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湯川秀樹「パクウォッシュ会議を目前にして」(『朝日新聞』1975年8月26日付第3面)

*「パグウォッシュ京都会議開く、完全核軍縮求めて科学者ら36人が参加」「国家理性のゆくえ」
*湯川秀樹「現代科学者の任務-第10回パグウォッシュ会議に出席して-」(1962年)
*ステューデント・ヤング・パグウォッシュ・ジャパンのページ /日本パグウォッシュ会議
*ラッセル=アインシュタイン宣言の着想
* 朝日新聞注:湯川氏の手術後の経過は良好だが、なお療養中。開会式には出席して挨拶を述べることが予定されているものの、討論への参加はとても無理のようだ。この原稿は病床の湯川秀樹氏が口述、それを筆記したものです。


 (1975年)8月28日から国際パグウォッシュ・シンポジウムが始まろうとしていることは、すでに新聞などで報道されてきた通りである。科学者のパグウォッシュ平和運動は、今から20年前のラッセル=アインシュタイン宣言に端を発している。それは人類の存続のために科学者が国際的な会議を開くことを訴えたものである。宣言の中で人類の存続のためには戦争の廃絶と核兵器の廃絶が不可欠であることが強調されている。当時この宣言に署名した学者はほとんど死去された。今回のシンポジウムの出席者の中では、私のほかにはイギリスのロートブラット氏だけしかいない。
 

準備途中に病気

 この宣言の呼びかけに応じて1957年に第1回の会議がカナダのパグウォッシュという大西洋岸の小さな村で開かれ、日本から朝永振一郎、小川岩雄の両氏と私と(の3名)が出席した。それ以後何十回も会議が開かれ、参加者もだんだんとふえてきた。今回はじめて日本でシンポジウムが開かれることになり、事務局長の豊田利幸氏をはじめ、関係の人たちが準備に忙殺されてきた。今回の会議は比較的小規模であるが、後述のように私たちはこれに大きな意義を与えることができると信じているのである。
 ところが昨年から身体の調子の悪かった私は、今年の5月になって、前立腺肥大に原因する膀胱炎と腎盂炎(じんうえん)を併発していることがわかり、京都第二赤十字病院の吉沢医師の執刀で、6月に手術を受けた。その結果、一時は順調に治ってきたように見えたが、間もなく前立腺がガン化していたことがわかり、さらに7月にはその転移を防ぐための第2回目の手術を受けることになった。そのために入院も長引き、健康体への回復も遅々として進まなかった。
 私にとっては、生まれてはじめての深刻な体験であった。それだけに古沢医師や病院の多くの人たちの手厚い看護を、身にしみて感じたのである。それともう一つ、2ケ月半の間、ずっと病院に泊まって昼夜をわかたず、自分の健康を犠牲にしてつきそってくれた妻スミの献身的な努力に、心の底から感謝している。
 

ふえた核均衡論

 そうこうするうちに、パグウォッシュ会議の開会も迫ってきたので、私も気が気でなく、まだ食欲不振、貧血、足腰が弱っている状態の中退院させてもらって、転地療養することにした。そして、せめてパグウオッシュ・シンポジウムの開会式であいさつできるまでにこぎつけたいと健康回復に努力してきた。
 ふりかえってみると、この20年間に、パグウォッシュ会議に参加する科学者の数は非常に増加したが、回を重ねるごとに、核兵器の廃絶というラッセル=アインシュタイン宣言の当初の目的達成の意欲は薄れ、米ソ両大国が強大な軍備を保持したままでの均衡状態を続けることができたらそれでよいという考え方をする人が多くなってきた。それではしかし核軍縮よりも、むしろ核軍拡に向かう傾向を抑えることができない。今回の会議では、こういう現状を打開して、真の核軍縮を実現するための具体的な方策について討議し、さらにそれを実現の難易に従って順序づけた全体計画の提案にまで話を進めることが企図されている。
 

立ち入って論議

 もちろん世界平和の達成は、核軍縮だけで終わるのではなく、全面完全軍縮の達成、さらには各国が軍備をもたない世界での各国の安全を保障できるような世界的権威の樹立--それはつまり世界連邦の実現--という方向に進んでゆかねばならない。少なくとも私自身はそう信じている。しかし今回の会議では特に核軍縮に的をしぼって、立ち入った議論がなされることになった。この他に、科学と倫理、科学者、技術者の社会的機能が重要なテーマになっているが、核軍縮だけでなく、これらの諸問題の解明にも、この会議が大きな貢献をすることを期待している次第である。