ種子エキスのカプセル、活性酸素除去のためSOD物質――カテキン、キトサン、カロチン、レシチンなど――の錠剤、カプセル剤も必要だった。それに加えて肝臓が弱ってはすべてが水泡に帰するのでウコンと牡蠣エキスの錠剤、放射線治療で毛髪がやられてしまっては精神的ストレスとなり免疫力にかかわるのでシジミエキス、根コンブエキス、黒ゴマエキス、葉酸といった各種顆粒と粉末と錠剤も毎食後欠かせなかった。あと放射線治療で皮膚に万一ケロイドができてはいけないので美肌系のハトムギエキス、プラセンタエキス、バナバエキス、蚕シルクエキスの錠剤と粉末剤。そしてもちろん、胃が悪くなってはいけないのでキダチアロエエキスの錠剤。乳房が萎縮してしまっては元も子もないのでガウクルアの錠剤。目が悪くなっては報われないのでブルーベリーのカプセル剤とビルベリーの錠剤。性感帯が損傷を受けては人生元も子もないのでオットセイ、スッポン、鹿の角、牛睾丸など天然ホルモン含有各種強壮剤。口臭防止として熊笹エキス。当然心臓が悪くなってはおしまいなので麝香および牛黄といった漢方「上薬」配合の強心剤も一日一回は与えねばならなかった。
 飲み忘れはしばしばだったし、細長いアルミスティック袋の顆粒剤などは丁寧に指でピンピン弾き落とさないと皺や窪みに中身が残ることがありがちだが手術と放射線治療で体力が落ちた身にはだるすぎたのだろう、スティック内に半分以上ごっそり残ったままゴミ箱に捨ててあったのを発見するや「だめじゃないの!」と長女が叱ったことがあった。「だめでしょお母さん! 私たちがいくらかけてこのアガリクス買ってると思ってるの! 100グラム5万円だよ5万円! おかあさんがここへ捨てちゃったぶんだけでも2千円はするよ! 全くもう!」長男も叱った。「もとはといえばおかあさんが普段からサプリメント摂ってないからこんな病気になっちゃったんだろ! ちょっとは反省してよ!」俺も叱った。「せめて治るまでは言うこと聞いて食べてくれよな、頼むからぁ!」
 女房は一言も逆らわなかった。女房を正論で真剣に叱ることのできる立場に自分がいることは驚きだったし、また密かな喜びでもあったことを告白せねばなるまいな。かつての女王様がこのどん底に、というシチュエーションが正直妙にエロチックでもあったのだよ。食事時に皆で女房のベッドを取り囲んで、彼女がちゃんと全部飲みおおせるよう監視する形をとったのも二度や三度じゃなかったが、俺はそういうときいつも勃起してたんだよ。  女房の命が医師の宣告の二倍強、六ヵ月という短いような長いような期間維持されたのは、サプリメントのおかげだと言えたろうか。それとも劇的な延長も生還も実現できなかったってのは本来日常アクセサリであるべきサプリメントを闘病に用いるとは憐れむべき邪道に過ぎなかったことを示しているんだろうか。だけど最後の日々をあんなに急かしまくって過ごさせたのは女房には気の毒なことをしたと今では思うよぉぉ。だけどあの時ゃ俺たち必死だったんだ。
 半年頑張って女房は結局死んだ。享年四十二歳。しかし状況ってのがチトこれ思い出したくない複雑なというかな、女房の直接の死因はさ、「窒息死」だったのだよ。夜間面会の俺たちが帰った後すぐ咳き込み始めたらしくて、そのままな。窒息死という事実に俺は愕然としたよ。さっき言った食物繊維『バイオスライフ』を毎日飲ませていたんだが、帰りがけに1袋(6g)飲むように言いつけて、そのまま帰ってきたわけだ。しかしそもそもこの『バイオスライフ』は「必ず十分な量の水または飲み物などに溶かしてお飲みください」と注意書きがあって、付属品としてシェーカーもついていたわけよ。「粉末のまま、あるいは十分な量の水分を用いずに本製品を摂取すると、口腔内で膨張し、のどに詰めたり、むせたりするおそれがあります。飲み込みにくい方の摂取はおすすめしません」て書いてあってな。それを俺たちはあえて無視して、飲み込み練習こそ免疫力強化の早道だとばかり1袋パカッと口にあけて、水か湯で流し込むダイレクト方式を女房に強制していたのだが、それでときおり噎せかけたりもしておったのだがアッ、アレガヨクナカッタカッとすぐ思ったね。弱りきった気管が痙攣したんだろうと医師は診断したが、きっと食道に膨れ上がった『バイオスライフ』がつまって、それが気道を圧迫したというのが死因ではなかったか。そう思っているのだよ俺は。
 そのあと病理解剖で胸も肺も食道も気道も切り開いたはずの解剖医が何を見たかは知らないし、俺たちもどういう説明受けたか忘れたし、まあどうせ昔から医者なんていい加減なもんだろうし。
 入院と外泊を一週間おきに繰り返していた女房が家で臥せってた寝室を整理する段になってベッドを動かすと、床に散らばった色とりどりの錠剤が現われたんだ。咳で目がかすんだり手元がぶれたりして、毎日一粒、二粒落としていったものだろう。それが蓄積されてその散らばりだったのだ。
 ああ……、サプリメントみたいな微妙な希望であればあるほど赤裸々な悔いに染まるもんだと思い当たったのはこのときが最初だったなあ。湿ってふにゃふにゃになったソフトカプセルも、埃がついたまま乾燥して黴びたような斑点だらけになったハードカプセルや錠剤も、全部拾って一粒一粒俺は飲んでいったよ。全部で六、七十粒はあったかな。  その晩は当然、猛烈な下痢をしたが、贖罪の排泄、罪の告白と浄罪を兼ねた排泄なのだと思って油汗を流しながら気持ちよく耐えたのだ。半生ぶんの宿便が全部出たと思うよ、あれは。
 女房の闘病中から長女は薬学部進学を心に決めて、女房の死の一ヵ月後に合格した。俺もこのとおり、薬剤師の資格をとって薬局を経営するようになったんだ。しかし長女のやつはなあ調剤薬局とはなあ、面白みがねえってもんじゃないか、いくら命と健康の直結路線だけやっていきたいからってそんなクスリクスリした余裕のねえ仕事をよお、医学の言いなりの下請け仕事をよお……。盲目の機能主義ってもんだぜ、それならまだ日暮里駅員並みの物体主義者のほうがまだマシってもんよ……。
 「あのう、当店では携帯電話とそちらはご遠慮いただいているんですが……」
 鉢巻した三十くらいの女従業員が近づいてきて言った。店主が一息ついてサプリメント携帯ケースから錠剤を十二、三粒出して飲もうとしていたときだった。
 「ん……?」
 「あのう、おつまみのお持込みは……」
 店主はチッ、と舌打ちして、「ここまでまわってきたかい。三文字の看板掲げてるここにすらさ。包囲網も狭まってきたようだな」携帯ケースごと従業員のエプロンの中に放り投げた。私も携帯ケースを開けて錠剤を取り出しかけていたところだったので、ぴた、と止めてなんだかわからぬまま従業員に渡そうとすると、彼女は中の粒々を選り分けるようにしばし弄ぶようにしたあと、
 「あ、これだけは結構ですよ」薄灰茶色の2粒だけ返してよこした。それは例の、三文字堂では禁制の『雲南田七』だった。従業員が去ったあと、2粒の錠剤を手にしげしげ見つめてしまった私を店主がじっと睨んでいるのに気づいて、
 「あ。いや、べつに、いつもは、その……」
 「いや、まあ、いいんだ。まだ少年法の保護下で刑罰も食らわない歳だしな」
 私たちは黙って食い終わり、目をそらしあいながら茶を飲み、『聖寿司』をそそくさと出て無言で別れた。店主が店員からの咎めに従ってしまったのは私にとって驚きで、あの日の父親ほどではないがやはりショックで、そこはまあ、たぶん田中さん夫妻の予期せぬ攻勢に動揺したあまり昔話でホロリとしている最中の店主であったゆえパワーが一時的に弱っていたのだろうくらいに考えていたのだったが、実はこれがこの町を覆いつつある一種根深いイデオロギー対立の一斑であったことを私がはっきり知るのは三、四ヵ月あとのことだった。それよりもそのときの主要関心事、連れてきていた福原奈緒美がいつのまにか――むろんとっくに、三文字堂内においてだったが――姿を消しているのに気づいたのはなんと家に帰ってからで、「あ……」奈緒美に去られたことよりも自分が何時間もそれを、つまり奈緒美と一緒だった事実自体を忘れていたことの方がショックだったのだ。  それから奈緒美とは学校で会っても(え……と……)気まずい視線を見交わすばかりで、ついにどちらから話しかけることもできなかった。三文字堂のせいで貴重な恋を潰されたということになる。オレって一体何事に取り憑かれてしまったのだろう……自己嫌悪を抱きかけながらも私は、三文字堂店主がプライベートな背景を直接語ってくれたことに感激しており、とりわけ人間的弱さをさらけ出すようないかにもそういう話だったことに感動していたために、(う……ん……)私への店主の信頼を確かめられたような満足というか、(うん……うん……)失恋の痛手を相殺どころかお釣りが来てむしろ幾分躁状態、とはいえ友人日照りの砂漠の只中に恋のオアシスが湧き出た夢のようなセッティングをチャラにされた、この重大な事実は残るので、「それなら受けた被害のぶんだけ元を取らなきゃな……」以後私はシャカリキに、三文字堂にますます入れ揚げたというのも確かだったのである。

    △ 健康の元なんじゃなくて、健康の証しってわ

 なるほどォ店主にも人間的弱点が……。
 しかし私の満足は長く続かなかった。よく考えてみると、「なぜ三文字なんですか?」という私のもともとの問いへの答えとしては、まだ何も与えられてはいないではないか。奥方の死因(?)たる『バイオスライフ』へ非カナ的に一矢報いる? いやいやこじつけが過ぎる。もともとが間違いのように口滑らして初めて意識された我が疑問であって、どうしても答えてもらいたい代物ではなかったはずなのに、一度発声するや決して捨て置けぬ重量を持つことになるのが問いというもののつくづく本質である。なぜ三文字か。壮絶な癌闘病という話の湿度のみにただ圧倒されて、なんだか納得できた気になってしまった自分が情けなかった。世の中そういう「流され納得」で騙されるパターンが案外多いのではなかろうか。あぶないあぶない、これは試されていたのかもしれない、と思って二週間後、私は再び同じ質問をした。
 「ああそうか、あれはまだ半分しか話してなかったな。息子の方が何をしてるかは話してなかったっけ。話の残り半分はだな」
 店主はなにやら雑誌の切抜きらしき十幾枚と、ビデオテープをひとつよこした。「これだ。読んどけ。見とけ。この記事書いてビデオに映ってるのが俺の息子だからさ。いまどこに住んでやがるかはっきりわかりもしねえ、何度か引越したまま連絡もよこさねえから。助教授で小説家なんだってよ。笑わせら。見たらすぐ返せよ」
 記事の方は雑誌連載の切り抜きだった。ビデオは親のいないときを待とうと思ったので、まず活字だけ読んだ。ここでは健康雑誌『ゆほびか』連載「サプリメント王への道」から、長男氏の人物が見える感じがした二回分を引用しておこう。

 いま、ショウガにとりつかれている。生をすりおろした鮮烈スパイス感はおなじみだが、たまには余計な繊維質は取り除いて濃縮純粋でいってみたい。そこで『延壽生姜エキス末』(クロス)。深遠な黒パッケージ。なにしろ「原種に最も近いと言われる中国雲南省のショウガ粉末とショウガエキスを使用」しており「本品1gで生のショウガが約15g相当摂取できます」。
 蓋を開けたとたんにモワッと立ち昇る刺激臭がタマラナイ。朝一番、添付の匙に薄黄土色の粉末を盛り上げて、掌に載せ、ぱくっと舌の奥に放り込む。ほくっ、ほくっ、ジワーッ……唾液で宥め溶かして喉へ送る。起き掛けは口の中が乾いているのでなかなか溶けず、それだけ刺激の緊張が長引くのだ。
 ただしこの「じか含み法」は邪道であることをあらかじめ言っておかねばなるまい。パッケージには「1日1~2gを目安にして水などでお召し上がり下さい」。水なし純生は上級編だろう。じ、じ、じびじびじび……温冷感が喉から胸へ拡がってゆくとともに、鼻へむずむず細かい微粒子が吹き上がろうとする。じっと息を止め、完全溶解を待たねばならない。油断してかすかでも咳払いなどしようものなら鼻腔に微粉末が逆流し、頭に火がつく。ショウガの刺激プラス息をひそめた緊張によってハッキリパッチリ目が覚めるという仕組みである。わがショウガ覚醒法なり。
 ショウガエキス末を自在に舌下舌上に転がし口内粘膜を滑らせ喉に上顎に気管入口にニアミス楽しめるようになったとき、人はきっと、おのれの体細胞を真に自覚した境地へ至るのだろう。私にしても、鼻奥火傷を警戒しもぐもぐ息停止しつつ慎重に味わっている段階。ほんとの上級編はまだまだである。
 こないだ、秋ウコンの粉末を毎日飲んでいるという男に『延壽生姜エキス末』をじか飲みさせてみた。客が来るたびに、青汁粉末とかプラセンタエキスとかプロポリスとかキヨーレオピンとか癖のあるサプリを飲ませて反応を見るのが私の趣味なのである。「ショウガとウコンって同じ仲間ですよね」と気軽に口に入れたとたん、「ぶほ」彼はむせた。むせにむせて、真っ赤に咳き込んで、水をがぶがぶ飲んで涙を拭いて鼻をかんで、ようやく生還した。だからショウガとウコンじゃ刺激レベルが違うんだってば、まったく。  というわけで、初心者はくれぐれもパッケージに書いてある通り「水などで」飲むようにしてください。むせる心配なく刺激だけ得るには、ごく少量の水に濃く溶かして一飲みというのがよいだろう。五分間くらいは胸に清涼感と火照りが爽やかにたなびくはず。  能書きには「節々に不快感をお持ちの方」「ツワリ」「憂鬱」「乗り物に弱い方」などが記されてあるが、一番の威力は、胃の不快感をなくしてくれることじゃないかと思う。いかにも薬薬した胃腸薬や目覚ましドリンクよりよっぽど風情があるこれ、まことの逸品と言うべきである。

 気にはなるけれど、なんとなく縁のないまま来てしまった、という相手がいるものだ。私にとっては「キャッツクロー」がそれだった。葉の付け根に猫の爪のようなトゲがあることからこの名がついたペルーの免疫ハーブ。
 南米というと、アガリクスとプロポリスを筆頭に、マカ、パフィア、ガラナ、マテ茶、タヒボ、ムイラプアマ……。健康食品の宝庫である。ほとんど中国漢方の独壇場だった健康食品業界にブラジルが必殺のアガリクス茸ひっさげ殴り込んできたときは私も「ほお……」と身を乗り出したものだが、その後やれカイアポ芋だやれカツアーバだコパイフェラだと、「アマゾン原産」が続々名乗りをあげるにつれ、だんだん、もういいよーという感じにもなってきたのだった。
 キャッツクローは、私のサプリ魂にとって南米が新鮮だった頃と、もう結構となった頃の境目あたりに登場した、微妙なハーブである。惹かれるような避けたいような、半端なスタンスで今まで静観してきてしまった。
 サプリとくれば何でもかんでもの私が、なぜ南米産だけ差別するのか? 実は南米への愛ゆえなのだ。昆虫や爬虫類が好きな私にとって、世界最大の熱帯雨林アマゾンは、子どもの頃から聖域だった。一度も訪れたことはないが、いや、ないからこそ私の中でアマゾンは、未だに究極の大秘境として君臨している。アマゾン産健康食品が流通するということは、嬉しい反面、貴い秘境が資本主義の欲望に汚染されいよいよ俗世間化してきた証拠でもあるわけで、うーむ……、複雑な気持ちなのである。
 そこへ「キャッツクローの樹皮の内皮を100%使用」ときた。『キャッツクロー茶』(黒姫和漢薬研究所)。無難なブレンド物優勢の健康茶フィールドで、素材のじかの風味で勝負する100%ものは光って見える。潮時かなと観念して、買った。仄かな片想いを持てあました末ついに告白に踏み切ったようなものか。
 紐なしティーバッグをやかんに四つ入れて十分間ほど煮出したが、あまり濃い色は出ない。黄土色の大鋸屑みたいな粉だったのが、煮出し後にはずっしりオレンジシャーベット状に固まっている変化ぶりは、茶葉ならぬさすが樹皮茶。そのへんの表情を注視するのも、お茶類観賞のポイントですね。
 さて、肝心の味は? 香りは?
 それが、……ほぼ無味無臭。同じアマゾン樹皮茶のタヒボが独特の消毒味を漂わすのとは対照的。ひたすらマイルド、おとなしい。樹皮の味と言われれば微かに樹皮の味。
 長年気にかけていたわりには、会ってみると「あれ?」と肩透かしを食らったような感覚である。ああ、この無個性な風味ならそうブレイクすることはあるまい、という安心と、いやいや、この飲みやすさが子どもや年寄りに歓迎されて、いずれ340ml缶とかになって普及するかも、という心配とが交差する。
 南米産サプリメントへの屈折したわが思いは、まだまだたなびきそうだ。

 『世界の腕時計』というカタログ雑誌のコラムには次のような文章がある。

 サプリメント三昧懺悔

 本業の小説と学問では最近とんと取材なんて受けてない私だが、趣味の道というか、わがマニア道に関しては、相変わらずマスコミの需要が多い。わが健康食品道、サプリメント三昧の生活に関してだ。
 計何十回取材を受けたか忘れたが、まあ雑誌は話をしながら写真撮られるだけだからまだしも、厄介なのはテレビ。判で押したように同じパターンの動きを、同じ順番で要求されるのはうんざりする。「スタジオでたけしさんや楠田枝里子さんとお話しながら錠剤を飲んでくれませんか」的な依頼ははじめから断わって、むこうから訪れてくる密着取材の類に限っていたが、それもだんだん億劫になってきた。
 まずは決まって、「食事しているところを撮らせてください」。不健康そうな食事ほど喜ばれる。そこでカップヌードルかカップやきそばを食べてやる。実際まあ日々の食事はそんなもので、ウソ偽りもヤラセもないのだが、ずるずる食ってるところを逐一アップで撮られるのは気分いいもんじゃない。
 食い終わると、「錠剤をいつもどおり飲んでください」。一食分を順々に。ビタミンC1匙、ビタミンE1粒、カルシウム2粒、DHA2粒、ビタミンB群1粒、いちょう葉エキス1粒、DNA2粒、亜鉛1粒、マカ2粒、アガリクス7粒、高麗人参1粒、田七人参5粒、大豆レシチン2粒、エゾウコギ1粒、シルク1粒、すっぽん生血5粒、ブルーベリーエキス1粒、紅麹2粒、スピルリナ40粒、葉酸1粒、キトサン2粒、蛇胆3粒、牛黄1粒、ブドウ種子エキス1粒、マルチカロチン1粒、野菜パウダー10粒、霊芝2粒、ウコン2粒、ソバ若葉2粒……、ユンケル黄帝液1本あおっていい仕上がり。
 「では、一日に飲む錠剤を全部お皿に出してくれませんか、どのくらいの量か」。瓶から袋から色とりどり出してやると、見栄えのいいように並べてアップで撮っている。
 「あのう、箱とか瓶とか、こう、いっぱい並べてくれませんかね」。わが稀少コレクション、精力剤やドリンク剤のパッケージに強いライトが当てられ、色が褪せはしまいか、傷つきはしまいかとはらはらする。
 あとは、冷蔵庫の中を撮らせてくれとか、これだけ飲むようになったきっかけはとか。
 「一日あたり食費は三百円で食後のサプリメントは五千円です」
 「コップに十分の一の水があれば五十粒一気に飲めますね」
 「茶やコーヒーを素飲みするのってなんか落ち着かないんですよ、錠剤が一緒に喉を通ってかないと」
 「体調? さあねえ。これだけ飲んでると。効果が相殺してるのもずいぶんあると思うし」
 「ですから僕は健康マニアじゃなくてね、健康食品マニアなんで……」
 「昼夜逆転になったり早起きしたり不規則千万な生活してるんで律儀に錠剤数えるのがいいリズムになってるってことはあります」
 「デタラメ生活のせめてものアリバイですよ、アリバイ」
 ……などなどなど、何度同じことを喋ったことか。
 こういうワンパターンの取材にしぶしぶ付き合いながら、なんとなくマンネリの波動というか、情緒というか、そう、ちょうど勤め先の女子大の謝恩会みたいというか。十二年前に女子大に勤めはじめて最初の卒業式の後、「謝恩会」なるものに出席したときは、物珍しさもあってふうーんと楽しく観賞したものだ。ホテルの大広間、色とりどり・露出度さまざまのコスチューム群。しかし立食歓談と写真撮影と花束贈呈のほかは毎年きまったように「ビンゴ」。大勢が参加するにはああいう頭も体も使わない超単純なアトラクションに落ち着くしかないんだろうが、毎年同じパターンとなると、うーむ……。健康食品の取材もしかり。マニュアルや申し合わせがあるわけでもあるまいに、どうして一つのパターンが踏襲されてしまうのだろう。
 うんざりしながら、ああ、どのテレビ局も、どの年度の子たちも、どの番組もディレクターも、同じこと考えてんだなあ、無難にやり過ごすんだなあ、人間哀しくて可愛いなあ……安易なマンネリ波動をしみじみいとおしく感じられるようにもなったこの頃なのだが……。
 先日、女子大の卒業生に言われた。「先生、テレビ見たよ。なんか、大食い早食い男みたいなただの変な人だった。あと、パジャマの上にジャージ着てテレビ映るのはやめた方がいいんじゃない」
 は。単なる奇人変人として流通しておったか。――そう。私の家にはテレビがないので、自分の出た番組をずっと観ていなかったのである。うーん、やっぱりこれから、テレビの取材は全部断わることにしようっと。

 「なっ。読んだかよ。けっ。きいたふうなタイトルつけおって。なにが『サプリメント三昧懺悔』だ、ほんとは『サプリメント懺悔三昧』だろうが」
 翌日三文字堂の戸を開けるやいなや店主が投げてきた吐き捨て口調を、私は尤もだと受け止めた。
 「愉しんでやがるんだ、懺悔も自嘲も茶化しも何もかも。けっ。何がこれからテレビの取材は全部断わることにしようっと、だ。このエッセイの後も相変わらず平然とテレビ出てやがるんだぜこやつは。不真面目千万、サプリ文化をなんと心得とるか。娘は一直線に調剤薬局にうつつを抜かす機能主義かぶれかと思うと、息子は息子でくねくね曲がって粒に粉に滴に箱に、物体主義だか精神主義だかマニア気取りの体たらくだ。揃いも揃ってバランスがズレきっとるっつのよな、全くもう」
 なるほど、と思った。あとでビデオも見てみたが、店主によく似た顔色悪い髭剃り痕蒼い四十男がエッセイに書かれたとおりの演出で、カップラーメンをすすり錠剤を次々飲み込んでいる映像をタレントと栄養学者がスタジオで見ながらあれこれ批評するというものだった。長男氏は「ほうら、これだけいっぺんに飲めるってことが健康の証しなんです」掌いっぱいを口に放り込んで「癌で死んだお袋は一粒飲み込むのも大変だったんです、涙目だったんです。人間、免疫力が落ちると飲み込む力が真っ先にダメになるんです」さらに二十粒、「ほんと僕も、風邪気味のときなんか十粒も飲むの意外と大変って気づいたりしますよね。とんがったカプセルとか喉の粘膜に引っかかったりして」「だから間違えちゃいけませんよ、健康食品ってのはあれです、これを飲んで健康になろうって意味じゃありませんから。こういう錠剤をゴックンできるうちは健康、って意味なんです」さらに三十粒、「健康の元なんじゃなくて、健康の証しってわけですな」母親のこともしっかり喋っている。
 なるほどー、と思った。親子仲は悪いようだが、この親にしてこの子、的な〈いい感じ〉があったことも事実だ。ただ確かに、長男氏が飲むたびに次々掲げてみせる瓶や袋には、一つも三文字がないのだった。わざと避けているとしか思えない。いっしょにもらった雑誌記事の方でも、さまざまなサプリメントを紹介していながら決して三文字製品は推薦はおろか言及すらしようとしないのだった。ただしたとえばきわどいところで、『ゆほびか』の「サプリメント王への道」第3回に長男氏はこう書いている。

 霊芝の苦味。プロポリスの辛味。ビタミンCの酸味。ケールの青臭味。まむしの黒臭味。ローヤルゼリーの痺味。プラセンタの潮味。熊笹の香味。竹酢の焦味。ハトムギの甘味。サプリメント観賞の本筋は「味」。日常の食事にはないピュア濃縮純生の「味」だ。
 粉末や液状エキスはもちろん錠剤も、蓋を開ければモワッと独特の匂いが立ち昇る。が、カプセル剤とくにソフトカプセルものにはそれがない。DHA、卵黄油、月見草油、小麦胚芽油、スクワレンなど油系統はまず必ず、黒や琥珀色のソフトカプセルに封じ込められていて、味も匂いも洩れ出てこない。規格化された衛生的ムード。サプリ特有の民間療法的土俗色に乏しいというか。
 この『松実すっぽんまる』(ハーバル製薬)もカプセルものである。しかしこれのどこがイイかというと、なんとなくこの、ほら……。
 元来すっぽんは、錠剤、粉末、ドリンク、丸薬あらゆる形で出回っていて、全姿、胆、肝、生き血、鞭、睾丸などなど利用部位が細分表記される独特の素材だ。そんな表示中よく「すっぽんオイル」「すっぽんエキス」とあるのは一体何のことだろうと、私は長い間疑問に思っていた。「エキス」は今でも不明だが、「オイル」はこの『松実すっぽんまる』の説明書によって明快に判明した。曰く「4本足の付けねにある油を抽出したもので……冬眠中のすっぽんの食糧となり……」
 なるほど。さらに「とても強い匂いがするので、食用、黒焼き、エキス、その他、健康食品には利用されていない」とも書いてある。成分表にすっぽんオイルと書かれた製品は他にも見かけるので「利用されていない」はずはないと思うのだが、まあ、どっちがウソかはともかくこの微妙ないかがわしさも「健康食品」の魅力であることは確かなので。  さてもう一つの成分。中国北東部の長白山山系に群生する五葉松より抽出した松実油。松の実だけに含まれる「ピノレン酸」が「余分な脂肪をとり、血圧の調整を行い、細胞活性化作用を持つため、老化防止に役立っています」。なんだかすげえ。なにしろピノレン酸だもの。リノール酸よりリノレン酸よりオレイン酸よりマイナーな初耳大成分。動植物油初耳合体シフトで攻められては、こりゃもう降伏するしかないじゃありませんか!  というわけで、無味無臭の琥珀色カプセルにもかかわらず、『松実すっぽんまる』はわがコレクション中、特上ランクに位置してしまうのだ。簡潔かつ思わせぶりな説明書と、焦茶を限りなく暗くした渋い黒箱。「勃起油」と白抜大書の赤タスキまでかけられた念の入りよう。松実油+すっぽん油のペアは、昔の中国の上流階級で「勃起油」と称し愛用されたという。ただし男性専用ではない。巷に出回る絶倫製品のうち、成分表に「メチルテストステロン」が入っていないやつは女性が飲んでも大丈夫。この勃起油も、万人向き滋養強壮サプリとして通用するはずです。

 巷の「すっぽんオイル」の正体やいかに! 本品内にとどまらず健康食品文化全体を微妙に揺るがす「間テクスト的メッセージ」のインパクト。なるほどー……。健康食品道三十年になる私が、サプリメント・インターテクスチャリティ理論に初遭遇した原体験がこの文章だったと今でははっきり認識できているが、このときは、(ア……松実とすっぽんの「勃起油」は聞き覚えがあるな……)とすばやく思い当たった。そう、あの田中夫妻が京成線の車内で〈絶倫気功〉に使ったという絶精サプリの一つに「勃起油」があったではないか。そうだったか、「勃起油」は通称で本名は『松実すっぽんまる』だったのだ、咎められざる失策はあれだったのだ……。
 店主があのとき怒りを抑制してしまった理由もこれでわかった。長男氏が唯一、父親の専門たる三文字に歩み寄った瞬間が「勃起油≒松実すっぽんまる」に灯っているのであってみれば、「勃起油」がらみで田中さんを叱ることがついできなかったと……。
 しかしフト我に返ると、だからといって依然、わからない。
 なぜ三文字なのかということは依然わかった気がしない。
 長男氏がこうした物体主義者兼精神主義者兼非機能主義者的人格に育ったこと、父親たる店主とある微妙な距離を保っていることは私にも理解されたわけだが、三文字の謎は謎のままである。これ以上先延べするとどんどんわからなくなって一番弟子的〈レベル〉を糊塗できなくなる予感が悪寒めいて胸元蠢いたので私は、正直にまだわかりませんと告げた。「つまりそのう……、どうして三文字にこだわらなきゃならないのか……って……」
 「なにわからんだぁ?」
 店主は私の顔をまじまじと見て「け。だめかい」肩を落として目を背けた。「だめかおまえは。あーあ、できるやつかと思ったが。わからんと。わからんとなあ……」本当に悲しそうな顔をし、「女房の臨終の話まで深入りしてやったわりにはモノにならんかったかぃ……」ふいっと睨み捨てて「三文字以外に手を出しておったしな……」カウンターの奥に引っ込んでしまった。
 私は立ちすくんだ。
 ほとんど恐怖の戦慄だった。
 単にがっかりされたことだけでなく、店主の悲しげな顔で初めて自分がいかに大きく期待されていたかを知った気になり、しかし何について期待されたのかはっきりわかるはずもなく、よって期待を逃したこの瞬間真実は永遠に葬られたという絶望に動転し、いかに取り返しのつかぬ質量を失ったかを新たに唐突に思い知らされて、息が止まる衝撃を受けたのである。
 「そ、そんな……」
 私は立ちすくみ続けた。わなわなと震えた。頭が痺れて何も考えられないまま、小便がパンツに染み込むのを二十五滴までただぼんやり数えていた。涙腺と唾液腺がつゥーんと痛むほどの勢いで涙が溢れたにもかかわらず、瞼が熱く火照りきっていたため流れ落ちる前に全部蒸発した。両目はからからに乾いてショボつき、口もひりひりに渇き、鼻水だけが止め処もなく流れた。クヌギの木の下で福原奈緒美に最初にフラれたときですら、そして後に経験した失望・落胆・幻滅・絶望の数々においてすらこの百分の一も膝が震えはしなかった。

    × 火照りがウソのように治りましたしね、腰痛もだい

 私は商店街をとぼとぼ歩きつづけた。打ちひしがれていた。
 まるで袋叩きに遭ったように顔中が、そして首や背中や腕もずきずきと痛んだ。涙腺が破裂して涙塊が皮下網の目のように散ったらしく、額や頬や顎にやたら痣やたんこぶができているのが感じられた。ぼこぼこだった。足を引きずって歩道を何往復もした挙句気がつくとすっかり夜で、戸口に向かって立っていた。鉄製のそっけない白黒の看板に、
 「四文字亭」
 楷書で書いてある。そのような店名を突きつけられてはもちろん今のこの心境、吸い込まれないわけにいかない。三文字堂の埃じみた木戸とは違ってここは世間並みの自動ドアだった。入るとパッと明るい薬屋で、狭いがガラスのショーケースや柱周りの棚が色とりどりの商品を陳列していて、ホッと娑婆に戻ったような、私は一瞬やり場のない安堵の溜息をこらえながら、奥から出てきた細面の眼鏡のおじさんを見つめて、
 「あのう……」
 言葉が出ず、わっと泣き出してしまった。
 「三文字の……理由が……わからないんですけど……」立って店主の顔を直視したまま嗚咽の合間に搾り出した。
 「ははあ……」
 五十がらみの細面店主は顎を擦りながら心得たふうに「三文字堂めに弄ばれたな……」
 四文字亭店主は私の話にじっくり耳を傾けてくれた。その日何を喋ったのか全く覚えていないが、一秒の休止もなく一時間ほど喋りつづけたのではないだろうか。自分で言い募っていることを自分で聞いて悔しさの記憶が呼び覚まされてべそをかきはじめたとたんに可笑しな洒落を偶然口走ってしまい不覚な笑い混じりに、ふと思い出した悲しみを怒りに紛らせそこなったまま連続発声そのものに自己陶酔式に乗っかりおおせかけては突如しどろもどろへつっかえつっかえ、不意の思い出し笑いが込み上げては退きまた込み上げるうちに徐々にぶりかえした絶望が悔恨交じり怒り色に変色しはじめるいい加減その頃にはしばし力みかかって屁が一発、二発三発思わず笑い、続けもできず一瞬涙が鼻詰まらせるといった具合にしまいに声が嗄れきって、その日は「よし坊や、今夜はこれを飲んで寝なさい。明日すっきりして気が向いたらまた来りゃいい」
 もらったのは、日健の『野菜自慢』(パセリ、ニンジン、ホウレンソウ、キャベツ、ケール、モロヘイヤ)とファンケルの『満点野菜』(ほうれんそう、にんじん、モロヘイヤ、パセリ、キャベツ)各々10粒ずつだった。子どもに緑黄色野菜粒とはあまりに健全な、教育的かつステロタイプな配慮だなあと今なら苦笑いすべき処方ではある。が、その夜はその20粒を白湯で飲み下すことによってぐっすり眠れたのであり、通俗に徹することが一番有効なやさしさなのだなと今も評価できる処方と言えよう。以後20粒をもらって飲むたびに必ず日本たばこ産業の食塩無添加野菜百%250ml缶ジュース『野菜満菜』(トマト(濃縮還元)、にんじん(濃縮還元)、赤ピーマン(濃縮還元)、モロヘイヤ(濃縮還元)、かぼちゃ(濃縮還元)、ほうれん草(濃縮還元)、アスパラガス(濃縮還元)、クレソン(濃縮還元)、パセリ、ブロッコリー、レモン果汁)を自販機で買ってきてそれでゴックンするというところまで私自身の自覚も自発的に進化していった。私は妙に安心して、四文字に急速に適応し、それから通い先を三文字堂から四文字亭へと変更したのだった。
 「これです。こういうのを飲んでれば間違いないよ」
 訪れるたびに処方されたのは基本的に『野菜自慢』『満点野菜』のみ、日ごとにやや粒数が変わる程度だったが、俗に徹しすぎるは安易と店主も思っていたのかときたまゼリア新薬工業の『大壮甦心』のような一転ディープな強心剤が割り当てられることもあって、しかしその成分たる麝香、牛黄、蟾酥、熊胆、ニンジン、沈香、鹿茸のうち麝香と熊胆はワシントン条約の規制対象にして到底未成年には過ぎた稀少成分、効能も「どうき、息切れ、気つけ」で十三歳が勉強前や就寝前に飲んで落ち着けるような代物ではない。実際、4つの金粒を飲み下すたびにドキドキして呼吸が速くなり偏頭痛に漂ったりした私なのだが、有難そうな黒中箱に設置された透明フラッシュビーム型ケースを開けるやいなや店主の慈愛と洞察を感じて背筋がしゃきっとするのだった。
 四文字亭にはくつろぎがあった。三文字堂で店主の激怒的大顰蹙を爆発させた『大麦若葉』もここにちゃんと置いてあった。ここの店主は三文字堂店主のように偏屈でもなく人を試す意地悪さもなく、いつもニコニコ話を聞いてくれる。そう、ここでは喋るのはほとんど客の方であり、対話だったり報告だったり鎌かけだったりした三文字堂の油断ならなさとは対照的だった。客は大体、自分の身の上相談的というか、今一番困っていること悩んでいることを話題にした。一見さんが無下に断わられたり厳しい審査にかけられたりすることもなかった。
 私が四文字亭ではじめに出会った客は、大学浪人四年目という童顔と二重顎とが対照的な無精髭の小太り男である。二年目からは予備校にも通わなくなり宅浪特有のわびしい日々の鬱々ながらときどき常盤薬品の目覚ましドリンク『眠眠打破』(コーヒーエキス、カフェイン抽出物、V.C、菊花抽出物、ナイアシン、V.B1、V.B6、V.B2。50ml)やカンロのノンシュガーキャンディ『花鼻迷惑』(還元水飴、マンニトール、ポリデキストロース、甜茶エキス、紫蘇の葉エキス、紫蘇の実エキス、山査子、甘草、熊笹、だいだい、なつめ、スクラロース。八種類のハーブエキスと強力メントールでお鼻がス~ッとするキャンディ)を買いに来るついでに店主に「悩み」をたっぷり聞いてもらって紛らわすというのが唯一のエネルギー源のようなのだった。
 「どうしました。また携帯電話のことですか」
 「そうなんす。……ますます哀しくなっちまって。どうしてこう人間てやつは、人とコンタクトとりたがるんでしょうか。人間って、そんなにさびしい生き物なんですか。今のああいう光景も哀しいけど、昔、携帯がなかった頃って、俺が小学生くらいんときとか、ああいう頃って……車内や街中で一人のときって……みんなさぞかし我慢していたんだな、さびしかったんだなってことになるでしょう。人間てやつぁ! そう思うと哀しくて哀しくて夜も眠れなくて……」
 過去に遡って「人のあはれ」をしみじみ感じ耐え難く、という感性がなかなかの上級者だ、さすがは四年も大学に落ちつづけただけのことはあると感心して耳を傾け自分もいずれ大学受験とかで苦しむのかなあと思い巡らしていた私。携帯女が隣に座っていたりしたときには三文字堂名物あの田中式〈絶倫気功〉の術によって寂寥を悦楽情緒に変換する方法があるんだよとこの浪人生に教えてやりたかったが、「勃起油」に匹敵する絶倫系四文字製品をまだそのとき私は知らなかったので黙っていると、
 「そうか。それじゃ今度はこれですな。まずは試食だから代金はいいですよ」店主が浪人生に処方したのは、健民社の『休憩時間』6粒とファンケルの『気分爽快サポート』3粒を毎日飲むコースだった。前者は鎮静安眠効果ある西洋カノコ草(バレリアン)エキスを主成分にカミツレエキス末、トケイソウエキス末、ホップエキス末、ドロマイト、サフラワー油を添加したソフトカプセル、後者は鬱に効く鎮静明朗効果で人気の西洋オトギリ草(セントジョーンズワート)エキスを主成分にタピオカでんぷん、葉酸、ビタミンB12を添加したハードカプセルである。なるほど四文字亭はぐっと真摯穏健路線なんだ、そのまんまの対応なんだ、ホッと私も納得したものである。
 店にはいつも電気ポットとシャンソン化粧品の『阿湯皮茶(アトピッチャ)』(ティーバッグ。ハトムギ、緑茶、ドクダミ、山査子、大豆、ヨモギ、シソ葉、甜茶、甘草、桂皮)、ひばOHの『檜龍輝茶(ホイロンキチャ)』(500mlペットボトル。樹齢二〇〇年以上の天然青森ひばより抽出したひば油(ヒノキチオール)と厳選された台湾産ウーロン茶葉をブレンドし、富士山の名水で抽出)、それとヘルシーパルの『月下美人ナイトダイエット』(煮出し用ティーバッグ。車前草、甘草、ガルシニア、ギムネマ、ハト麦、ウーロン茶、ジャスミン)が置いてあって、好きなときに湯を沸かして急須で淹れたり注いだりしてセルフサービスで飲んでいいのだった。週末には協業組合リードの『白金幻水』という格調高い115ml黒瓶も脇に置かれてあり、「野口英世も研究していた飲用できる白金微粒子」を実現して「龍泉洞の水」に入れたこのマイナスイオン補給飲料は白金微粒子が排出されるまで(2~3日後)赤血球やリンパ球など電子を要求する体内部分に電子を供与し続けるようになっています、と書いてあるのだがこんな高級品を計量カップで4~10cc量ってお茶に混ぜて飲むのも自由だったのである(「衣類等に付着すると落ちにくくなりますのでご注意下さい」という注意書きがますます本物めいていて「アア人間ってのは……」漠然たる感慨に私を誘うこの『白金幻水』なのだった)。思いつめた顔をしている客には私が『檜龍輝茶』+『白金幻水』をついでやり、丸善製薬の『月桃美人』(月桃葉、ハス胚芽、紫玄米)4粒をいっしょに差し出してあげたりもした。三文字堂のように余計な緊張を強いられないアットホームなこの雰囲気、ああほんっとーにたまらない。
 二週間目の夕方に訪れてきた客は、(あ……!)
 『聖寿司』で見覚えのあった板前だった。
 ふうむそうか、あの寿司屋は四文字亭のメンバーだったか、だから女従業員が『雲南田七』だけは返してくれたんだな……、……聞き耳立てる用意をしていると、むこうはこっちに見覚えあるのかないのかチラッと一瞥しただけで「ああ、哀しいんですよぉ……」泣かんばかりに頽れて話し始めたのは、店にやってくるカップルがカウンターで結構プライベートなヤバい話をしていること、その三割方が不倫カップルであること、しかも結構近所に住んでいたりすること、ああどうしてこうなんだ、どうしてこうなんだ、客の中に誰がいるかわからないじゃないか、背後のテーブルに妻の友人夫の知人がいるかもしれないじゃないか、御近所に聞かれてばれる危険も顧みず自分らの間柄を話さずにおれないほど無防備に切羽詰っているのか、そんなに愛が必要なのか、人間ってそんなに哀しいものなのか、ああ、ああ、ああ哀しいああ哀しい哀しいなあ、という話なのだった。
 店主は「その種の憂鬱にはこれっ」紀文フードケミファ&ファンケルの『豆乳飲料 発芽玄米』(大豆、発芽玄米、米油、三温糖、砂糖、天日塩、乳酸カルシウム)200ml紙パックを男の前に置いた。「こういう明朗健全系サプリで世の鬱積した愛のしがらみなんぞ本物偽物いっしょくたに洗い流してしまいなさい、ほがらかに」なるほどぉ……。湿った愛には豆乳なんだ……。
 中学以来の親友がレズ友だちと同棲してしまった、いきなりだ、あの子がまさか、ひどい、人間がわからなくなったと泣く二十代後半らしきOLには、ビー・グリーンの『五色霊芝』(紫霊芝、赤霊芝、白霊芝、青霊芝、黄霊芝、黒霊芝。人工栽培物は一切無使用)を処方した。人間の心はわからないもんですよ、というかわからないのは人間の心に限らないんですよ、そう思えば悩む必要もなくなります。世の中わからないことだらけ。ほらこの五色霊芝も。六色入りなのに五色と名乗るはこれいかに。さあ考えてごらんなさい。OLは錠剤を口に含んで説明書きをためつすがめつ超真顔で眺め凝らしながら帰っていった。なるほどぉ……。そういや「スパゲッティを食べているときは孤独を感じなくてすむ。集中力が要るからね」の名言を吐いた作家は誰だったっけ、とこのとき確か本気で思い出そうとした私はやはり結構ススンだ中学生だったに違いない。
 このように客の相談は身体や健康のことに限らぬ日常の、微細些妙針小棒大なトラブル全般にわたったが、店主はいつも的確な処方をしているようだった。ここも一流の薬屋にふさわしくというか、客がうっかり三文字製品やカタカナ製品など、四文字製品以外を話題にしかけたりその愛用を仄めかすような不用意な発言に差し掛かるや、さしもの寛容な店主とて不機嫌になった。が、三文字堂店主のように身も蓋もなく怒鳴りつけるのではなく、素早くさりげなく口をはさみ話題をそらしたり、直前のサプリ名をわざと訊き返したりして、微妙な搦め手で客に自らの失策を悟らせるのである。
 「いやあ四文字亭さん、おかげさまで九芝堂製薬廠、輸入元イスクラ産業の『冠元顆粒』、効いてますよー。ジュクジオウ、サンヤク、サンシュユ、ブクリョウ、タクシャ、ボタンピの威力ですなあ。手足の火照りがウソのように治りましたしね、腰痛もだいぶ軽くなりました」
 「ええと、どこの『冠元顆粒』でしたかな?」
 「九芝堂製薬廠……ア、違うわ、華西医科大学製薬廠、輸入元イスクラ産業の『冠元顆粒』でしたわ。わはははは。成分はなんといってもセンキュウ、シャクヤク、コウカ、モッコウ、コウブシ、丹参ですわ。仰せのとおり1包3gを毎日3包飲んだおかげでですな、すっかりこの……」
 「……よかった……ですな……」
 「ははは、いや、その……そうそう、華西医科大学製薬廠といえば輸入元イスクラ産業の『勝湿顆粒』も負けず劣らず……」
 という具合だ。後で調べてみてわかったのだが、九芝堂製薬廠、輸入元イスクラ産業で手足の火照りや腰痛に効くといえば『冠元顆粒』ではなく『瀉火補腎丸』であるはずで、そちらも併用していた客がうっかり混同して発話してしまったものであろう。『冠元顆粒』の天下の効能は「頭痛、頭重、肩こり、めまい、動悸」だったはずである。
 そうなったときは客も一流の薬屋の客らしくというかどぎまぎ羞恥と狼狽を隠さずええとそのうアッいけねっ約束があったっけ、ええと、ちょっときょうは腹の具合が、などなど適度なタイミングで辞去した。そのような客はその後しばらくは訪れず、自主謹慎という意味だろう、やっと二週間から三週間ほどして、恥かしそうに現われてはいかにも詫びのしるしに短時間で高級四文字商品を六万七万纏め買いしてゆき、そうして次は十日後に現われ、などと徐々にもとのペースに戻してゆく。羞恥度も挽回のタイミング作りも、すべて客の自発性にゆだねられているのであり、店主がすべてを取り仕切り強制する三文字堂とはやはり対照的だった。
 アホな一見客がふらり現われて「何でもいいから胃がキモチよくなる薬……」などと間抜けな科白を口走ったようなときでさえ、四文字亭店主は常盤薬品工業の『胃新伝心』(ハチミツ、高麗人参、ウコン、桂、アカメガシワ、ショウガ、ウイキョウ、ウンシュウミカン、キジツ、カンゾウ、ウバイ、ガンビール、ガジュツ、メントール)50mlやロート製薬の『胃活飲力』(ウルソデスオキシコール酸、シュクシャ流エキス、ケイヒエキス、カンゾウエキス、リョウキョウ流エキス、ウイキョウエキス)50mlを投げつけるようなことはせず、さすがににこやかにとはいかなかったが抑えた低声で「ああ、右の信号左に曲がってずっと行くとマツキヨがありますからね」と軽く追い返すだけだった。そのさりげなさに私はシビれた。むしろ義憤に駆られた私の方がわなわな震えていると、察した店主が「こいつを片づけてくれるかな」と賞味期限切れのジェーピーエス製薬『五岺黄解』(タクシャ、ブクリョウ、ケイヒ、チョレイ、ビャクジュツ、オウレン、オウバク、オウゴン、サンシシ)30mlを渡してくれたりしたので、私は裏に行って「二日酔いのむかつき・飲み過ぎ・胃部膨満感!」などと呟きつつ地べたに叩き割って踏みにじり馬鹿客の顔を一刻も早く忘れるべく鬱憤晴らしするような具合だった。
 四文字亭では三文字堂と違ってときどき、店主も客もサプリの発売元や成分名まできちんと言い添えず、大らかにタイトルのみで名指すことがあった。しかし私としては以後ずっと、原則としてサプリメントの発売元・成分名は三文字堂時代と同様律儀に書き添えさせていただくことにする(それには後述するような大切な理由があるので、読者は御面倒でも全成分名に一通りお目通しいただきたい)。ただ四文字亭が寛容とはいっても、文字数を厳守しなければならないという掟だけはこの上なく堅く守られており、ここにこの商店街の磁場の特色というか、不可視不定形の組織強度を感じさせるところがまた私にとってはぞくぞく安心だったのである。
 ちょうど中学で習っている国語のカマキリ教師が熟語マニアで、何度か故事成語などの小テストをやらされていたが、どう考えても三文字熟語よりも四文字熟語の方に強力なものが多いような気がしていたし、そもそもいかなるサプリの外箱に列記してある「効能」も、「滋養強壮」「病中病後」「虚弱体質」「血色不良」「食欲不振」「胃腸障害」「肉体疲労」「産前産後」「栄養補給」「強腰壮腎」「宣肺潤腸」「強骨補血」「天然成分」「特殊製法」「生涯現役」等々、四文字の天下である。さらには最基本用語である「使用期限」や「原材料名」、そもそも「健康食品」からして四文字だ。四文字が三文字に勝つのは当然のように思われた。
 四文字亭に鞍替えして正解だった、とずっしり思い知ったのは、シガリオの『玄米の精 ブラックジンガー』が、私が四文字亭に通い始めてまもなく『玄米珈琲 ブラックジンガー』に名称変更したことだった。
 三文字堂店主があれほど目をかけていた『玄米の精』!
 名称以外、パッケージデザインや成分表(分析試験項目・結果)は全く変わらず、多少キャプションや説明書きの言い回しが変わったくらい。つまり、三文字堂店主が己が予知能力を誇って信頼していた『玄米精』への昇格なるものはついに起こらずに、むしろ昇格のベクトルは四文字方向へ実現してしまったのである。プレ三文字ではなくプレ四文字だったとは。これぞ、三文字に四文字がまさっている何よりの神託というか証拠であると私には思われた。四文字亭に続々仕入れられ棚に並び始めた『玄米珈琲 ブラックジンガー』の箱内にぎっしり詰まったアルミ黒袋。店主に時折もらって、ぴっと裂いて口内に注ぐと唾液と混じって餅のように粘液化、前歯の裏にへばりつく減農薬原素材感覚を適宜楽しんだものだ。
 四文字亭店主は、商品をどれでも適当に持っていっていいよ、勘定は君が金稼ぐようになったらでいいからという信用ぶりだった、私に対して。三文字堂店主のような試され続ける日々をクリアした認定ならではの達成感満足感はなかったが、さりげない信頼がぽかぽかと嬉しかった。そこで棚からこれぞというサプリを持ち出して両親の皿に新たに裏処方で盛り続けた。
 このときには私も少し成長していて、両親がはっきり身体変調をきたすくらいの方がうまく行くのではないかという認識に考えを改めていた。下痢とか蕁麻疹のような、好転反応というフォローが通じてしまうレベルではたぶん不充分、むしろはっきり危機感の亀裂で生活に張りを与える程度、たとえば短期入院レベルがいいだろう。
 幸い、四文字亭には『高麗人参』『朝鮮人参』という名の商品が多種揃っていたので――思えば三文字堂では高麗ニンジン主成分モノとしてはドリンク剤として『正官庄』シリーズ、錠剤として『参壽惠』シリーズくらいしか利用させてもらえず、これらはなまじ豊富にブレンドされている人参以外の豪華諸成分のせいで端的な血圧アップ作用が抑制されてしまうきらいがあった――普段から血圧を気にしていた父のホメオスタシスを狂わすのは簡単だった。四文字亭からたんまり持ち帰った高麗人参の顆粒をどしどし父の皿に振りかけると、もう三日目には父は頭痛を訴えて仕事を休み、五日後に高血圧性の意識障害で入院した。母は毎日付き添わねばならず、夫婦的に言って確実によい雰囲気がかもし出されてきたのを私も学校帰りに立ち寄った病室で確認した。
 さらに確実だったのは父の退院後、両親ともに男性ホルモン入り強精剤『延寿回生』(男性ホルモン、牛黄、人参、サフラン、ジンコウ。前立腺肥大症の方は使用しないで下さい)を裏処方したときだった。合成男性ホルモン・メチルテストステロンが母の体調をてきめんに狂わせ、生理不順と頭痛と眩暈と吐気を引き起こして三日ほど入院となったのだが、かたや父親の方は当然のことながら合成ホルモン作用ゆえたえずふとした刺激で半勃起モードに入りがちとなり――私は父の股間をたえず注視していた――こうした俄かな〈自身興奮状態〉を〈妻の入院への反動すなわち潜在的愛情の浮上〉として父が解釈したことはほぼ確かであって、通り一遍の心配顔と苦り顔の底に見え透く母への生理的心遣いに私は含み笑いを堪えることができなかった。ふたりに交互に引き起こされた身体的小危機は、まず間違いなく、両親の精神的絆を固くしたのである。

    ○ いきなり生活が出てきて俺は怯みました。そして正直、何か悲

 しかしまだ、三文字堂産の質問が宙に浮いているのが私は気になっていた。
 「あの……、例の三文字の……」
 何度か四文字亭店主に訊きかけて、思いとどまった。むしろここでは、「どうしておじさんは、四文字に、こだわるんですか?」という質問へスイッチするべきなのだろうし、いやそもそも、複数の専門店が存在することが判明した今となって三文字問題とか四文字問題とかを個別に解決することには意味がない。三だろうが四だろうが、漢字にこだわることの意義というか由来というか動機というか含意というか、一般的な公式で解決しないことには収まらなくなっていたのである。ここでもう一度融通の利かぬ同じ尋ね方を繰り返すことは、薮蛇というか四文字亭店主とのせっかくのいい関係を壊してしまうような気がした。
 結局、四文字亭店主にこの質問をすることはできなかった。自分で答えを見つけることもできなかった。あれから三十年近く経った今ならば、答えは自明なほどよくわかる。三文字堂店主の妻の癌死のときは、サプリメントにその守備範囲を越えた真剣な期待をかけすぎた(たぶん『バイオスライフ』をはじめ衛生的なカタカナ名健康食品ばかり揃えていたのではなかろうか)。あまりに実用に固執しすぎた。さらに店主の長女氏はもっとはっきりと、機能優先どころか機能専門の調剤薬局へ走ってしまった。これはサプリメントの持つ全人格的、人生的陰翳を蔑ろにしていると父親には感じられたはずである。それとは反対に長男氏はあのとおり「僕は健康マニアじゃなくてね、健康食品マニアなんで……」「健康食品飲んで健康になんてなれません。飲めるうちが健康って意味なんです」等々サプリ三昧スタイルを自己目的へ誇示した戯れ半分憚らぬ人物。趣味としてのサプリメント道というのは確かに虚実を超えた豊かな世界かもしれないが、あまりに一見豊かに拡がりすぎてその核心、本質を見失っているように父親には思われただろう。本質すなわち「健康」を、しかしあからさまに振りかざしてしまっては人間弱きもの、たちまち末期癌治療的・調剤薬局的一辺倒へ陥りかねない。よってサプリメントならではの周縁的広さを保持しながら本質をも顧みる姿勢としてはこれ、ネーミングと相成るのだろう。
 なんといってもネーミングには、期待と評価がこもっている。それを造り、公布し、育て、流通させ、使う人々の自負と期待と評価が。名と客観的価値とが無縁であろうはずがない。王貞治しかり山下泰裕しかり羽生善治しかり、王者の風格が字としてずっしりモロ定着しているではないか。名が性能を表わす。とはいえ名はあくまで名であり内から滲出する物質にあらずとの事実に立ち戻れば、名前主義は狭隘な効率主義に転落する危険もない。名への集中こそは、サプリメントの実用的効能面にも非実用的趣味文化面にも偏らない、中庸かつ正気の最もサプリ色生かしたスタンスであるはずなのだ。四文字亭店主にも過去、三文字堂店主と同種類の、中庸をはさんだ苦い両極端的思い出があるというわけだろう。三文字か四文字かはたまたカタカナかといったようなことは、この正道を貫く人間の個性というか気紛れというか信念の揺らぎ、そう、「揺らぎ」の部分なのであって、おおもとは同じ論理だったのである。
 「揺らぎ」。このキーワードを記憶しておかれたい。【成分2】別名【1/f】としてだ。よろしいだろうか。いや、前出【成分1】別名【庭争議】ともどもお忘れになってもさほど問題ないのだが、後でかりに再び出てきたときああ【成分2】ね、【成分1】ね、一度聞いたなという程度には一旦記憶にとどめておいていただきたい。よろしいでしょうか。
 というわけでありながらその当時は、客たちの話を吸収するのに私は夢中だった。
 いちど、一目「その筋」崩れのパンチパーマ兄さんが訪れてきたことがあった。
 「志木街道でねえ、人を轢いちまったんですよねー俺ってやつぁー。ちょうど一年前のことですけどねー、ったくもうさぁ」喋りながら落ち着きなくしきりに下唇を舐めていた。「次また女からどうやって金引っぱろうかとぼんやり計画しながら運転してた俺の意識がフッとなんていうかね、衝突の予感に前へ引き戻された瞬間つうかさ。ガツーンと跳ね飛ばしたんです。人形みてーなグにゃグにゃした手足がボンネットに落ちてきて。俺はあわてて外へ出て、抱き下ろしまして。みたとこ四十代の主婦でした。両耳から血ィ流して、うーうんとウメいてて、ヨガってるみてーに。なにがなんだか焦っちまって混乱したまま、つうか信号無視したのは俺なんで、それに免停だったんでクソッ超面倒なことになりやがったと腹立てながら彼女を助手席に押し込みました。午後四時前でまだまだ真昼間の明るさだったわりにゃ周囲にたまたま誰も、目撃者はいなかったようで、一年経っても誰も何も言ってこないとこからすりゃ。
 俺はそのとき何考えてたのか思い出せないんスが、病院へ運ぼうとしてたのか、警察に行こうとしてたのか、そのまま家へ帰ろうとしてたのか、どこか遠くへ逃げようとしてたのか、耳からドクドク流れ出す血で肩と腕を真っ赤にしてる四十女を乗せたまま、決断するでもなく躊躇うでもなくなんとなくしばらくあたり一帯をぐるぐる回りつづけたというか。事故現場を一時間の間に十回は通りましたかね。ワンピースの下半分が引き裂けて、胸や喉の起伏で呼吸していることは確かだったけど、とても生き続けるようには思えなかったな。一瞬の混乱がおさまると、俺って不思議と無感動でしたっけー。彼女が時々弱々しい呻き声を洩らすのを横目で見ながら、チッどこにでもメーワクな間抜けはいるもんだぜ、この間抜け女めが、ちゃんと抜け目なく気ィ引き締めてろっつのゃ、ボーッと幸せボケしたまんま世の中信じきってるこういうクソばっかだから俺みてーのが目立っちまうんだゃ、ほんと不愉快っつうか馬鹿馬鹿しいっつうか、俺は淡々と運転しつづけました。冷静でした。なるようになれでした。この女が息をしなくなる前にどこかでヤッちまおうかと考えてました。美人でもブスでもない平凡顔の四十二三歳ってのは余計なこと考えずにヤッちまうには最適でした。用心は必要だからやたらなとこに停められゃしませんでしたけどね。
 二時間も車を走らせた頃、いっしょに運び入れた女のショッピングカートの隙間から、財布が覗いていました。ついでにもらっとこうかいくら入ってんだと開けてみると、いろんなレシートやテレカに混じって、ファミリーマートの青い「サンクス・クーポン・カード」が出てきましてね。「500円以上のお買いあげでスタンプ1個捺印します。スタンプ50個で¥1000プリペイドカードプレゼント」てあれです。いきなり生活が出てきて俺は怯みました。正直、何か悲しみっぽいしょっぱい震えに背筋をつかまれました。なんだクソッ、と思って財布をほじくると今度はスクラッチカードでした。ミスタードーナツの。三枚。ちゃんとこすって点数が出ていて、〈合計点数10点分で、「ふわふわクッション」ひとつ、さしあげる〉……三枚で8点に達してました。財布の中にこういうサービスカード類がすごくきちんと整理されていたんで、いずれ実際に使うつもりだったことは間違いない。「ウ……」俺は思わずうめきました。はっきり悲しくなりました。こういうカード類見つけるまでずっと無感動だったのが不思議なくらいでした。中学生の娘と会社員の亭主と、食卓を囲んでいる情景が見えてきちまったんです。そう、息子じゃなく娘でした。だってミスタードーナツです。ミスドです。ふわふわクッションですから。中学生の娘がいるんですきっと。親子で買い物の途中にときどき一緒に紅茶飲むんですよ。週に三回いっしょに、腕を組んで仲良く買い物に行く中学二年生の娘と母です。顔までくっきり見えてきました。俺の両眼がじわっと熱くなってきやがって。他にもカード類が零れ落ちて、しかし決定打っつうかとどめは、五種類のドラッグストアのポイントカードでしたね。財布の中にゃまだまだ整然と分類されたのが、使われるのを待っていたんです。
 青い「ドラッグメディコ」のカード(お買上げ金額500円ごとに1ポイント押印いたします。40ポイントになりましたら500円分のメディコお買物券としてご利用になれます)は19個朱色の押印がしてありました。薄緑の「応援します。健康家族 アスカメイト」のスタンプカード(お買い上げ500円ごとにスタンプ1コ。スタンプ30個で750円の当店の商品を差し上げます)は9個押印してありました。「美と健康と安心をお届けする ミヤモトドラッググループ」の会員カード(お買上げ300円毎に、一個捺印させていただきます(税抜き金額に対して)。捺印が全部(100個)お済みになりましたら500円の値引き券としてお使いいただけます)には44個捺印してありました。これを見たとき視界がブワッて膨らんだっていうか、そ、ついに涙が込み上げてきやがったんです。生活、てもんがジィんと感じられちまったんです。美と健康と安心。健康家族。ああ! 何百円単位で少しずつスタンプためて生活の糧に換えてゆくそういうささやかな営みってんですかね、コツコツ積み重ねてく幸福というか家庭というか、ああ、ああ。涙で視界が曇りまくり、俺はたまらず車を停めました。涙がほんと滝のように流れました。止まらなくなりました。涙を拭きながらもっとバッグを探ると黄色い「マツモトキヨシ クーポン小冊子」(特売品であってもクーポン対象商品であれば店頭表示価格より、お値引きいたします)が出てきました。う……。リビングでクーポン券一枚一枚せっせと切り取って、台紙にレシートせっせと貼ってるこの主婦の息遣いが聞こえてくるようでした。これこそ自分で作業するわけっすから、受身のスタンプカードよりくっきり幸福への積み重ね意欲ってのがひしひし伝わってきやがります。どんどん涙が溢れました。あとこれでもかというように財布から黄色い「くすりセイジョー おたのしみ券」が五枚(No.419451~5)ハラハラと落ちてきました(翌月一ヵ月間当り番号を店頭にて発表! お買上げ金額1000円毎に1枚進呈。1等500円。2等100円。3等50円。ハズレ券は10枚ためて100円のお買物ができます)。うっ……。たまらん……。毎月店頭で、当選番号掲示と手もとの券を一枚一枚丹念に調べているこの主婦の横顔が瞼に浮かんできやがって。ううう……、魔法のように涙があとからあとからほんと止まらなくなって。俺は車を出て酒屋とアパートの隙間に駆け込んで、うずくまって泣きました。主婦の采配で亭主と娘の健康も無農薬野菜や減肥茶やビタミン剤によって守られてたってのに。完璧な幸福生活が、はたちも過ぎて定職もなきゃ組から盃ももらえてない俺みたいなヘタレの免停のどうしようもないクズ野郎の不注意な一撃で、くだらねえたった一瞬で終りを告げた――これじゃあんまり哀しすぎます。そう考えてるうちにも助手席の主婦の呼吸はだんだん力強くなりつつあるようでしたっけが俺はすっかりもう終りと決めてたんで。それにああ哀しすぎたし。この女の真面目な生活が、全世界の代表だったみたいに思われてきたっていうか。美人でもブスでもない平凡顔てのが今度はよけい平凡家庭の貴さっつんですか、訴えかけてくるようでした。そうと決まればぐるぐる無駄に走り回っているわけにはいかない。静かな混乱にかき乱されてた俺の意識が、一つのハッキリした目標へ向いたんです。俺は近くのミスドに乗りつけて、コーヒーを注文してスクラッチカードを一枚もらって2点を出し、計10点になったことを確かめると次はファミマに向かって缶コーヒーとノンシュガーガムをまとめ買いして(ちなみにガムを噛むのって心臓の鼓動を規則正しくして血圧を上げて眠気を覚まして注意力を集中させて、事故防止に一番いいらしいっすね。あれから俺運転するときゃずっとガム噛んでます)カードの捺印を一杯にしました。続いて、スタンプカードに印刷されてる住所を頼りに「ドラッグメディコ」「アスカメイト」「ミヤモトドラッグ」順々に車で訪れて、夜八時にはスタンプカードを全部満杯にしていました。責任を果たしたなって感じがしましたよ。  「マツモトキヨシ」と「くすりセイジョー」をいれて五つの薬屋がみんな徒歩十分圏に固まってるってのも模範的主婦の生活半径を示してるってのか改めて俺の涙を呼びました。最後の「ミヤモトドラッグ」を出て車に戻ったときには、主婦の呼吸は途切れ途切れになってましたよ。いっとき回復しかけたように見えたけど、足もとの血溜りは着実に増えていて、そりゃまあ俺のドライブが致命的な時間を積み重ねた原因なのは確かだったけど、責任を果たすにゃどうしても時間が必要だったんです。
 俺はもとの志木街道の事故現場に引き返して、人通りがなくなる瞬間を見計いつつ五、六回往復してね、やっといい頃合に車を止めた現場はもう午後十時を回ってましたが、俺は彼女を助手席から引きずり出して、横断歩道の真ん中にくの字に横たえました。スタンプカード四枚と「おたのしみ券」五枚とクーポンシート一枚とスクラッチカード四枚を主婦の上着のポケットに入れて、黙祷して静かに車を発進させました。主婦はそのときもまだ確かにか細い喘ぎを洩らしてましたけど。
 その主婦が死んだことを知ったのは一週間くらい経ってそこに〈死亡事故発生現場〉の看板立ったからですが、俺は深い満足感に充たされてました。
 なんつってもあの主婦の服やスタンプカードやらには俺の指紋がべたべたのはずだったし俺の車の塗料もはっきり剥げてたしタイヤの跡も路上にくっきりだったしあれから何度も現場に戻ってうろうろしたりした俺なんですから疑われて十分と思うでしょ。なのに警察の間抜けぶりったら呆れるばかりっつうか、ついにひき逃げ捜査の指先すら俺の身辺に及んじゃきませんでしたよ。逃げも隠れもせず一年ものうのうとこんな近くで暮らせてこれたのは、この愚か者めが、あの主婦の築いていた幸せの縮図の意味をまだまだもっと深ーく娑婆の風景の中で考えるがよい、てなふうな神様の思召しだと俺ぁ解釈してるんです。いや、神なんて信じたことねーけど、これに限って別っつーか。あの主婦の墓がどこにあるかは突き止められなかったけど、事故現場の電柱に貼られてる目撃者求むのポスター見るたびに涙が込み上げて困って、月ごとの命日やら気の向いた日やらに花やら餡ドーナツやら減肥茶やらをお供えしておきました。

    ○ そんなことしてないって言うんですが。やっぱ瓶の形のせ

 事故当日にスタンプカードを満杯にするために買ったもの、まだ持ってんですよね。これなんです」
 男は手提げ袋からばらばらとカウンターの上に、「きょうが一周忌なんで、まあ、なんつうか、誰かにどうしても打ち明けたくなったつうかね……。なんかおたくの前通りかかったとたんに、なんかこう、グぐっとっつうか、言いたく、なってきて……、……家に飛んで帰って持ってきちまいました」男はわっと突っ伏して泣いて、
 「い、い、一年前は幸せの縮図ってのか平凡な生活の努力ってのかそれがただただ哀しかったんすけど……! 今は、今は、俺みてえなクズ野郎が! なんか形だけでも真面目に人生感じちまってるのが! 自分で哀れで哀れで哀れで……!」男はひとしきり泣いた。泣き続けて泣き続けて突っ伏したままカウンターを両手でガリガリ引っ掻きながら足踏みして泣き続けたので、他の客が入ってきやしないかと他人事ながら私がハラハラし始めたときいきなり顔を上げて私を振り返り、
 「そうだぜ!」
 真顔になり「そうなんですよ!」店主に懇願するように向き直って「ていうか自首ひとつできねー自分が哀れで哀れで。オヤジ狩りしたり学生ぶん殴って金奪ったりナンパした女捨てたり捨てられたり、これまで染み付いた楽しいデタラメをそう簡単に思い切れるもんじゃないっすよ、もっともっと暴れて、セックスして、金くすねて、うまいもん食って、上に取り入って、いいカッコして、のし上がっていきたいんすよ。染み付いてる、染み付いちゃってんすよ俺って奴ぁ~~!」
 男は再び突っ伏して泣いた。泣き続ける男の前で店主は、「ふむ。こいつらか……」男がカウンターにぶちまけたサプリメントの山を真剣な眼差しで選り分け査定する。「ううむ。この財布は……あんたがひき逃げした主婦のですかね。ちゃんととってあるわけね。ずいぶん頼られたものだ。ええとこれとこれ……」サプリ群の中から選んだ箱を二つ男の手に持たせて――『雲南高級貯蔵陳茶 中国老茶』(輸入・共栄、34パック)とミヤマ漢方製薬の『快減圧粒』(ラフマ、ドクダミ、杜仲葉、桑葉)だった――「まあまあ、こいつを煮出してコーヒーカップ一杯、こっちを12粒ずつ朝昼晩に分けて飲んでだね、気を落ち着かせて、十数えて全身の血液が鎮静してゆくのを感じて、まだもやもやがあったら、またおいでなさい」
 泣きじゃくりながらパンチ男が帰っていった後、店主は遺されたサプリ群をまとめて隅に押しやりながら「だめだな。あとは三文字五文字やカタカナのクズどもばかりだ。後で外のゴミ箱に捨ててきてくれ」
 私は財布も受け取って中を見た。中にレシートや名前入りカードが入ったままの赤い財布。あの男の気持ちを揺るがしたというスタンプカード類、その他キャッシュカード、現金二万五千円ほどが一緒に入っているこの財布はむろん、男の話が事実であることの証拠品に違いない。私の口は自動的に店主に向かって「あ、あのう……。け、警察に……届けなくても……あの……さっきのあの……」
 「あはははは」よくできた冗談だというように店主に笑い飛ばされ一瞬混乱した私は、店主が手を振って黙って奥に入っていったので、(あ……)店主のさりげない思いやりに感激かつ敬服していた。
 不出来な弟子に恥をかかすまい、自ら気づくのを促す優しい配慮。ああ、ついつい場違いな失言を洩らす癖がオレは直らないなあ……私はひとり佇みながら噛み締めることになる。まったく簡単な原則。幸福と法律とどちらの方が大切か。健康と警察のどちらの歴史の方が古いのか。まったくもう、サプリメント界は俗界を超えた自律的な価値体系をなすと。ほんとそれ自体が呆れるほど俗な正しい原則。これを私はその瞬間から内心「サプリ自決の原則」と呼び、四文字亭店主への信頼と尊敬をますます深めた。
 思えばその頃社会科で「民族自決」とか「グローバリズム」とかを習ったばかりだったので、ところどころ無意識に学校的お勉強とサプリ道とをリンクできていたのが自慢といえば自慢である。
 私はその夜、母親の財布をこっそり覗いてみた。
 「ミネ薬品」の青い割引カードが出てきた。けれど磁気カード式。目に見えるスタンプが押してあるわけでなく、感銘を呼ぶパワーが薄い気がしてやや不満だった。が、続いてパルコの黄色い「グランドチャンス抽選補助券」がぱらっと3枚出てきたのでほっと安心した(「抽選会場:1F正面入口特設会場 10:00a.m.~8:00p.m. *当抽選券は¥1000お買上げごとに一枚差し上げます。*当抽選券4枚で1回の抽選が出来ます。*レジ印無きものは無効とさせていただきます」)。
 (ああそうか、最近食卓周りに増え始めた見慣れぬフラクタル模様のコースターやフラワーグラスはこれだったんだな……)すでに自分が家庭的幸せ構築意欲の磁場に包まれていたことに急に気づいて体がふわふわ温かくなってきた。母親と父親がこれからまた何度うざったい言い争いに明け暮れようと、快く我慢する気が湧いてきた。ひき逃げ告白男が残していった非四文字サプリ群がみな、私の裏処方により両親の体内に収まっていったことは言うまでもない。
 一ヵ月ほどして二度、ひき逃げ告白男が駅前を肩で風切って歩いているのを見た。目を釣り上げて道端に痰を吐き、牛丼屋の看板を蹴っていった。四文字亭で打ち明けてせいせいしたのか、それとも四文字亭には人の心を刹那だけ寂しめに撓ませる空間力があるということか、とにかく店内で見た情緒色の表情とはうってかわった、屈託ない凶暴顔の闊歩ぶり。私はなんだかホッとした。(だいじょぶですよ、あの店に入ったから善人になれたんじゃないですよ、善人だからこそあの店に入れたんです……)だってほら、「健康食品飲んで健康になるんじゃない、健康だからこそ飲めるんです」ってサプリメント王も太鼓判押してますから。
 四文字亭を訪れる客たちの交わすさまざまな会話の中では、「数合わせ」と称されているほとんど企画めいた遣り取りが特筆に値するだろう。一例を挙げるとこうである。
 万田発酵の『万田酵素』(50種類以上の植物)1瓶145g
 森川健康堂の『森川酵素』(77種の天然原料)1瓶175g
 ともにほぼペースト状だが、これをそれぞれ1リットル瓶に移しかえ(匙で丹念に、こびり付きの残滓なきよう注意深く移す)、ともにジージーエフの粉末『玄米酵素』(玄米表皮、胚芽、アスペルギールスオリーゼ)1袋2.5g×90包を入れ、そこに北海道酵素のドリンク剤『明和酵素』(植物性酵素)1本50ml×10を注ぎ込んでよくかき混ぜる。こうしてそれぞれ、たっぷりと発酵成分の混合した〔糊×粉×液〕合成酵素ドリンクA,B二種の出来上がり。さてこれを十人くらいずつ二手に分かれた面々が、A,Bそれぞれ一方だけを何ヵ月か専門に飲みつづけて、体調変化を比較するというのが「数合わせ」である。この間、ノイズが入らぬよう他のサプリメントは一切断つ。食事は共通のメニューにしたがって、同じ物を食べる(簡略のためたいていは全員毎日三食とも日清の『出前一丁』100g(めん重92g)のみ、飲み物はカルピス食品工業の『烏龍香茶』(340ml。烏龍茶、ジャスミン茶、ビタミンC)のみ)。こうして『万田酵素』対『森川酵素』のピュアな一戦が実現される仕組み。期間の終りに、全員で健康診断に行く。血圧、血糖値、肝機能など、数値の平均が優れていた方の勝ちというわけである。
 「数合わせ」開始前に、健診数値がAグループBグループで大差ないことを周到に確認しておいたことは言うまでもない。
 こうした共同研究とも言うべき真摯な風景に触れながら日々過ごしたおかげで、二学期の中間試験と期末試験は上々だった。
 かくも平穏順調な四文字生活満喫たけなわのまま冬休みに入った頃、久しぶりに「あ」と声を上げる機会に出遭った。四文字亭に入ってきた老夫婦。三文字堂で熟年精力生活を熱唱したあの田中さん夫妻ではないか。
 私は反射的に勃起した。向こうも私を覚えていたのだろう、こちらの顔を見るなり「あ」と声を揃えて「…………」しばし絶句していたが、店主がちょっと奥へ入った隙に旦那のほうが片手拝みでさかんに拝み始めた。拝むと同時にもう片方の手で自分と私を交互に指差している。お互い様じゃないか、内緒にしようやということだろうか。二股かけていることがそんなに恐ろしい罪なのかと私は背筋に心地よい緊張感を覚えたが、というかこの、おおやけの法律や条例やさらには道徳倫理とさえ明らかに異なる暗黙のというか裏の規範ががっちり全土に張り巡らされているらしい実感を得て、この町に対する愛着を私はこのとき瞬時ずしんと腹に深めたことを記憶しているのだが、しかしそう拝まれたって指差されたって大体が、私がもともと三文字堂出身であることは初対面のときこの四文字亭店主に私自身が語っているわけで。勝手に互角の契約押し付けられる弱みはこっちにゃないぜ。アア田中さぁん三文字堂ではお世話になりましたーなどぶちまけてやろうかとサディスティックなときめきを覚えたが、ここはまあたぶん、共犯者の後ろめたさを装って曖昧に頷いておくのが一流の四文字客としてのたしなみというものだった。
 老夫婦は四文字亭店主を前にやはりここでも直立不動、精力剤関係の成果を述べ始めたが、四文字亭コンサル色にふさわしいベクトルへとこちらでは語尾が異なっていた。
 「……再春館薬品の『絶倫帝王』(コラ種子エキス、牛睾丸エキス、インド人参エキス、シベリア人参エキス、高麗人参エキス、ウコンエキス、マムシエキス、スッポンエキス、ガラナエキス、ニンニクエキス、麦芽エキス、ローヤルゼリー、オットセイの骨格筋エキス、トナカイ角エキス、カフェイン100mg、蜂蜜、上白糖、リキュール。濃厚堪能!)50mlでミナミヘルシーフーズの『男宝絶精』(ハブ末、マムシ末、ガラナ末、スッポン末、スッポン生血末、カロペプタイド、カバカバ末、FDローヤルゼリー、スッポンオイル)6カプセルを飲むと、陰毛の根が残らず熱く爆ぜる感じ繚乱で気持ちいいんだがそれでいいんでしょうか。オノジユウの『尊蕈益寿』(霊芝エキス、高麗人参エキス、プルーンエキス、ブドウ糖、クエン酸)50mlでタキザワ漢方廠の『強靭六仙』(冬虫夏草末、海蛇末、ハブ末、赤マムシ末、スッポン末、田七人参末)6カプセルを飲むと、射精逆流のあまり突き上げられる快感があるときと射精が逆流したりまた戻ったりの往復刺激満喫のときとがあるんですが。救心商事の『延若禿鶏』(ゴミシ流エキス、ニクジュヨウ流エキス、トシシ抽出液、ジャショウシチンキ、エンジエキス、エゾウコギエキス、ニンジン乾燥エキス、ロクジョウチンキ、牛胆汁エキス末、ハンピチンキ、ゴオウチンキ)30mlで宝仙堂の『蛇甲胆精』(スッポン内臓エキス、蛇胆のう末、スッポン胆のう末)5粒を飲むと、あれが中で蛇みたいにのたうちまわってる感じがして女房もそう言うんですがまさかほんとに。宝力本舗の『新如意兵』(有臭ニンニク末、マカ末、ローヤルゼリー、高麗人参末、卵黄末、ココア)はサプリの素材として当り前になってる無臭ニンニクより有臭ニンニクこそアリシン効果大(12万倍に薄めてもコレラ菌を殺す!)と謳う強力糖衣錠のようですがそれ3粒で局部のたうち効果を最大化するにはドリンクは何で飲んだらよろしいでしょうか。アピオクラブの『活性飲料』(キトサンオリゴ糖、オタネニンジン果実エキス、カキ肉エキス、精製ハチミツ、クエン酸、リンゴ酸。オタネニンジンとは高麗人参のことで、その実は従来用いられていました根よりもはるかに滋養豊富なのです。是非お試し下さい)50mlで宝仙堂の『生蘇血粒』(スッポン(血液粉末、胆粉末、卵油))5粒を飲むと、射精のときしゅわしゅわーっと泡立つ感じがして女房もそう言うんですがまさかほんとに。カネボウ薬品の『参茸旺壽』(ロクジョウ抽出液、ゴオウ抽出液、朝鮮ニンジンエキス)30mlで芳香園製薬の『絶倫無双』(コブラ、海蛇、ハブ、マムシ、海龍、蛇胆、スッポン、八ツ目ウナギ、ガラナ、人参、無臭ニンニク)8粒を飲むと、射精なしの絶頂が最低五回は波状押し寄せてくれるんですがほんとにそんなトクしていいんでしょうか。日野薬品工業の『保利智安(ポリチアンロイヤル)』(ゴオウ抽出液、人参乾燥エキス、ロクジョウ抽出液、コンドロイチン硫酸ナトリウム、イカリソウ流エキス、トチュウ流エキス、硝酸チアミン、リン酸リボフラビンナトリウム、塩酸ピリドキシン、ニコチン酸アミド、アミノエチルスルホン酸)50mlで芳香園製薬の『絶倫無双 蛇王』(サソリ、コブラ、ハブ、マムシ、アマガサヘビ、海蛇、海龍、蛇胆、八つ目ウナギ、スッポン、蛇の陰茎睾丸、亀の陰茎睾丸、人参、ガラナ、無臭ニンニク)6粒を飲むと、金玉がぶわっとこう、こう、絶頂時に膨らんだり縮んだりして気持ちいいんですがそんなトクしていいんでしょうかってば。芳香園製薬の『絶倫無双コブラ』(酒精、コブラ抽出液、マムシ抽出液、海龍抽出液、蛇胆抽出液、鹿の角、高麗人参、田七人参、ナツメ、霊芝、生姜、ジンカ、桂皮、甘草、ガラナ抽出液、海蛇抽出液、ハブ抽出液、ローヤルゼリー)50mlまたは『絶倫無双サソリ』(サソリ抽出液、コブラ抽出液、カキ肉エキス、ハチミツ、ブドウ糖、イソマルトオリゴ糖、環状オリゴ糖、食物繊維(難消化性デキストリン)、黒糖、ローヤルゼリー、マムシ抽出液、海馬抽出液、海蛇抽出液、ハブ抽出液、ガラナ抽出液、ラカンカエキス)50mlで中央製薬の『満天飛龍』(ロクジョウ末、ハンピ末、ゴオウ、シベット散、ムイラプアマ乾燥エキス、ガラナエキス-S)を3カプセル飲むと、金玉が絶頂前後にふわっとこう、高速自転して独楽みたいにぶつかりあってる感じで気持ちいいんですがこれってほんとにトクなんでしょうか。エムズロンドカンパニーの『肝生養元』(田七人参エキス、ウコン粉末、マリアアザミエキス、シジミエキス、蛇胆)9粒を飲む場合、エスエス製薬の『寿不老丹(ジュフロータンキング)』(通常型茶色瓶)50mlで飲むより『寿不老丹(ジュフロータン)』(変則トックリ型緑瓶がいい強精ムード)50mlで飲む方が絶頂のとき明らかに金玉が掌で撫で上げられてる大快感が強くて声が出ちゃってでも女房はそんなことしてないって言うんですが。やっぱ瓶の形のせいでしょうか、値段も成分も量も全くいっしょで何首烏エキス、地黄流エキス、人参流エキス、麦門冬流エキス、山茱萸流エキス、イカリソウエキス、ルーロンジンなんですが。芳香園製薬の『絶倫無双キング』(マムシ抽出液、ハチミツ、ブドウ糖、イソマルトオリゴ糖、環状オリゴ糖、食物繊維(難消化性デキストリン)、黒糖、ローヤルゼリー、ハブ抽出液、海蛇抽出液、ガラナ抽出液、ニンジン抽出液、イチョウ葉エキス)50mlで林原生物化学研究所の『三友乃精』(トレハロース、パフィアエキス、ガラナ、藍、糖転移ビタミンP)1匙を飲むと、イッたとき必ず私ゃ「オマンコー!」女房ぁ「オチンコー!」て無意識に叫ぶのが常で同時にイケた証拠に見事にハモるはよろしいにせよ後でなんとも恥かしいんでしてこれどうしたらいいでしょう。芳香園製薬の『絶倫無双 摩訶』(マカ抽出液、環状オリゴ糖、ガラナ抽出液、コラエキス、カバカバソフトエキス)50mlで国際マーケティングの『魔化精路(まかせろ)』(マカ粉末)を6粒飲むと、玉袋の皺という皺が全部この……」

    × 確かめてこいッばかも

 老夫婦は去りぎわにも再び私に片手拝みをしていった。今度は奥さんのほうが自分と私を交互に指差しているのが滑稽だった。
 ところで私自身にしても、四文字亭が居心地よいからといって、三文字堂に全く足が遠のいていたわけではない。三週間に一度くらいは、「こんちわ」と戸口を覗き込んで、ほんの五、六分、店主と足のツボについてや宇宙開発についてやヒーリングミュージックについてやホルモンについてや資源回収について言葉を交わした。とりわけ何の収穫も損失もないまま、当り障りなく三文字堂訪問は義務のように過ぎていった。店主は私にあれだけの絶望一閃を食らわせておきながらケロリとしたもので、私としてはそれがまた腹立たしかったのだが、しかしあえてなぜ三文字堂に私は顔つなぎをしていたのだろう。四文字亭に入り浸ってさえいればもはや三文字堂は不要だったはずにもかかわらず、何か虫の知らせというか、保険をかけておく意義をどこか潜在意識で嗅ぎ取っていたのだろうか。実際、三度目の中間試験が近づいてきた頃のある日、四文字亭で私は状況の裏というか内幕というか真意というか垣間見た打撃に見舞われたのである。
 私が四文字亭の諸商品を自由に物色する権利を与えられていたことはすでに述べた。その日も何か面白い能書きはあるかなと、そして今度は何を両親に盛ったらいいことあるかなと棚を見ていって、共栄の『減糖蚕粒』(蚕末、ニガウリエキス、桑の葉エキス、セルロース、デキストリン、ギムネマエキス、ビタモンB1、プラセンタエキス(牛由来))を見るともなく目に留めていたとき。
 「あれ?」
 と思ったのである。(これ、三文字堂にもあったよなあ……)
 どうしてだ……? そうかもちろん……、「減糖蚕粒」を一まとまりの固有名詞と考えるか「減糖蚕」の「粒」であると解釈するかという問題だな……。しかも萌黄色のパッケージ正面に立体構成で踊る「減糖蚕粒」の朱文字は、右に行くほど比例的に縮小するデザインになっており、だから「粒」の字は最も小さくなっている。しかしだからといって「粒」が製品名の本質的一部でないという理由にはなるまい。しかし……、でもなあ……、私は固着した。
 「どうしたんだい?」
 背後から店主に声をかけられ私はぎくっとした。ヤバイと思ったが、ぎくっとした反応をはっきり見られたことは間違いなかったのでもはや隠せなかった。
 「ええとそのう……。これ、三文字堂で見たような……」
 「ナニッ!」
 店主の顔色が変わった。店主のこんな顔を見たのは初めてだった。温厚な四文字亭店主のこんな顔を見たのは。
 私が直接怒られているはずはないのだが、なにか見てはいけない素顔をめくって見てしまったような、ああ、ここはしょせん長居する所ではなかったのかもしれない、一瞬店内のピンク系壁紙が赤黒い血糊色に染まったように見えた。
 店主は虚空を見つめてしばらく小刻みに震えながら考えている。
 なるほど大問題かもしれないのだ。『減糖蚕粒』のパッケージを見ながら私も考えていた。(……「日本成人病予防協会推奨品 驚異のシルクパワー!!」……。「特許番号:2757937」「特許名称:蚕粉末を有効成分として含む血糖降下剤及びその製造方法」「減糖蚕粒の国内製法特許とは、蚕の収穫時期をはじめ製法に至るまで、蚕の特徴を余すことなく活用する為の特許です」か……。これが三文字堂専属なのか四文字亭専属なのかは、なるほど両店の戦力にとって重大な意味がありそうだな……。)
 店主はだっと奥へ駆け込んで、手一杯の商品を床にぶちまけた。「これは! ここにあるのらは! 見たか、あそこで!」
 ばらばらと転がった色とりどりのうち視界の中央にとどまったのはアピオの『帝王源 真人還少』(冬虫夏草、枸杞の実、蝮、薄荷、霊芝、田七人参、竜の落し子、蜂蜜、胡桃、紅花)4カプセル入りミニパッケージ。炎のデザイン。「1日2粒を目安に必要時の30~60分前に水またはお湯でお召し上がり下さい」……。必要時の! 何というさりげないウケ狙いだ! なるほどこれもいかにも戦力的意義の大きなメンバーらしい。ええと、これももしかしてどうだったか……これも……あれも……三文字堂にこれも……それは……これは……いや、あったようななかったような……。
 ええと、あのう、そのう……、散らばったサプリ群の只中で私は、あれほど穏やかだった四文字亭店主の豹変ぶりに大ショックを受けて硬直し、店主が急に遠い存在に思われ、しどろもどろが唯一可能な態度になってしまった。
 「確かめてこいッばかものッ!」
 この瞬間私は、スパイの地位を授与された。後にほぼ町全体を巻き込んだ〈サプリメント戦争〉における前哨戦の先駆の前触の引金を、「これ、三文字堂で見たような……」という私の一言が引くこととなったのである。

    △ たとえ真実でも、根拠もなしに信ずるのは間違

 三文字堂におそるおそる忍び込んでみると――いや、これは意識だけの話で、身体としてはもちろんいつものように何食わぬ顔で――
 しかしいつもの隔々週の形だけの訪問とは色合いが違うということがただちにバレてしまったようだ。
 店主が直視している顔にマトモに出会って私は思わず目をそらした。
 「なあるほど、ふふん、四文字亭からの偵察だな」
 ソ、そんな簡単に……! ほぇぇと膝そして全身の力が抜けてよろめいた。やはり、やはり三文字堂店主に嘘はつけない。私の原点はここしかなかったか。後悔と安堵のごたまざったドローン衝撃波というか何というか、やはり自分は最終的に、表面上安楽だが仮面下に硬直した私利私欲を隠していそうな四文字亭店主にではなく一見厳格だがしまいにはすべてお見通し的に包容してくれそうなこちら三文字堂店主についてゆかねばならない、そうハッキリ意識したと思ったとき私は、「すみませんでしたっっっっ!」がばばっと地面に土下座していた。
 「わたしはふらふら迷っておりましたっ! この道を初めて教えていただいた店主の御恩も忘れて、わたしは……わたしは……」
 「いいってことよ。若い頃はさ、特におまえさんのようにほとんど幼いといっていい頃はさ、いろいろ目移りするもんだ。俺もそうだったからな。そう、同じイチョウ葉エキスでも『銀燦樹』より『ギンコライド』を試してみたくもなるだろう。ニンニクものには『活蒜養』ありと知りながら『オキソピタン』のほうがいいんじゃないかとか、『海神龍』よりも『脳天毒姫』を飲みつづけたらもっと効くんじゃないかとか、あまつさえ『爽葱治』より『オニオンデラックス100Z』の方が響きがカッコイイとかな! 目移りは悪いことじゃない、若いときにどんどん目移りしとけ。確信が持てない以上はな。確信がないのにたまたま真実だからといって無理矢理真実だけに集中しろと要求する方が無理な話さ。たとえ真実でも、根拠もなしに信ずるのは間違いなのだ。手順を踏んで、正しい道を模索しながら、最後に真実を手に入れりゃいいだけの話よ。正しい手順てものには迷いという段階が含まれがちなものだ。いや、含まれにゃならん。ふらふら揺れた振幅の分だけ後で人生カチッと固まることができるってぇもんよ」
 「てっ、ててて店主っっ!!」
 私はもう胸も腹も額も顎も床に埋めていた。店主を「おじさん」でなく「店主」と呼んだのはこの日が初めてだったが、このとき私の中では店主はほとんど「天主」の意味を帯びていたと言ってよい。「店主ぅぅぅ!」
 その日はすっかりうちとけて、客もなかったのを幸い、店主と脳死のこととか原発のこととかを語り合い、すっかり昔のコンディションに戻すことができていた。  しかし、そろそろ帰ろうというときに、そう……、このままじゃ終わらないよな、とうすうす観念していた私の予期に合わせたかのように、店主はむらむらと思い出したごとく顔をわずか紅潮させつつ小鼻ひくひく微痙攣させて、
 「ちょっと待ってろ。ようし今度はこっちの番だからな」
 店主は奥からどさっどさっと持ってきて、「このパンフのだな、こいつらがあっちのほれ、むつみ通りのクソ店どもに売り物として置いてあるかどうか、いいなっ調べてこいぃっっっっ!」
 名前の束。それらの中には例の『帝王源 真人還少』(必要時の!)をはじめ、私が以前こっそり服用していた『三美花 減肥粒』や『有精卵 卵黄油』のチラシもあった。何もかもお見通しだったのだ……、改めて身の竦む私の頭上、三文字堂店主の目は、もはや慈愛の光を湛えてはいなかった。自店の覇権を懸けた長期計画の諜報戦のため手塩にかけてきた私という先鋒に本気の期待×危惧×奨励を今こそ注ぎ浴びせる視線。いやむしろ自作サイボーグの戦闘能力を試す無慈悲な電脳調教師の眼光のように私には感じられた。

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