三浦俊彦「アドホック日記」(2003.03.25)- 小説「シンクロナイズド」出版一ヶ月前!

  
日記索引

* 2003年4月24日刊『シンクロナイズド・』(岩波書店) → 表紙画像


 同日に、『論理サバイバル-議論力を鍛える108問』(二見書房)をシンクロナイズド出版

      → 懸賞問題

 刊行時期が一致するだけでなく、シンクロ出版の2冊――短編集もパラドクス本も――どちらもいわゆる〈第2弾〉という、期せぬ一致。
 しかも、短編集として第2冊目、パラドクス集として第2冊目であるのみならず、それぞれの出版社(岩波書店、二見書房)からの第2冊目。ちょっと見事な質的連動です。

 『シンクロナイズド・』は実話を含む11篇収録。コンテンツは↓↓↓↓
ひろう守宮無題(『朝日新聞』2002年6月1日夕刊「街の風」
たどる伝言板「伝言板」(『小説すばる』1995年5月号)
うけとるポケットティシュ「ポケットティシュ」(『文藝』1995年夏号)
たちさる公衆便所?「微分小説 たちさる」(『すばる』1995年2月号)
たたずむ自動販売機&郵便ポスト?「通信販売機」(『文藝』1994年春号)
かぞえる万歩計「万華鏡」(『文藝』1995年冬号)
つきそう徘徊老人「徘徊トレイラー」(『文藝』1998年春号)
みまわす子ども「システムウォッチャー」(『文藝』2001年春号)
すれちがう渋谷交差点「終末体質」(『文藝』1999年春号)
まよう携帯電話&ウォークマン「シンクロナイズドW」(2003年書き下ろし)
つりあう路上発の鳴動「BUG小説 つりあう」(『すばる』1995年5月号)

 第一短編集『たましいの生まれかた』で、幕間のアフォリズムが担った役割を、第4話「たちさる」が果たします。分裂した微分小説の〈地〉に10様の〈図〉が配置される構図になるわけですね。無色均一な路上を人々が歩く風景といおうか、不定形のマントル上に形状さまざまな大陸が浮くプレートテクトニクスといおうか、大陸移動説式に「たちさる」上をいろんな路上アイテムが浮遊していく感じといおうか。
 プレートテクトニクスが小地震下のフリーク・オブザーバーの独白(最終第11話)で締めくくられるというのも、大陸移動の果てが「つりあう」で閉じられるというのも、出来過ぎなくらい芸術的なデザインに仕上がった、と公言せざるをえません。

(※フリーク・オブザーバーfreak observerなる概念の深遠な含みを知りたい方は、人間原理 Anthropic Principle の信頼できる書物か、ワタシの次の学術書にご期待ください。)

 分断されつつ底流を作る「たちさる」は、最後の地震に向けた予兆をになう、痙攣するマントル部。最後の震動独白が「引き延ばされた瞬間=広げられた一様」へすっかりミニマルミュージックしている関係上、対照的に「圧縮された期間→縮められた雑多」としてのマルチ機能を直前第10話「シンクロナイズドW」が果たすことが真摯に期待されてよいでしょう。

 n/11は、いかにも携帯電話以前の時代のお話。路上は、携帯電話以後に全く異なるトポスに変貌したという事実をも、「シンクロナイズドW」が天然回顧することになるでありましょう。

 ――気のせいか、デフォルト値でというかプリセット値でというか、日常生活に適応しきった人間が無難に備え終えている本能&直観モードのままですんなり読めてそこそこ楽しい(のかどうか)小説が流行っている(のかどうか)気がいたします。
 モード設定の暴力的な変更を強いる異形でなければ芸術とも文学とも名乗れないのではないか、そんな常日頃の持論をそこそこ率直に実践した『シンクロナイズド・』には、出来合いでない特有モードに入れぬ心にとっては「?が飛び交うかもしれない」11篇が実話込みで配置されています。
 怯えず怖れず新モードにさえ入っていただければ、ゲラを見直しながら何度も吹き出してしまった著者自身とテレパシーで論争可能な一種哄笑体験に漂えることでしょう。

 ★『論理サバイバル』でロジックの迷路に分け入り迷子になりかかった瞬間瞬間、『シンクロナイズド・』で路上のロジックをたどり直したどり尽くし新モードで帰還していただければと――……